2007-09-15

曲げようとしないで曲げること

「体を曲げる」ときには、曲げようとしないことで、更に深く曲げることができる。

「曲げようとしなかったら、曲がらないではないか」と思うかもしれない。しかし、この問をする前にやることがあるだろう。実際に一人で床に腰を下ろし、「曲げようとしないで曲げるとはどういうことか」と問うことである。勘のよい人ならすぐに分かることと思う。

ただ「では考えて下さい」で終わりにしてはあんまりなので書くことにする。しかし、これで分かったのでは、自分の体で気づくという大切な瞬間を逃すことになる。[WEB] パーソナルトレーナー武田さんの感性(ブログ): 「気づき」とはを読んでから、以下を読んでいただけるとよいかと思う。

さて、「曲げようとしないで曲げる」とはどういうことか。

結論から言えば簡単である。曲げるポイントを深い場所にして、それ以外の場所は全力で曲げる方向の逆にするように意識することである。つまり、曲げるポイントだけリラックスして結果として曲げてゆき、それ以外は曲げる方向に対して逆に反るのである。

どうして、こうすると曲がるのだろうか。思うに、こうすことで、それは重力を有効に利用でき、無駄な緊張を解けるからである。

人の体は無意識に伸ばすことを警戒する。過度の伸展は、筋肉や靭帯の損傷の可能性があるからだ。故に、この「警戒」を解くことが重要である。その為には、曲げる場所以外での伸展を極力避ける必要があるのである。

分かりやすい例として長座での前屈を考える。この体位では股関節を曲げて、臀部から膝裏にかけてを伸ばすのがポイントとなるだろう。この際、腰や背中、首等の緊張を避けるため、顎を引き、胸を張り、肚を落とすのである。すると、骨盤が前傾してゆき、重心が前に移動する。結果として、股関節を中心として深く曲がり、臀部や膝裏が伸展される。

イメージとしては、肚が前へ、下へ落ちるようにイメージしつつ、胸を張り、顎を弾いて、体は逆に反ってゆき、あたかも曲がることに抵抗しているように動かすことである。こうすることで、股関節を中心とした部位以外の緊張は解け、同時に重力を利用して曲げられるので、曲げるために緊張することがなくなる。

骨盤の前傾を促進するために、リラックスして体を左右に揺するとよい。肚を落として重心を前に置くことに成功していた場合、これだけで自然に前屈の準備が完了してゆくだろう。

「曲げよう、曲げよう」と思っていると、先に頭や背中を伸ばしてしまうことになる。骨盤は後傾したままであり、故に重心は後にある。重心が後にあるのに、前に曲げようとするから、筋肉を使うことになり、緊張が解けない。そもそも、前屈など緊張していたら曲がるはずがない。

曲げる際に重さを利用して、それ以外を脱力すること、イメージとしては、体を反らすほどに真っ直ぐにして、頭頂を遠い位置へと持ってゆくことである。あとは重さに任せて、リラックスして体を揺すればよいのである。コツが分かると、不思議なほどにすーっと体が曲がってゆく。

思えば、前屈の時に背中を曲げるのが失敗なのである。骨盤を後傾させ、より曲がる股関節を利用しないで、曲げよう、曲げようとするから曲がらないし、痛いのである。股関節を利用するために、股関節の上に体が乗るようにしなければならないのである。

そうして静かに体を見つめ、細かい感覚をゆっくりと味わってみて欲しい。「この感覚は何か」「この痛みとは何か」などと。そこには新しい気づきが待っていることと思う。


冒頭でも教えは矛盾すると書いたが、大概は小手先での動作を戒めるものである。今回も「曲げる」という動作の緊張を解いて、重さを意識的に利用してリラックスして曲げることを書いた。

しかし、結果としての方法を知っていても意味がない。体が曲がろうが、曲がらなかろうが、どうでもいいことである。

むしろ、そうした逆説的な教えを積極的に試して理解していったり、自分の体を利用して、気づきの瞬間を味わうことが大切と思う。体と向きあう時に出会う気づきが、私は面白くて仕方がない。

是非とも「曲げようとしないで曲げる」ということを、本ブログの読者にも試して頂きたい。

2007-09-13

古さを求めた、若き日の私たちへ

思えば、おっさんになってしまった。

若さを失った後悔があるわけではない。また、歳を取ったことの充実感などでは元よりない。ただ、なにか最近はしみじみとした感慨を覚える。

これは何なのだろうか。

そういえば最近は、古い友人と会ったことから東京を軽蔑し、京都へ去った友へと高校時代を懐しむようなエントリを書いた。

高校卒業から早や9年。若き日を思い出せば、己の老けも感じるものか。

ただ、老けだけの問題ではない。刻々と時代が変わり続け、平成という言葉の響きにぴったりの世界である。そこで、高校時代を思い出した時、私や同級生が「古い」人間であることを驚きを持って発見するのである。

私の学生時代、既に昭和は遠かった。なぜ、あの時代、私の友は強い煙草を吸い、強めの酒をあおったのだろうか。なぜ、過ぎ去った時代の音楽を消化不良になるほどに貪り、半ば意味も分からずに文学や評論、哲学を読み漁ったのだろう。そう、なぜ高校生の私たちは上野へ、神田へ、早稲田へ行ったのだろうか。

高校時代の友人にいたっては「ジャズ喫茶」である。失礼を承知の物言いだが、そんなもの、もはや骨董品といってもいいだろう。また、先日会った友は京都で「ブルース喫茶」に通ったと私に告げた。そんなもの、関東以外を知らない私は存在自体を知らない。

今の若い人、いや同世代の人にさえ、LPやJBLの話をしても仕方ない。mp3やiPodの時代であろう。パーカーの話も、サン・ハウスの話をしても仕方ない。バッハの話をしても、トッカータ・ニ短調を口ずさまれるのがオチである。

だから、なんなのだろう。若き日の私たちは何をしていたのだろう。時代に反し、「古さ」を求めて。もしかしたら、「過去を知っている」という「強さ」を求めたのか?

