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携帯電話と Windows には共通点した問題が存在する。それはユーザからは理由が不透明な、不完全さを持っているという点である。
携帯電話では通話の途切れが起こる。我々は無意識にしろ意識的にしろ、目に見えない《電波》を気にしつつ話さねばならない。通話が途切れると「電波悪いね」と言う言葉で納得を与えるだろう。
ところが実際には、電波が悪いことは我々に知られることはない。ただ通話が途切れたということの説明としてのみ電波が語られるだけである。それは本質的には《理由》ではない。
Windows ではどうか。
Windows も同様に速度が低下し、時にフリーズする。 その説明が常に存在しない。 少なくとも私を納得はさせない。
レジストリだとかスタートアップだとかファイルのゴミだとかアップデート時のゴミだとかが語られるが、それらは断じて《理由》ではない! 「あ。これだったかー。これ取ったら元通りだ」ということがありえない。
私たちは理由も分からずに、致命的な障害に堪えなければならない。
我々は携帯電話や Windows の不完全さを生産者の責任にはしない。
大概は仕方のないこととして諦め、時に何故かユーザのせいにする。「地方だから」「ウチ、電波悪いんだわ」「携帯、古いから」「山入るとダメだねー」「変なサイト、アクセスしてない?」「ごちゃごちゃ訳の分からんソフト、インストールするから」「Windows は定期的に再インストールしないと駄目なんだよ」(!!)……。
訳の分からないうちに、小さな苛々が蓄積される。
確認しておくが、携帯電話にとって通話とは致命的な機能であり、OS としてタスク管理は致命的な機能である。つまり、通話が途切れる電話は電話じゃないし、理由不明に速度が低下したり、あろうことかフリーズするような OS は欠陥品である。
こうした苛々に私は堪えられない。それは道具にはなりえない。徹底的に私を支配しようとする技術である。