2007-09-13

古さを求めた、若き日の私たちへ

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思えば、おっさんになってしまった。

若さを失った後悔があるわけではない。また、歳を取ったことの充実感などでは元よりない。ただ、なにか最近はしみじみとした感慨を覚える。

これは何なのだろうか。

そういえば最近は、古い友人と会ったことから東京を軽蔑し、京都へ去った友へと高校時代を懐しむようなエントリを書いた。

高校卒業から早や9年。若き日を思い出せば、己の老けも感じるものか。

ただ、老けだけの問題ではない。刻々と時代が変わり続け、平成という言葉の響きにぴったりの世界である。そこで、高校時代を思い出した時、私や同級生が「古い」人間であることを驚きを持って発見するのである。

私の学生時代、既に昭和は遠かった。なぜ、あの時代、私の友は強い煙草を吸い、強めの酒をあおったのだろうか。なぜ、過ぎ去った時代の音楽を消化不良になるほどに貪り、半ば意味も分からずに文学や評論、哲学を読み漁ったのだろう。そう、なぜ高校生の私たちは上野へ、神田へ、早稲田へ行ったのだろうか。

高校時代の友人にいたっては「ジャズ喫茶」である。失礼を承知の物言いだが、そんなもの、もはや骨董品といってもいいだろう。また、先日会った友は京都で「ブルース喫茶」に通ったと私に告げた。そんなもの、関東以外を知らない私は存在自体を知らない。

今の若い人、いや同世代の人にさえ、LPやJBLの話をしても仕方ない。mp3やiPodの時代であろう。パーカーの話も、サン・ハウスの話をしても仕方ない。バッハの話をしても、トッカータ・ニ短調を口ずさまれるのがオチである。

だから、なんなのだろう。若き日の私たちは何をしていたのだろう。時代に反し、「古さ」を求めて。もしかしたら、「過去を知っている」という「強さ」を求めたのか?

***

ここで、高校時代の恩師の言葉を思い出す。「彼自身に欠けている、と思い込んでるモノを無意識に埋めようとしている」。

たしかに、そうだったのかもしれないし、今もそうなのかもしれない。私たちは無意識に、自分に「○○」が足りないと思い込み、無意識に埋めようとしたのだろう。ただ、それは思い込みであり、欠けているわけでもなく、埋めようとしても無益なのかもしれない。

分からない。ただ、心の底から言えることはある。私はそれを欲っしたということである。大量の音楽や文学、哲学、絵画、いくばくかの酒や煙草、博打を欲っしたのである。野性的と言っていい。本能的と言っていい。私はバッハやブルース、ドストエフスキー、ニーチェなどを欲っしたのである。

それが、何かになった訳ではない。はっきり言えばマイナス面が目立つ程である。

***

そこで、更に思うのは ── そう、思うのは、やはり、よくなかった、かもしれない、ということである。いや、分からない。

ただ、言えることがある。私が欲っしたものは、過去のものであった。既に過ぎ去ったものである。

更に言う。── 過ぎ去ったものは、去らせる他ないのである!

いや、分からない。分からないが、過ぎ去たものに、こだわってはならないのである。…… そう、言おう。私は音楽を聞き、本を読み、絵画を読んだ。いくつかの娯楽にも手を染めた。そして、言えることがある ── そうした、優れた物事が過去にあった。そして、それらは、過ぎ去ったのである! これだけである!

バッハを聴くとする。鑑賞し、吸収したとしよう。勉強したでもよい。ただ、それは結局、「バロック時代にこうした音楽が過去にあった」ということを学ぶのみであり、「バロック時代は過ぎ去った」ということを学ぶのみである。

ただし、これは簡単なことではない! 「過ぎ去った」という言葉の意味は深い。「失われた」という言葉の響きは、底の見えない穴へ落ちる時の音である。常に落ち続け、失われ続け、暗く、底がない。

私の言うことが意味を為すとも思えないが、これが、私が過ぎ去ったものを愛したことから学んだこととでも言おうか。過ぎ去ったものを愛すること、過ぎ去ったものを愛しながら生きることとは、深い井戸へと落ちることである ── ただひたすら重力に従い、やがて重力そのものとなり重力がなくなるまで ──。

***

だから、私は過去に愛したものから距離を持つ。ブルースやバッハ、ドストエフスキーやニーチェという響きから距離を持っている。その響きが、その底無しの闇へと繋がる響きは、死という言葉を連想させるからか。私は死にたくないからか。私は生きたいからか。

分からない。私は意気地無しになっているだけなのかもしれない。分からない。分からないが、リヒターのブランデンブルクの5番や音楽の捧げ物の響きが変わって来た。ドストエフスキーやニーチェという言葉の響きも変わった。

若き日の私は、今の私を軽蔑するだろう。確実である。しかし、そうした過去の激しい軽蔑や嫌悪すらも受け入れられるほど、私は歳をとったのである。子供は大人にならなければ死ぬしかない。結局は子供の私を、大人の私が殺し抜いたか ── 孤独に月を見ながら、静かに静かに勝利の宴でもあげるとするか……。

こうして「古きものを愛した、若い日が終わったのか」と感じる次第である。私には生きるべき「いま」があり、過去は「資料」となったとでも言おうか……ここに感慨はある……あるが、それは悔いでない。もちろん、資料は資料として、私のために働いてくれることだろう。