***

ここで、高校時代の恩師の言葉を思い出す。「彼自身に欠けている、と思い込んでるモノを無意識に埋めようとしている」。

たしかに、そうだったのかもしれないし、今もそうなのかもしれない。私たちは無意識に、自分に「○○」が足りないと思い込み、無意識に埋めようとしたのだろう。ただ、それは思い込みであり、欠けているわけでもなく、埋めようとしても無益なのかもしれない。

分からない。ただ、心の底から言えることはある。私はそれを欲っしたということである。大量の音楽や文学、哲学、絵画、いくばくかの酒や煙草、博打を欲っしたのである。野性的と言っていい。本能的と言っていい。私はバッハやブルース、ドストエフスキー、ニーチェなどを欲っしたのである。

それが、何かになった訳ではない。はっきり言えばマイナス面が目立つ程である。

***

そこで、更に思うのは ── そう、思うのは、やはり、よくなかった、かもしれない、ということである。いや、分からない。

ただ、言えることがある。私が欲っしたものは、過去のものであった。既に過ぎ去ったものである。

更に言う。── 過ぎ去ったものは、去らせる他ないのである!

いや、分からない。分からないが、過ぎ去たものに、こだわってはならないのである。…… そう、言おう。私は音楽を聞き、本を読み、絵画を読んだ。いくつかの娯楽にも手を染めた。そして、言えることがある ── そうした、優れた物事が過去にあった。そして、それらは、過ぎ去ったのである! これだけである!

バッハを聴くとする。鑑賞し、吸収したとしよう。勉強したでもよい。ただ、それは結局、「バロック時代にこうした音楽が過去にあった」ということを学ぶのみであり、「バロック時代は過ぎ去った」ということを学ぶのみである。

ただし、これは簡単なことではない! 「過ぎ去った」という言葉の意味は深い。「失われた」という言葉の響きは、底の見えない穴へ落ちる時の音である。常に落ち続け、失われ続け、暗く、底がない。

私の言うことが意味を為すとも思えないが、これが、私が過ぎ去ったものを愛したことから学んだこととでも言おうか。過ぎ去ったものを愛すること、過ぎ去ったものを愛しながら生きることとは、深い井戸へと落ちることである ── ただひたすら重力に従い、やがて重力そのものとなり重力がなくなるまで ──。

***

だから、私は過去に愛したものから距離を持つ。ブルースやバッハ、ドストエフスキーやニーチェという響きから距離を持っている。その響きが、その底無しの闇へと繋がる響きは、死という言葉を連想させるからか。私は死にたくないからか。私は生きたいからか。

分からない。私は意気地無しになっているだけなのかもしれない。分からない。分からないが、リヒターのブランデンブルクの5番や音楽の捧げ物の響きが変わって来た。ドストエフスキーやニーチェという言葉の響きも変わった。

若き日の私は、今の私を軽蔑するだろう。確実である。しかし、そうした過去の激しい軽蔑や嫌悪すらも受け入れられるほど、私は歳をとったのである。子供は大人にならなければ死ぬしかない。結局は子供の私を、大人の私が殺し抜いたか ── 孤独に月を見ながら、静かに静かに勝利の宴でもあげるとするか……。

こうして「古きものを愛した、若い日が終わったのか」と感じる次第である。私には生きるべき「いま」があり、過去は「資料」となったとでも言おうか……ここに感慨はある……あるが、それは悔いでない。もちろん、資料は資料として、私のために働いてくれることだろう。

2007-09-12

観念

観念という言葉がある。少しだけ、この言葉についてメモしておく。どれも雑感や憶測であり、根拠はないので注意して欲しい。

観念とは不思議な言葉である。面倒なので意味を調べもしないが、まず「概念」というような意味を持つ。「考え」や「意味内容」とでも言えばいいだろうか。そういう意味を持つ。

恐らくは、この意味は idea の「翻訳語」なのであろう。予想だが、元々の「観念」は仏教語であり、 idea を意味する言葉ではなかったのではなかろうかと思う。それがどうして、「 観念 = idea」になったのだろう。不思議であり、興味が湧く。

仏教用語の系譜はひとまずさておき、翻訳語としての「観念」は idea を意味する単語なので、観念論や観念的という言葉を生んだのだろうかと思う。

次に「観念」というと「観念しろ」とか「観念しました」という言葉が思い浮かぶ。いわば「あきらめる」という意味である。

この点にも非常な興味が湧く。これは、明らかに仏教を考えないと出てこない。

観念とは「念を観る」と書く。ここで漢字にこだわらず、観念という言葉事態が仏教経典の翻訳語と考えると、 パーリ語で vippasana sati と思える。これは、「気づきを観察する」「洞察を観察する」という意味になろうか。あるいは、ヴィパッサナー瞑想とも言えなくもない。

