2008-05-02

メキシコとドイツの友人の間で

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中国人の話を思い出したら、メキシコ出身の留学生と組んで、ドイツ出身の留学生と討論したことも書きたくなった。何の役に立つわけでもないけど、前回に続いて大学時代の回想。

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ホセはメキシコからの留学生で社会学を専攻していた。彼はそれまでにも西洋によるラテンアメリカ文明の破壊を批判することが度々だったが、西洋人を前にして話すのを見るのはその時が初めてだった。

メキシコ人の認識として、独自に育まれ栄えていたラテン・アメリカの文明は西欧によって破壊され、長い植民地支配を通じて徹底的に搾取されたという思いが強い。その破壊の爪あとは深く現代に至っても十分に社会機能が回復したとは言い難く、それに加えて西欧の搾取的圧力は未だに続いていると捉えている。要求するところは西欧による社会破壊の補填ないしは回復の補助、そして、現行の搾取的圧力の停止、というところである。

何の切っ掛けだったかホセがカールに西欧批判を始めた。私はいつも聞いているホセの話に耳を傾けつつ、ドイツ人のカールがどう答えるのかを楽しみにした。

カールはアホなやつである。世界で一番アホなやつだと思う。これは罵倒の意味ではない。一緒にいて楽しいという意味だ。こいつは様々にアホ話を考えつづけ、日々女の尻を追っかけまわしていて、一度だけだけど過ぎた火遊びの消火活動を手伝ったこともある。

「西欧がいかなかったらどうだったと思う?」私の予想を裏切り、アホのカールは切り返した。「あなた達の文明の価値自体を認めないわけじゃないが、二つの点でそうした単純な西欧批判には私は常々疑問がある。

一つには恐らく、私たちの介入なしには自由や平等といった人権は守られず、奴隷としての人生を生きる人が存在し、女性は差別され、人々に自由は与えられなかったであろうが、それをあなたは認めるのだろうか。

二つ目には、科学――これは私たちの合理精神の際たるものだが――抜きにしては、工業技術や医療・都市衛生技術の恩恵を受けられないわけだが、私はそうした生活がそれ以前の原始的で迷信にまみれた社会よりもよいと思うのだがどうだろうか?

つまり、政治的な面と経済・健康的な面から見て、西欧は多大のものをあなたたちに与えたと私は思う。ゆえに、西欧がラテン・アメリカを訪れたことは――勿論、幾分かの過ちを私たちが犯したことを認めるにしろ――、あなたがたにとっても実りの多いものだったと私は思う」

アホのカールはバリバリに論理的ドイツ人モードで話し出した。カールは「土管がドカン」で三日間は笑ってられるアホなのだが(異文化の笑いは難しい 参照)、ドイツの教育を受けているのでちょっとした話になるといやに論理的に話し出す。

以前にも、カンボジア人の留学生がカールを見て「ハイルヒトラー!」とかやりだして「ねえねえヒトラーについてどう考えてるの?」「ホロコーストについてどういう風に考えてるの?」といい始めた時にも理路整然とそうした問題に対して納得のできる答をしていた。私は最初ヒヤヒヤしまくったのだが、独裁者と虐殺の問題は若きカンボジアのエリートにとって非常に重要であり、有益な話を聴けたと感謝していた。最初に「おい、カンボジア人、空気読め」とか言いそうになった自分が恥ずかしくなるほど、ドイツ人とカンボジア人はそれぞれの国の独裁と虐殺の問題をしっかりと受け止め、有益な意見を交わした。

ホセはこう答える。「文化にはそれぞれ独自性がある。

それに女性の差別を西欧によって撤廃したというのは嘘だ。ジェンダー論による近代批判が示しているように、西欧思想は新しい形の男女差別を生み出したことは疑いようもない。所謂、近代家族制度の下で、労働を支える妻としてあるべきと女性は差別されたのは明かだ。これを前近代の家族制度と比べること自体が馬鹿げている。

