2008-02-24

友人の演奏会

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友人の演奏会があった。一応こちらにも雑感を書いておく。テンション高めなので注意。

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彼とは大学一年に出会った。既に8年の付き合いになる。

音楽を愛好する人間として互いにひかれた二人だった。しかし、彼の演奏を聴いたのはこれが初めてだった。そして、恐らく、これが最後か。

彼との出会いを思い出す。それは大学の入学式の前にあるオリエンテーション合宿の朝だった。私は大学に期待していなかった。だから、ややふて腐れたような気分で、それでも高揚を感じながら、「クラスメート」を眺めていた自分を思い出す。

彼は少し離れたところ、そう、確か校門のところに立っていた。

朝だった。やや冷える春の日の朝だった。その朝日の下、校門の脇に立つ彼が、優しい光を発していた。

彼とはすぐに意気投合した。合宿地へ向かうバスの中、音楽について様々に語り合った。すぐに二人は気心が通じた。得がたい友人を得たという実感だった。音楽の面で彼ほどに自分と似た境遇、近い感性の人間はいない。これは今でも思うことだ。

そう。大学の寮でバッハのリュート組曲から数曲を弾いたのを思い出す。高校時代に打ち込んだ曲だった。僕は組曲の二番、BWVの997、その冒頭の Prelude(Fantasia)を好んでいた。僕の表現を、彼は理解した。

彼との付き合いは、しかしながら早くも夏前には途切れてしまう。彼は大学に来なくなった。酒と女、そして何より音楽の魔力に取り付かれたか。私は詳細を知らない。このことを思うと、私は胸の奥で憂鬱な疼きを感じる。

あの頃の東京の空は暗かった。晴れた日の光すら、白々しく闇を照らしたものだった。

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先日の演奏会、彼は直接に私を誘わなかった。仲介してくれた人によれば「照れくさかった」らしい。彼は僕に演奏を聴かれたくなかった。大学にいる間にも演奏に僕を誘わなかった。「まだ」なのだろう、と僕は解釈していた。

そうして気が付くと、18で出会った二人は27になっていた。

しかし、それでも彼は私を「誘った」。きっと最後なのだろう。唐突に僕は思いついた。僕はそうなることを何年も前から知っていたように思う。言葉にするまでは思いもよらないことだったが。

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彼と僕はよく似ていた。気持ち悪いほどに似ていた。体格、肌の色、姿勢、仕草……。飲んでいて全く同じ姿勢で同じ台詞を同時に言うことが何度もあって、笑ったものだった。ただ、彼は優しく柔らかく、僕はきつく尖っていた。

彼の演奏を見て、僕は自分の中学生の頃のビデオを見ている錯覚に襲われた。何度か見た中学生の自分の演奏と、彼が極めてよく似ているのである。その姿勢、息遣い……。僕はギターで、彼は管楽器だというのに。

彼は数年間の努力の後、大学を卒業し、現在は会社員となった。業種は知らない。ただ、今回の演奏会の準備の労苦は並々ならぬものだったと思う。僕はこのことに対し何を書けばいいのか分からない。

演奏会には、彼が二十歳の頃から付き合っていた彼女が来ていた。彼女は昨年の司法試験に合格したらしい。彼女はそのまま名古屋に戻るらしい。本当に久々に会う彼女は、やや老けていた。私は彼女が彼と一緒に住まずに親元に帰ったことに驚いたが「おめでとう」としか言えなかった。他には何も訊けなかった。「じゃあ、遠距離?」という空気でもない。

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彼の演奏は素晴らしかった。ピアソラのブエノスアイレスの四季は、熱い嵐そのものだった。彼の集中力は熱い渦を現出させた。

ひたすらに歩みつづけるタンゴのリズムは、人の運命の歩みの音だ。それはただひたすらに人を運んでゆく。その避けがたい歩みの上で、人は躍動し、求め、愛し、気が付けば衝突し、苦悩は破滅的に渦巻いてゆく。それでも、僕たちは足掻き、求めながら、歩んでゆく。

なぜだ? なぜだ? 更に苦悩は渦巻いてゆく。ひたすらに時は流れてゆく。リズムは止まらない。人生は運命は連なってゆく。その苦悩は、その緊張は、破滅的に高まってゆく。答はない。そう、解決はない。どこにも、救いは無い。

彼の朝日のように透き通った音が、そこで何かを教えてくれた。そう。求めたからこそ出会いがあり、苦しんだからこそ愛があった。熱く煮えたぎり、渦巻いた後だからこそ、優しい哀しさが、暖かい喪失感があるのだ。それは春風のように心を駆け抜ける。

「それで、いいじゃないか。そうだろ? 本当に色々あったよな」

彼は確かにそう言うと穏やかに微笑んだ。哀しい独白は、なぜか人の心を暖める。

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演奏は終わり、僕は彼とほんの少しだけ話した。

何かがとっくに終わっていた。演奏会が始まる前に終わっていた。まあ、それでいいんだろう。俺も今ならそう思う。

それでいい。おめでとう! お前の音は、お前の表現は俺に伝わった。俺は一生忘れない。よかったな! もう終わったんだろ? 大丈夫。お前は天才だ。俺は、そう保証する。

直接、胸を張って言ってくれないのは残念だけど、まあ、分かったよ。

音楽、辞めるんだろ?

それで、いいじゃないか。そうだろ? 本当に、色々あったよな。