こう考えると、観念するということは、自分の根源的な洞察なり、感覚なりを、ありのままに見るという意味に取れる。「念」とは気づき続けるという充分な意識状態であり、それを観察するということは、疑いようもない、与えられた今ここの持続を観ることになる。如実智見である。

ここまで考えると、観念が「諦める」という意味とつながる。あきらめるとは「やめる」ことではなく、「明らめる」、明らかにすることである。「諦める」とは「あるものを、ありのままに、あきらかに観る」ということだろう。

観念するとは、己の念(純粋知覚や気づき、洞察)を観るのであるあるから、「明らかにする」という「諦める」と同じになるのである。「諦」という漢字は「真実」という意味である。

ここで、念を観ることや諦(真実)を/として明らめることが、現在の意味になったのにも非常な興味が湧く。たぶん、かなり早い時期に日本人は、真実(諦)を「人間、あきらめのよさが肝心」のような表現に現れるものとして理解していったのかと思う。

そして、再度、興味が湧くのは、そうした「観念」を idea の翻訳語としたことである。恐らくは、仏教用語としての「観念」という言葉にある、「純粋な洞察」という意味を透かしての選択だったのではないかと思う。誰が選んだのかは知らないが、観念という言葉の中に、イデアという言葉の響きを聴いてのことではなかったかと。

完全な妄想だが、仏教のいう観念の世界、つまり如実智見の境地と、イデアの世界の境地に関連を込めたのではなかろうか。

翻訳語の観念が idea を意味するが故に、「観念」は「理想」も意味する。観念的は理想的なのである。ただ、そうした「観念」によって如実智見した世界は、 idea の世界なのではなかろうか。

ここで、idea という語の系譜も知らない私の妄想だが、元々、idea という語も「考え」という意味を持ち、「理想的」という意味を持ったのは、割に最近なのではないだろうか。つまり、idea も、純粋で根源的な内から湧くか、外から与えられる、思考ではない純粋な直感や洞察、気づきのようなものを意味していたのではないだろうか。その純粋な洞察が、本来の世界という響きが、idea から聴こえるように私は思う。この純粋な直感や洞察、知覚が「観念(如実智見)|諦め(真実)」と共通するのである。なんとも興味はつきない。

長々としてまとまりのないメモである。いつか暇をみて調べてみたいテーマである。

[続き]

カルトのような人脈話のよいところ

言うまでもなく、私は学校が嫌いなわけだが、それでも学校というものはよいものだと最近は思う。

古い友人と会った に書いたように、高校時代に嫌いだった友人が、実はいい奴だったりするからである。これが高校の同級生だから会うのであり、他の場面で会った人なら、「面倒だからいいや」となるに決まっている。

そう考えると、「同窓会」なんて行ったことないし、まあ、しばらくは行く訳もないのだが、言ってみたら、案外に「いい奴」が沢山いるのかもしれない。まあ、昔ほどの嫌悪は感じないのだろう。それに 東京を軽蔑し、京都へ去った同級生 などの消息なども気になる。

そう、本題はそこである。カルトのような人脈話について書きたいのである。

なんというか、先日あった友人とも人脈話が飛び出す。半分は「あーあ、嫌だなあ」と思っているのであるが、なんというか半分は嬉しいような気分になるのである。変な話だが、同級生がしっかりと世間で活躍しているのを聞くと単純に嬉しいのである。

いや、これも屈折があるか。「あの馬鹿が、あれくらいできるんだから、俺は……」というお恥ずかしい思考がベースにあるのかもしれない。いわば、人の成功を自分の自信にしていうという訳である。

ただ、無意識に嬉しく、自分にも自信が湧くというのも、よい感覚だと思う。

物事には「自分でもできる」と思うからこそ、「俺はやらないでいいな」と思うものがある。人が成功したのを聞いて「ああ、あいつができるんだから、俺にもできるな」と思うからこそ、「うん、俺はやらんでいいな」と清々しく考えられるのである。

これが、もし、自分ができることに自信がなかったとしたら、変なコンプレックスになって、自分が本気で望んでいる分野でもないくせに、中途半端に手を出しかねないと思う。特に、世間の目に関わる分野では、自信がないからこそ、名声欲しさに手を出してしまうことがあると思う。

これは本当にやりたくてやっているのではなく、不安で認められたいという衝動のみに基づいているので失敗しやすいだろうし、仮に成功したとしても空しさが残るだけであろう。

自信があることで、人の目線に動じなくなり、自分の楽しみを追及できる。「俺でもできるだろうが、興味がないからやめて、あいつに任せておこう」という気分はよいものである。そして、自分の興味の仕事を明確かつ具体的にできる。この点に、私には余りに不釣り合いに優秀な同級生は、多いに資してくれている。

思えば、友人は鏡である。その鏡は自分と似た像を写しつつ、逆に、細部の違いを目立たせる。その違いの中から、より詳細な自分の興味を明確にしてゆく。

カルトのような人脈話をする人間たちは、そうした自信に裏打ちされた興味の明確化をしやすいと思う。そして、だからこそ更に仕事に打ち込み、自分の専門性を高めてゆくのであろう。