「自由」や「平等」にしても、西欧がもたらしたものというのは傲慢ではないだろうか。何しろ非西欧人にとっては西欧思想とは白人優越主義であり帝国主義であった。つまり、私達を植民地支配し、自由と平等を奪い去るものに他ならなかったからだ。君達がもたらした不自由と差別は規模の面でもその深刻さの面でも極めて恐ろしいものだったんじゃないかな。僕たちにとっての自由や平等は、あくまでも西欧への抵抗から生まれた」

んで、矢野はどう思う? とか振られる。まいったな。「まあ、俺は基本、ホセだな。西欧近代がもたらしたものは災難だったと俺は思う。日本だって西欧に不平等条約された訳だし。

仮にお前らが来なくても、日本は十分な生産力と技術を持った国になったんじゃないかなあ。江戸時代の後期には既に工場での労働集約も行われていたし、都市衛生も進んでいた。そのうち平等も実現したんじゃないかなと思う。

ただ、確かに西欧の技術はやっぱり凄かったんだろうというは思う。明治時代に科学を学んだ人の本を読むと、いかに西欧科学が圧倒的だったかを感じるし、そして、そうした合理主義と当時の日本の土壌がいかに断絶していたのかを痛感する」

「俺は技術も認めない。合理主義もだ」とホセは言う。「それがどう役に立った? 技術に支えられた社会の産業化は、貧困を生んだだけだろう。それまで木や葉っぱを使って自分で家を立てられた人々が、産業化した社会においたてられて、ゴミを拾って暮らさざるを得なくなるようなことが起こる。それまでしっかりと生きてゆけた人が、突然「無教育」な社会不適合者になるんだ。

貧困を生んだのはお前ら先進国だよ。カネを貸しつけて、莫大な負債の利子で俺たちを苦しめる。そして傀儡政権を作って自由に政治もコントロールできる。貧富の差は拡大し、慢性的にインフレが民衆を苦しめて、一部の富裕層ばかりに富が集まるんだ。

それに、お前ら先進国なら最新技術の商品を見て喜べるだろうけど、僕たち発展途上国ではフラストレーションの対象なだけだ。買えないんだよ、単純に。アメリカや日本で作られたTV番組やCMを見るにつけ、貧しさを痛感するだけだ。学校の放送室でロックを流すというようなアニメがあったんだけど、僕はそれを見て心底腹が立ったよ。メキシコには音楽を流せるような放送室を備えた学校なんてあるわけないんだから。そんなものは俺は見たくないんだよ。

技術は金持ちの独占だ。ドイツや日本はいいよ。知財だって有利だ。メキシコはどうなる? 最初から競争になんて入れやしない。そして貧富の差はどんどん拡大してゆくんだ。僕にとっては技術なんてものは何の恩恵もなかった。そりゃテレビは見るよ、日本製だけどね。政府に独占されたチャンネルで、面白い番組はアメリカや日本で作った番組だらけだけどね。だからそんなもの無くてもいい。技術なんて僕たちには関係ない」

「それでも西欧の援助で救われる人がいる」とカールは言う。「医療や衛生という技術は実際に人命を救っている」

「僕たちにとって目の前で感じる西欧の技術は軍事力だよ」とホセは言う。「医療と衛生? 馬鹿馬鹿しい。銃とミサイルだよ。西洋の技術で救われた以上に多くの人間が、西洋の技術で殺されたとは思わないかな? 西洋は強さそのものだ。僕達は無力で搾取されるだけだ。槍と剣の時代なら民衆も立ち上がれただろう。でも現代兵器を前にしたら完全な虐殺があるだけだ。戦車や戦闘ヘリどころか、戦闘ロボットまで作っているんだろう。軍事力の格差がこれほどに開いているのは恐しいことだし、本当に愚かしいことだ。

