2008-04-13

祖母の知恵

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祖母は別に偉人ではない。それでも戦争を、殊に東京大空襲を生き抜き、激動の戦後を病気の祖父と二人の子供を育て抜いた彼女には、明らかにそれと分かる知恵があり力があり、身内のことで馬鹿みたいだが、幾度か私は大したものだと感じたことがある。いくつか祖母の言葉を書き留めておく。

  1. 「無理は無理だよ」 何かに失敗し、力尽きた人に言う言葉。彼女は決っして人に無理をさせない。「頑張れ」とか「だらしない」という言葉は彼女の口からは絶対に出ない。そう、無理は無理。無理を通そうとするから人間は苦しむ。人の出来ることには限度があり、無理は無理と諦めるしかない。
  2. 「気持ちがいいからやってるだけだよ」 彼女は朝に晩に死んだ夫の仏前で般若心経を唱える。しかし、それに宗教的な意味合いはないという。「するべき」とか「やったらいい」とかではない。ただ気持ちがいいからしているのである。死者のためだとか、功徳のためだとか、万が一にも悟ろうだとかとは無縁の、目的のない読経。恐らく、生きることも恩着せがましくなく、抽象的なものを妄想せず、ただ気持ちよくやっていくべきものなのだろう。
  3. 「自分おだてて笑ってりゃ世話ないね」 お喋りな彼女はよく笑う。自分が美人だったとか頭が良かったとか言って、けたけた笑う。健康の一番の秘訣だろう。ちょっとお馬鹿さんにしていると人生は明るく、周囲もくつろげる。
  4. 「おんなじがいいんだよ」 食事、掃除、買い物、風呂、就寝……。彼女の行動は決まっている。同じように同じ生活を日々繰り返している。大したことをしているわけではない。ただ、決まったことを決まったようにしているだけだ。炊飯ジャーも洗濯機も使わず、米は圧力釜で炊き、洗濯物は手で洗う。電話は昔ながらの黒電話。安らぎとは、変わらないこと、繰り返しの中にあるのかもしれない。
  5. 「あたしゃ大切なのは家族だけだね」 彼女の優先順位は完全に決まっている。複雑な事情の時の判断にも戸惑うことはない。答はすぐに出てくる。何故か。大切なものは家族だけであり、後のことは問題ではないからだ。家族のために精一杯やればいい。後はどうでもいい。―― あたしゃ家族のためには精一杯やったよ。彼女はそう言って、また、けたけた笑う。

私から見て、祖母は外人である。ドイツ人やアメリカ人の若者の方が明らかに文化的に近い。「何でもあべこべだねえ」と祖母は言う。恋愛や性への意識、結婚観、家族観……。数えればきりがない。全てが違う。日本語が問題なく伝わるのが不思議なほどである。本当にあべこべなのである。

平等も自由も博愛もない。からっきしない。性別や民族について極めて強固な偏見と差別を持ち、「女はどうあるべき」といった義務や忠義の意識が強く、やっぱり天皇陛下であり、当然のように中国人や韓国人に根強い侮蔑意識がある上、驚いたことに肉屋や食堂など「肉を捌く職業」にまで偏見があるほどである。結婚は見合い、つまり家と家がするものであり「恋愛結婚」は「恋の熱に浮かされた阿呆のすること」と言う。近所の目を必要以上に気にして暮らし、会えばいい顔をしてお喋りをして裏では陰口を叩いている。民主主義と全体主義の区別なんて夢のまた夢である。

すべきことは決まっているのである。ひたすらに女として家を守り、近所付き合いを大切にし、ひいては天皇陛下の日本である。「なんてったって天皇陛下のお膝元」に暮らす彼女は御満悦である。玄関開けたら皇室カレンダーで皇太子様一家の笑顔が出迎えてくれる。「何であのカレンダーかけてんの?」と私が訊くと、なんとなく気持ちがいいと答えるのである。モンゴル人がチンギスハンの肖像画を飾っているのより意味が分からない。

私は年寄りが大好きである。外国人とブッシュあたりを小馬鹿にしつつ酒を飲んでクラブで踊って、疲れちゃったねとか言ってカラオケで始発を待つならば、年寄と大福でも食べながらお茶を飲んだ方がよっぽど刺激的である。老人の話は、生きる知恵、この国の姿、この国の歴史そのものである。そして、そのどれもが、文書になることを頑なに拒む性質のものである。「それ」に触れねば分からない。書いたそばから嘘になるのである。もしかしたら、この文体でなければ彼らを記録できるのかもしれないが。