まあ、私の場合はそうした無根拠な自信が私のアホウな人生を形づくっているのだから、かえってアダとも言えるのだが。

なんだか、よくわからないが、こんなところで。

2007-09-02

サン・ハウスの衝撃

ふと今日はサン・ハウスの話をしたくなった。秋の音が聴こえる涼しい夜に、熱く乾いたブルースのうめきが突然に欲しくてたまらない。

正直に告白するが、私は高校生のときにサン・ハウスが分からなかった。聴いたのは、チャーリー・パットンとサン・ハウスがカップリングされた「伝説のデルタ・ブルース・セッション」だった。当時の印象は、様々な雑音の向こうから、かすかにがなりたてる歌声が聴こえるという程度ものだった。恥ずかしい。

それでも、サン・ハウスを分かっていると思っていた。良さはそれなりに分かっていた上で、「まあ、ああいう音楽だろう」という規定をしていたと思う。だから、ロバート・ジョンソンなどを聴いて、その解説に「ロバート・ジョンソンはサン・ハウスを超えた」などと書かれていても、あまり気にはならなかった。

数年前のことであった。私は激しくサン・ハウスにうたれた。場所は藝大の教室であり、高校時代の恩師の講義の席であった。当時、フリーランスのプログラマとなり時間に自由だった私は、連続講義の手伝いとして呼んでもらっていた。簡単に講義の準備を手伝い、あとは藝大の寮の一室で明けるまで酒を飲んだ。

まさか、そんな講義の席で、知っているはずのサン・ハウスに打たれるとは思ってもみなかった。見たのは、サン・ハウスの「再発見」後の映像である。

白黒のスクリーンに、やや老いたサン・ハウスが映し出される。彼はギターを構え、そして、軽く咳とも溜息ともつかぬ唸り声を出して、やや高く右手を挙げ ──

「アシスタント」として来た人間が、講義の資料を見て泣き出すというのは、どう考えてもおかしな話だった。いや、迷惑な話だった。

それでも、彼の音の前では、他に為す術がなかった。まさに神であった。彼は圧倒していた。細かい問題など全てを超えた演奏であった。

彼に圧倒され、私は己の小ささが痛かった。フォーム(姿勢)や音階、理論……ブルースの巨人は全てを踏みつけていた。私は彼の演奏の前で丸裸にされ、装飾品を纏わぬ己の惨めさを痛感した。いくら泣きやみたくても、泣きやむことはできなかった。

なぜ、彼の音楽はこれほどまでに私を打つのか? 私は彼の伝記や歌詞などに詳しくないので、ただ私の印象の話になるが、彼の悩める魂、深い業の呻きだからだと思う。彼は「捨てるべきではないとされるもの」を捨て、「進むべきではないとされる道」に進み続けたのだと思う。なぜか──分からないが、結局は他にはしようがなかったのだろう。

その後悔や悔いの呻き、しかし、それすらを受け入れるひたむきさ、そして受け入れつつも謝罪し詫び続ける哀しさ……こうしたものを、私は彼の音楽に聴いていると思う。不条理にして必然、必然にして不条理な、逃れることのできない人生を歩き抜いた男の響きが聴こえるようである。

思うにブルースマンは、なりたいと思ってなるものではない。なっちゃいけない、なりたくないと思いながら、嫌でもなってしまうものなのかもしれない。ブルースなんて歌いたくない、ブルージーに呻きたくないと思いながら、歌い呻くものなのかもしれない。いや、芸人になって旅をしたがった者も多かったらしいのだから、これは嘘か。

「奴隷開放」されて「資本主義」の世界にぶち込まれた「黒人」の心境なんて、私ごときが分かると言ったら、どう考えても嘘である。ただ、奴隷や農村強制労働の時にはあった共同体が崩壊してゆき、黒人が北米大陸を受け入れられないまま彷徨わなくてはならなくなったまさにその時、ブルースは美しい。

残念なことに、私は絶対にブルースを理解できないと感じている。先進国で信じられない程の物質とエネルギーを当然のように使い続けているせいもあるが、それだけではないだろう。分かる人は分かるだろうとも思う。私は分からないのだ。たとえ、「全て」を剥奪され、差別されながら社会の隙間を流浪することになったとしても。

それに、黒人にとっての福音(ゴスペル)の問題の問題が常にある。私は実はこの問題に関してキリスト教徒から見れば恐ろしい、全く危険な考えを持っているのだが、まあ、ここには書かないでおこう(いや、何が恐ろしいのかは分からないが。少なくとも私には何も恐ろしくも危険でもないが)。ゴスペルの問題はジョージア・トム(トム・ドーシー)の話でもする時のために取っておこうか。ゴスペルなしにブルースの理解はありえない。

サン・ハウスに福音、すなわちキリスト(救世主)の死と復活の問題について訊いてみたいものだ。牧師を捨て、ブルースに走った彼に。正当防衛とは言え、殺人者である彼に。

まあ、それもとにかく、私がブルースを理解できないのも、それはまた幸福なことか。ブルースは「悪魔の音楽」なのだから。

東京を軽蔑し、京都へ去った友へ

先日のエントリを書いていて、もう一人の高校時代の同級生を思い出した。

彼も京都に行った男だった。東京に残るのが大多数の中、京都へと去るのは異端だった。言わずとも、同級生への侮蔑が感じ取れたものだった。「もうこれ以上、東京でこいつらの間抜けな顔を拝みたくない」。これ以外に京都に行く理由はあるはずもなかった。それは皆が皆、無言の笑顔の内に理解していたことだ。