そうそう。知ってるかな? カリフォルニアとニューメキシコは僕たちの土地だったんだ。長い独立戦争がやっと終わってまもなく、1848年の米墨戦争でメキシコは全領土の3分の1をアメリカに取られたんだよ。許せないのはカリフォルニアにいる人間自体がメキシコ割譲地の話を知らないってことだ。メキシコの軍隊ってのは何のためにあるか知ってる? まさかアメリカと戦える筈がない。僕たちは彼らと戦える武器は買えやしないからね。メキシコの軍隊ってのは、自国民を服従させるためだけにあるんだよ。これがアメリカに支配された国の現状だ。

技術ってのはいつもアメリカの技術だ。政府はアメリカの言いなりだからすぐに関税が撤廃されて、技術的に未発達の産業はすぐに吹っ飛んでしまう。そのくせメキシコが優位な産業では関税は撤廃されない。本当に自由貿易協定はクソだよ」

「それはあまりに一面的で歪曲した見方だ」とカールは言う。「現実に西欧が人類を幸福にしているじゃないか。幸福にしているからこそ、西欧の原理が受容されているんだろう。

もしも西欧の原理が否定されるべきならば、代案が出ているはずだろう。政治では民主主義国家がそれぞれの国民の主権を代表しつつ利益を守り、経済では資本主義市場が合理的な分配を可能にしている、文化でも文化産業が表現の自由の下に皆に需要される娯楽を十分に提供している。それらは何ら否定されるべきものではない。しかも、その普及は常に進んでいる。グローバリゼーションの下で世界はやっと一つになろうとしているんだ。民主主義と市場原理とポップカルチャーが国境を越えた平和を実現しているんだ。

君は、民主主義を否定するのか? 主権在民を否定するのか? それとも国民国家そのものを否定するのか? 国家主権の不可侵がなければ国民を守るものは何も無くなってしまう。世界政府はただの幻想だ。そして、国家主権が民衆にあることがことを認めねば、国家は国民を守らないし、利益が反映されない。そのプロセスは民主主義以外にはありえない。

資本主義を否定するのか? 市場原理を否定するのか? 私的所有の不可侵を否定するのか? 契約の自由を否定するのか? 誰もが自由に契約を結べ、自分の財産が守られ、その上で、誰もが自由に平等に市場で取り引きできる。純粋に合理的なゲームがそこで行われている。これを否定するのか?

ポップカルチャーを否定するのか? ジャズやロックの普及、アニメや漫画という娯楽が自由に発信され、享受されたのは、文化産業の恩恵だろう。誰もが自由にアートを創作して、誰もが自由にそれを鑑賞できる。

君たちが、西欧に批判をするときは、あまりに現実を無視し続けている。ただの理想論だ。現実を批判することなんてない。それを非西欧というコンプレックスで無駄に西欧批判をするなんて尚更に虚しいことだ。誰もが一票を持っている。誰もが市場のプレイヤーになれる。誰もが文化を創出できる。誰も止めていない。自由で平等な社会だからだ。君たちは、その自由で平等な社会で活躍する能力や勇気が少しばかり足りないだけなんだ。そして、その制度に批判を投げる。過去やナショナリズムに引き摺られてね。未来を見ていけばいい。西欧の原理は未来を生み出せる。

更にホセに言わせてもらえば、確かに過去の侵略の歴史は申し訳なかったと思うが、それでも現代に残っている発展途上国の債務は結局は君たちの国の人間が使ったのだろう。君はそれを一部の富裕層が使ったと言うのだろうが、それは説得力がない。民主主義と資本主義の未成熟があったから不幸にして一部の旧支配階級が甘い汁を吸ったのだろうが、それは貸した側を責めるべき問題だろうか。それは国内の問題だ。実際、日本は過去にあった債務を返済し終え、今では債権国となっている。そうした経済発展をこそ見習うべきじゃないのかな。そして、一部の利権を許さないような民主主義と資本主義の発展が大切なことだろう」

「全然違うよ」とホセは言う。「確かにメキシコだって選挙はあるよ。でも、メディアだって何だって親米の奴等が持っているんだよ。普通の人には絶対に自由貿易協定がどんな打撃をメキシコに与えるかなんて分からないんだ。それに大統領は勝手にアメリカに油田を渡してしまったりするんだよ。普通の人には全然分からないところで話は決まっていって、富める人は更に富み、貧しい人は更に苦しくなるんだ。