異端のこの男は紛れもない古い男であった。雀荘にこもった先の友人の如く、この異端はジャズ喫茶にこもった。時代錯誤のマントのようなコートで学生服を完全に隠蔽しつつ、酒をあおり、煙草を吹かして街を闊歩した。しかも、髪型は、あの平成の世に七三であった。信じて頂けないかもしれないが、これは事実である。

彼は評論を読み漁っており、社会学や文化論などの分野で卓越していた。彼は倫理か何かの時間に、数時間に渡って内容は忘れたが現代社会に関する発表をした。その多読に支えられた幅広い知識の量とそうした概念を裁くだけの論理技術、数時間の発表をするだけの構成力、独自の充分に練られた鋭い視点に、私は驚かされた。

また、ある同級生がした素朴な若者らしい日本社会に対する提言を盛り込んだ発表に対し、彼は残酷なまでに鋭い批評を加え、同級生の意見を木っ端微塵に吹き飛ばした。私の後の席にいた、普段は私と口をきかない男が「なにも○○が言ったのは若者らしい雑感なのだから、あれほど論理的に批評することはないだろう」と私の耳元で囁いた。

私はこの異端も嫌いだった。我慢ができぬ程に。一つには彼の音楽の理解を信用していなかったことがある。いま思えば彼の音楽への姿勢も切実だったのかもしれないが、当時の私はちゃらけて音楽を聴いているように思えてしまった。

また、多くの異端児と同様に、彼もマイペースだったことにもよる。ある日、どういう訳か彼から馴染みのジャズ喫茶に連れていってくれた。そこでジャズを聴くのだが、彼は居眠りを始めてしまい、私はどうにも手もちぶさたな気分となった。そして、学生服で歩く私の横で、無遠慮に煙草に火を付けた時に頭にきた。店でビールを一緒に飲むのは理解できるのだが、街中で煙草を吸われるのは状況的に嫌だった。私はその前にも、他の友人が煙草を吸って補導され、吸わない私も嫌な気分になるのを何度か経験していた。
「失礼だろう!」と私は言った。
「それは失礼」と彼は言った。

彼とはそれっきりとなった。


彼は京都で何を学んだのだろう。私は無意味にほとんど同級生をあまりに軽蔑していたので、同級生の進路を何も知らない。きっと文明論だろうと思う。優秀な彼は京都で学び、そして今はどうなったのだろう。研究者の道へ進んだか、シンクタンクなどに進んだのだろうか。

彼は優秀であり、鋭かった。だからこそ、思うのは、彼はその鋭さのあまり、どこかの野に潜む選択を取ったのではないかとも思う。「賢い選択」の基準は曖昧である。いや、そんなもの無益である。彼の優秀さと生意気さは、どこかで「飼われて」発揮される質のものではなかった。明らかである。だからこそ、彼は今頃、どこかの野に潜み、泥にまみれながら、更に鋭く爪を研いでいるのではないか ── そういう気がするのである。

実は、先の雀荘にこもっていた同級生と会った後、高校時代の恩師にメールをした。そのメールにて私は同級生の成長をほめたたえた。しかし、恩師は冷たかった。同級生が「彼自身に欠けている、と思い込んでるモノを無意識に埋めようとしている感がある」と返事をくれた。彼が「ガキじゃあるまいし、ドブにおちてないのか?」と言うのである。こうした話題はメールでは難しいので「次の酒の席に」というところで落ち着いたのだが、実は、私も薄々と何人か会う優秀な同級生に対し感じていたことである。

ジャズ喫茶の異端が、もし「彼自身に欠けている、と思い込んでるモノを無意識に埋めようとしている」のでなければ、今ごろは野に潜み、泥にまみれ、苦い汁をすすっている頃ではないかと思う。彼の有能さは、自分の力を発揮できる場所を求め、苦境へと自らを追い込んでいるのではないかと思う。

思うに苦境とはドブである。どう見ても普通の人なら落ちない場所であり、人から見ても、落ちても無益にしか見えない場所であり、自分だって、落ちて無益にしか思えない場所である。しかし、苦境を舐めずには発揮できない力が、人には存在するのだ。

そう考えると、雀荘の彼も、今更、医学部などではなく、そうしたドブの底をなめつくす方が、彼の野生なのかもしれないとも思う。彼は無理をして己から逃避をしているのかもしれない。ただ、私はドブにはまれ、などとは彼には言わない。言うべきでもない。ただ、彼がドブにはまらない幸いを祈るばかりであり、幸いを喜ぶのみである。

ただ、もし東京を軽蔑しつくして京都へと去った優秀な友よ、もし君がいま苦境を舐めるのであれば、それはそれで幸いである。それは君にとって必要な苦境である。君の力は発揮される。いや、既に発揮されていると言うべきか。その苦境は普通の人は落ちないのだから、私は君をほめたたえたい。

「馬鹿だなーお前、そんなに馬鹿だとは思わなかったよ」

[続き]

2007-09-01

「やさしい本」が役に立たない理由

巷の本屋を覗けば、どんな分野でも「すぐ分かる」「分かりやすい」「簡単に分かる」などと銘打った本が売っている。

私が主張したいのは、そうした本は読むだけ時間の無駄であるということである。これらは「分かった気」になる本であり、分かることはないと思う。一見、難解そうな本が、実は理解への近道である。

なぜか? それは「やさしい本」が何をしているのかを考えればおのずと分かる。やさしい本は、

  • デザインをきれい。
  • 図表が豊富。
  • 具体例や比喩が多い。
という特徴があるが、これのどれもが理解や記憶への遠回りとなるからだ。
***

まず、デザインがきれいであるということは、デザインが規格化されているということである。常に見出しは左上になり、項目は小分けになっている。可能なら一つのテーマが見開き一ページになるように調整し、書き切れない関連項目へはリンクをはったり、余ったところはイラストで補う。

規格化されたページは記憶には残りにくい。人間は場所や印象を強く記憶をする。つまり「あの見出しが左下にあったページ……」という形で、印象が刻まれるということである。読者も「あの内容は、何ページかも正確には分からないが、後の方のページの左側に書いてあったはず……」という具合にページをくった経験があると思う。その時に、見出しや図表が規則的でないからこそ起こるページの印象の差異を無意識に利用しているのだと思う。規格化されたデザインでは、こうした空間的な印象が利用しにくい。こうした印象が記憶に残らないことで、個別の理解は得られたとしても、全体の理解にはなりにくい。

更に、デザインがきらいな本は色が元々つけられているので、自分で色をつけたり、線を引くことがなくなってしまう。目印をつけるという「行為」によって、記憶を助けることがなっくなってしまうだろう。また、人工的な線や色よりは、自分の手で書いたいびつな線の方が印象に残るものである。

項目が細分化された場合には、全体性の把握が困難になるという問題も起こる。何かを習得するということは、個別の知識の理解ではなく、その個別の知識の全体性を獲得することだからである。デザインのために項目が細分化されてしまうと、全体性を感じることは困難になる。トピックが複数現われる長い文章を読む方が文脈の理解はしやすくなる。そして、それぞれの文章にトピックの重複があった方が、様々な文脈での当該トピックの理解を助けるだろう。一つ一つの項目を細分化して、短文で重複なく理解した方が効率が良さそうに思えるが、実は細分化しない長文を読む方が全体を感じて、その文脈の中でトピックを学べるので記憶に残るし実用的なのである。これは、英単語を憶えるときには、単語帳よりも、文章まるごとを練習した方が効率も実用性もあがるのと同様である。

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次に、図表が豊富というのも問題である。これは自分で知恵をしぼって図表をつくらなくなるからである。そして、図表を見ると「なんとなく理解できた気分」になってしまうことも問題である。それはチャートが様々な情報を切り捨てているからである。多くの知識は、マップになるようには概念整理がされていない。つまり、ある概念とある概念は、ある部分では重複していたり、また、関係のなさそうな概念が、ある特定の場面では強く関連したりするものである。法律のように、人工的に階層化した概念体系であっても、完全に全てを階層によってチャート化はできないと思う。常に例外と矛盾、重複や不完全さ(未定義)があるものである。チャートを眺めてしまうと、そうした部分を誤解してしまうかもしれない。

ただ、自分の理解のためにチャートを描くのは有益である。様々な局面ごとに、図式化して理解や記憶を助けるのは重要だろう。そして、同じ項目なのに、何度もチャートを描き「ああ、二次元じゃ、こことここの関係をうまく表現できないな」とか「うまく書けたが、ここは例外だし、他のあのチャートとは矛盾する」とか、チャートの限界とぶつかって来たら、理解が深まってきた証拠だと思う。

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最後に具体例や比喩も一見すると理解を助けるが、実は理解や記憶の邪魔になるという話をしよう。これは、当然のことだが、概念が抽象的なものであり、いかなる意味でも具体的なものではないからである。もちろん、具体的な事例から抽象されたものであるが、それが体系化され、運用される場面では、完全に抽象的に考えられる。

例えば、重力が関係する事例を具体的に考えることはできるが、重力を具体的に考えることはできないのである。本当に重力を考えるときには、完全に抽象的に考える他ない。同様に人権が関係する事例を考えることはできるが、人権は抽象的に法律体系なり政治学体系なり、倫理学体系なりの、知識体系の中で完全に抽象的に考えるより他に運用はできない。確率や比も、抽象的な理解が必要であるし、実は面積や長さだって抽象的であり、具体的には考えられない。

学生時代に数学や理科などが苦手な人は、こうした抽象的に捉えるコツを知らないからである。「なぜ、三角形の底辺と高さを掛けたのを二で割ると面積になるのか?」と問うが、なぜもなにもない。面積や三角形というそれぞれのトピックが、幾何学という概念体系の中で、そのようにマッピングされているからである。

過剰な具体例は、こうした概念理解を妨げる。そうした概念が「実体」のように具体的なものなのではないかと感じてしまうからだ。

例えば「長さ」や「速度」という概念も本当は抽象的なのだが、「物差し」や「スピードメーター」という道具との相性が素晴しく、日々、目にするので具体的に感じられる。それが「面積」や「加速度」にはそれを具体的に感じさせる道具がないので、どうしてもそこからは抽象的に考えざるを得なくなる。それを抽象的に考えられないから、つまづいてしまうのである。ここで提案したいのは、長さや速度を抽象的に理解するようにすれば、面積や加速度を考えるときにも躓かないと思うのである。つまり、「ものさし」や「車のスピード」などから徹底的に離れて、抽象的に考える癖をつけさせるのである。