1994年のメキシコの通貨危機だってそうだった。92年のNAFTA(北米自由貿易協定)によってメキシコに大量のマネーが流れ込んでバブル状態になり、そのバブルがはじけてペソが大量に売られてメキシコ中央銀行のドルは底をつき、ペソは通貨切り下げ、大変なインフレになり失業者が溢れたんだ。それでも一部の富裕層は、その時に政府が発行した国債で儲けたんだよ。そしてIMFが介入して、税金を上げ、福祉の予算を減らすんだ。こうして全然関係ない市民が、国際金融のきまぐれで生活が苦しくなるんだ。僕はお父さんとお母さんがいつもお金のことで喧嘩をしているのを見て、とても苦しかった。僕のお父さんは大学で教えていたけど公務員の給料が切り下げられてしまったんだ。

発展途上国は先進国のマネーの流入に対して無力なんだよ。いや先進国であったとしても国際金融のマネーにはどんな国だって無力と言っていいくらいだ。イギリスのポンド危機、97年のアジア通貨危機、98年のロシア財政危機を考えてみてよ。どれも普通の人が苦しむんだ。通貨が金儲けの道具なんておかしいんだよ。苦しむ人がいて、そこで莫大な儲けをはじきだす人がいるシステムを、僕はどうしても許せない」

「それは偶然の事故、あくまで例外だよ」とカールは言う。「国際的な為替の取引は、通貨の安定の為に為されているんだ。誰かが儲けられるかもしれないが、それはその人が能力があったということじゃないのかな。もしも、通貨を市場原理によらない他の方法で定めてしまったら、実物経済と通貨の力関係のバランスがおかしくなってしまう。それは90年代のそうした不幸はあったにしろ、全体としては経済も通貨も安定を保っている。どんなに優れたシステムであれ、ある程度の事故は起こるものだよ。そうした例外ばかりを見て、どこか一部の人間が私腹を肥やすためのシステムというのはあまりに穿った見方だと思う。

それに流入した投資が行われた以上、それを活かすという選択肢はいつもある訳だ。結局、ペソの暴落だって、その前に実体経済を上回る投資が行われたバブルだった訳で、仮に、その投資に見合うだけの経済成長があればよかったんじゃないかな。失敗を恨むよりも、チャンスを見詰めた方がいい」

「発展途上国の人間に、そんなこと出来るわけないだろ」とホセは言う。「だいたい教育が先進国と全然違うんだよ。それにワシントン・コンセンサスが債権者を守るためのものであるのは明かじゃないか。そこで暮らす人々のことなんてこれっぽっちも考えていない。僕が言いたいのは、成功のためのチャンスを与えるシステムはいいから、何もしていないのに苦しい目にあうようなシステムをやめて欲しいということだ」

「リスクがあるのは必然だ」とカールは言う。「リスクのない社会なんて存在しない。狩猟であれ農耕であれ常にリスクは存在する。だからこそ、人は同じリスクを負うのならば少しでも成功を目指して努力をしてゆくのだろう。ホセは怠け者の言い訳にしか聞こえない。ホセの言う投資家だって、失敗する危険性を背負っているからこそ、リターンを得られるのであって、常に成功する投資家なんて存在しない」

「それは違う」とホセは言う。「必ず儲けているんだよ。機関投資家は。どんなに失敗した投資をしても彼らは数十億円という収入を得ているじゃないか。彼等が損を出したからと言って、給料が払われなかったりすることなんてあるかい?」

「それは、彼らを雇った人間、つまりは会社の株主なり銀行なりが担保しているんだろう」

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はあ。なんだか疲れたのでここまで。読んでくれたあなたも御苦労様。まあ、そんなこんなで話はいつまでもいつまでも続いたとさ。めでたしめでたし。