どれも導入部の概念は具体的に感じられやすいものが多い。だから、「分かりやすい」本は、好んで導入部に直感的に理解しやすい具体例を豊富に使用する。しかし、こうした戦略は、具体的な理解が不可能な抽象概念になったときに破綻する。当然である。

そうであるならば、初歩の初歩から最低限の具体例は挙げたにしても、抽象的な規定をきちんと与えるべきと思う。確かに最初はとっつきにくいだろう。しかし、初歩の初歩にて概念把握を正確にできていた場合には、その概念体系を広げていくのみなので、抽象的にしか表現できない概念にぶつかっても混乱は少ないだろう。

***

概念体系に習熟することについては、西洋哲学書を初めて読んだときのことを思い出す。今でもちっとも分からなかった当時の悔しさを明確に思い出せるほど、当時はさっぱり分からなかった。

認識、感性、悟性、統覚……。そうした単語の意味が分からなかったからとも言えるが、そもそもそうした抽象思考に慣れていなかったからと思う。例えば「私がリンゴを認識する」などという具体例から「認識」を理解していると、文章を読めないのである。「認識」はずばり「認識」として把握しないと駄目なのである。「主体」は「主体」として納得しないと読めないのである。

そのためには一つ一つの概念を理解しようと思っても意味がない。体系を頭に入れるしかないのである。こんなことを知っていた訳でもないが、分からないのが悔しかった私は、受験勉強の合間に純粋理性批判を冒頭からノートに何度も写し、音読して暗記していった。当時は若かったから出来た力技であったが効果は覿面であった。読んでも分からなかったのが、一定分量を暗記すると分かったのである。そしてある時にズバっと読めるようになったのである。なんというか、はっきり「わかった!!」となったのである。

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そう言えば、フランス哲学が好きな友人が「カントはプラモ好きのオタクみたいだ。概念ってパーツをただ組み合わせているだけだ」などと言っていたのを思い出す。こうした彼のカント哲学への判断が正しいかどうかは本当にどうでもよいとして、確かに全ての概念体系というのはそうした側面を持つと思う。概念を体系にしていなければ、知識として役には立たない。その体系を利用して、他の体系の土台にしたり、あるいは具体的な場面に適用したりするのだから。

だから、ある意味で、部分的には知識体系はチャートにできる。だから、自分でチャートを書くのは有益である。ただし、そのチャートは完全なものとはなりえない。だから、何度も何度も書いてゆくものである。そして、そこに漏れているもの、そこに暗示されているもの、そうしたところまで感じてゆくことが大切と思う。

ただし、チャートはあくまで補助である。中心はよいテキストの読み込みである。よいテキストをある程度暗記してしまえば、理解はついてくるものである。理解しようともがく前に、ひたすら暗記してしまうのは、特に新しい分野の場合には強力である。そのためにも、よい教科書、よい書物を選ぶ必要がある。

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できるだけ古典的で難解に見えそうなものが、結局は入門書として優れていると私は思う。原書が一番の入門書であると私は常に思っている。分からないなら、暗記してしまえばよいだろう。私が法律を勉強するなら入門書など読まず六法を暗記して、次に基本書を読み込み、必要な部分は暗記するだろうし、経済を勉強するなら、重要な古典を読み込み、部分的に暗記をすると思う。

少くとも文学や哲学の分野で、原作を読まずに解説書や入門書ばかりを読む人間の気がしれない。どんな解説書や入門書であれ、その著作は原作とは別の著作になってしまうだろう。まあ、優れた解説書や入門書を作る人になりたいのは話は別だが、普通は偉大な思想家や文豪を理解したいのだろうから、人のゲロ(理解)なんて目もくれずに、直接にぶつかって、感じたことを感じたままにしていればいいのではないかと思う。そして、結局、そうした思想家や文豪の著作であったとしても、自分に対しては結局、一つの「資料」な訳で、参考にしつつも、縛られることなく、自由に自分の世界を感じてゆけばいいだろう。

そして、なにがしかを理解したと思ったら、文章を書けばよいと思う。作文は奇妙なほどに記憶を定着させる。試しにその分野の第一人者として、世界の学習者に向けた、歴史に残るような偉大な教科書を書く気分で文書を書いてみると、理解も深まるし記憶に残る。これは催眠術的な効果もあるのかもしれないが。

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最後に弁解のようになってしまうが、実は私も解説書を読むことがないわけではない。プライドが高いので、カントやニーチェ、ハイデガー、ドストエフスキー、ヘッセなど自分が愛読している思想家や文豪の解説書や入門書、評論などには目もくれないで生きていたのだが、人と話して自分がとんでもない誤解をしていることに気がつくことがあった。そして、それが典型的で有名な誤読であると目もあてられない。解説書や入門書にちゃんと批判してあり、えらい恥をさらすことになる。まあ、それでも私は未だに解説書や入門書などは金と時間の無駄に思って買わないのだが、やっぱり読んでおいて損はないのだろうとは思う。いや、私の理解力・読解力が低いのが原因の恥さらしなのだから、仕方がないと言えば仕方ないが、それでも見栄ってのはあるものである。

また、自分の視野が狭くなることを避けるためにも、関係分野の歴史を学ぶのを怠ってはならないだろう。ちなみに、これも私は怠る。だから、有名な人物とその作品とその主張や、有名な論争とその決着を知らずに恥をかくのである。これは言い訳無用で、とにかく歴史を学ぶしかない。系譜を辿るのは、それはそれで面白さはあるものである。

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結論はシンプルである。己の記憶力と理解力のみを頼りに、名著と歴史にぶつかってゆくこと。これである。

古い友人と会った

本日、友人と会った。

古い友人である。高校時代の友人であり、彼は卒業後に京都に行った。東京に残った私とは高校卒業以来会ってはいなかった。おおよそ10年ぶりの再会である。

優秀な男と一言では片付けられない男であり、どこか「やみ」(闇/病み)を持った男であった。高校生の私は、そうした彼の目の奥でチリチリする、暗い焔が嫌いだった。そう言えば、高校の教師は、彼が容貌や雰囲気において吉行淳之介に似ていると言っていた。

そう、古い男でもあった。麻雀の「マナー」に拘るあたり、昭和の男である。卒業文集において「雀鬼」でも「雀豪」でもないと記しているが、ともかくも雀荘にこもり、友人宅で飲み明かし、寝癖のまま、寝不足の赤い目をして学校に現れ、睨みつけるように、いや見下げるように、人々を見ていた。

いろいろな事情から一緒にいた時間は長かったが、あまり話さなかった。話しても、クラシックやロック、ブルースなどの音楽の話をするだけだった。彼は音楽に異常に詳しく、異常にのめり込んでおり、そういうところも嫌いだった。私が異常と感じたのだから、かなり異常なのだと思って間違いない。

それがどういう訳か、今日会うことになった。いくつかの偶然のタイミングが、彼の好奇心を刺激したのだろう。

会って驚いた。彼の興味や問題意識などが自分のそれと近かったのである。その射程、その方向性において、ほとんどドンピシャかと思った。本ブログの読者なら充分にご理解頂けると思うが、私の興味や問題意識の方向性や射程が合うことは絶望的に稀有なことである。

そして、彼もまた、同級生を馬鹿にしきっていた。嫌いだったのである。だからこそ、東京を去り、京都へと向かったのだろう。まあ、京都だろうがアメリカだろうが、状況が変わることはなかろうが。

私が彼を嫌いだっのは近親憎悪だったか、とも思い浮かぶ。高校時代を思い出すと、自然に笑みが浮かぶ。

音楽や文学、絵画、哲学などにのめりこむ若者は希少種である。私の高校では、アニメ・マンガ・少女マンガ、ゲーム、スポーツ(サッカー、野球)、ギャンブル(競馬、パチンコ)、グラビア女優などに興味を持つ者が多いに繁栄していた。そんな中、新潮のドスト本の、悲愴や苦悩、深い闇を表現するためにのみ存在するかのようなドストの顔は、いつ集中攻撃にあってもおかしくない代物だった。少女漫画を読む人間に、自分の感性を殺して、なぜそんな「おもしろくない」が「権威あるもの」を読むのか、媚びているだけではないかと責められたこともあった。そして彼は私の机に少女漫画を山と積んだものだった。

それこそ私はエロ本に隠れてカントやドストエフスキーを読んだものだった。いや、そりゃエロ本も好きだったが。そう言えば父が冗談じゃなく「正直、お前がエロ本でも読んでくれたら、俺は嬉しい」と言ったことがある。確か高校生の頃だったか。いや、お父さん、読んでましたし、オナニーもしてましたよ。安心して下さい。

彼もそうした希少種として、息を殺して暮らしていたのだろう。だから、私は彼の異常な音楽熱を見ても、彼の哲学、文学などへの興味は気がつかなかった。彼も私の読書内容には気づいていなかったようである。そして、互いに、なぜにそれほど音楽が必要なのかも了解し合ってはいなかった。

彼にとってもまた、音楽とは苦悩である。断言できる。苦悩という源泉がなければ、なぜ、甘美な光に焼かれるということが起ころうか。苦悩という源泉がなければ、なぜ、社会への適応という利点まで捨てまで、執拗に音楽を求めようか。人間の野生の本能が、音楽を、苦悩を求めるのである。彼の野生の本能を高校生の私は見抜けなかったのである、私が本能的に芸術を求めたのを少女漫画を勧めた友人が見抜けなかったように、

そもそも音楽とは苦悩の源泉であり、文字通り、苦悩そのものである。そもそも苦悩を求めぬ人間はいない。より深く、より鋭く、より熱い苦悩を、人間は求めるのである。これは悟っていない全ての人間にあてはまる。人は苦悩のうちに生まれ、苦悩を渇望し、苦悩を味わい、苦悩のうちに死ぬのである。しかし、いや、だからこそ、そこにおいてこそ、寂静たるニルヴァーナがあるのである。音楽は癒しでも救いでも断じてありえない。音楽の中、絶望の先にある沈黙を聴かねばならない。そう私は感じている。

いや、こんな話は彼とはしなかった。というか、こんな文は無意味に単語を並べたに過ぎない。ただ、彼の感覚や経験・知識などが充分に共に語って嬉しく、楽しめるものだっただけだ。まあ、酔ってただけと言われたら、返す言葉もないが……。

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