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前回の記事である「高校生のための芸術講座(2) ブルーズ(ブルース)の歴史」まででコアなデルタとテキサスのブルーズの概観はできた。そして、それがアメリカ社会の都市化に合わせてシカゴ・ブルーズやモダン・ブルーズになることを簡単に述べた。
さて、それでは予告通り、今回はロックの歴史である。既にロックなんて君達ガキの音楽というよりはオヤジのものという感覚があるかもしれない。現にアメリカではロックの人気をヒップホップが越えたと聞いている。しかし、それでも尚、未だにブルーズフィーリングを受け継いだロックが若者を魅了し続けているのは事実だろうと信じている(君達が知っているか知らないが、最近でもThe White Stripesなどは結構、昔の曲をやっている)。簡単な概説に過ぎないが、君達が少しでもアメリカの歌心の深い伝統のようなものを感じてくれれば幸いである。
ヒルビリー(カントリー&ウェスタン)とフォーク
まず前回がブルーズのみであり白人が完全無視されていた。しかし、ロックを語るためには当然、白人の影響を抜きには考えられない。簡単な説明をしたい。色々あるが、ここではそれは「ヒルビリー」と「フォーク」の二つをひとまず簡単に眺めておくことにしよう。
まず「ヒルビリー(Hillbilly)」とは簡単に言えば、アパラチア山脈周辺に昔ながらの生活を続けるアイルランド移民の民族音楽であると言える。アイルランドと言えば「酒と女と唄」なわけであり、彼らも本国を離れ、山で暮らすうちに音楽も変化したのである。特徴として軽快なリズムでフィドル(速弾きなヴァイオリン)やバンジョー、あるいはマンドリンなどの音が彩りを加えている。このヒルビリーが元になり「カントリー&ウェスタン」となったと単純には言えると思う(現実にはこういう話は単純ではないので難しい。アメリカには様々な移民がいて、それらが複雑に影響し会ったのだろうから)。アメリカの田舎の白人が集まって陽気に踊ったり、あるいはタフなカウボーイが酒場で惚れた女を思い出している場面の音楽を思い浮かべてくれればよい。まず、こうした音楽伝統があったのだと理解して欲しい。
次に「フォーク(Folk)」というジャンルがある。今話しているのは70年前後の「反戦フォーク」ではなく(勿論、それにも繋がるが……)、「アメリカの伝統フォーク (American Traditional Folk)」 である。勿論、ラテン・アメリカのフォルクローレでもない。フォークという語は元々「民族」という意味であり、その意味から言えば民族の唄、民謡というのが原義であろう。このジャンルはそれこを奥深く、私も何が何だか分からないのだが、ひとまずジャズやブルーズなどの黒人ジャンルではなく、1910年前後以前にアメリカで自然発生したり、クラシックとは異なるコンセプトのもとに作曲された音楽と言えるかもしれない。よく分からない。ひとまず、学校でも習うフォスターの音楽のようなものを思い浮かべてもらうといいかもしれない。かと思うと全然曲調の違う曲も沢山あるのだが……。
何も知らない高校生の君を混乱させても仕方ないから、ひとまず図式的にこう理解してもらいたい。まず、ヒルビリーというアイルランド系のノリと哀愁ある音楽があり、フォスターの曲のような叙情の曲があった、と。まあ、こんあ話は与太話だから真面目な君はジャンル分けを自分で調べてみるとよい。そこには泥沼が広がっている。ジャンルなどというのは、後世の人間が勝手に付けたただの言葉なので、自然発生の音楽の場合、そんなもんである。ひとまず、君の理解を促進するため、私の話はかなり正確じゃない。こんな与太話、絶対に信じちゃ駄目だし
絶対に人に話してはならない。
こんな言葉より、実際に「アメリカ伝統音楽の父」のレッド・ベリー (Lead Belly, 1888-1949)(黒人)(Internet Archiveに音源あり)や、ウッディ・ガスリー(Woody Guthrie, 1912-1967)(白人)などを聴いてもらうしかないかな。まあ、それは入口なんだろうね。ボブ・ディランは「現行の音楽をすべて忘れて、ジョン・キーツやメルヴィルを読んだり、ウッディ・ガスリー、ロバート・ジョンソンを聴くべき」と言っているらしい。
R&B (リズム・アンド・ブルーズ)から白人ロックン・ロールの成立 (1950年代)
さて、こうして白人の状況も分かったら次に、知って欲しいのは戦後の黒人音楽のもう一つの流れである。というのは、都市の黒人が皆マディーやハウリンだった訳じゃない。都市で、ある程度白人を視野に入れて音楽的に成功してゆく黒人がいたのである(本当は戦前も沢山いるのだが、省略)。そうしたデルタ・ブルーズと比べたら洗練されて甘くノリがよく、親しみやすい音楽を広く「リズム&ブルーズ」と呼ぶ(また、既にそうした音楽を「ロックンロール」と呼ぶことも可能であるし、R&Bの意味が変化した現代では、そちらの方がよく聞かれる)(ここにはニューオリンズ・ジャズの影響も忘れられないが、ジャズはまたいつか)(そういやゴスペルの話はどこでする?)。
ロックンロールの系譜をたどるとすれば、有名なのは、ファッツ・ドミノ (Fats Domino, 1928-)、「ロックの生みの親」リトル・リチャード (Little Richard, 1932-)、「Johnny Be Good」のチャック・ベリー(Chuck Berry, 1926-)などである。
さて、そうした黒人の音楽のR&Bをラジオなどで聴いた白人の若者は魅了される。これが「ロック第一世代」とも言うべき面々であり、ここにロックンロールが始まった(あるいはロックンロールではなく、ロカビリーとも言う。これは Rock と Hillbilly による造語である)。
ここでかのエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley, 1935-1977)が登場する。君達は知らないかもしれないが、エルヴィスとは、一定以上の年齢層にとっては神であるので注意が必要である。抜群の歌唱力でリトル・リチャードやアーサー・クラダップ(黒人ブルーズ歌手)などのR&Bを歌うほか、ビル・モンロー(白人カントリー・ブルーグラスの巨人)などを歌うのも、ロックンロールの成立を考える上で興味深いと思う。
残念なことに、君達はエルヴィスと言えば「ラブミーテンダー」であったり(いや、あれはあれでスゴいけどね……)、復活後のラスヴェガスでの中年の脂ぎった映像かもしれない。それは違う。勿論主観の問題もあるだろうが、彼の初期の若々しい映像を見れば、現代まで続くロックのヒーローの原型は間違いなく彼であることに気付くだろう。エルヴィスはロックを語る時に避けては通れない。是非、黒人色の強かった初期のものから聴いて欲しい。
白人の音楽としての「ロック」と黒人の「ソウル」の成立 (1960年代)
ここからが、本題である。エルヴィスら「ロック第一世代」の影響を受けた次の世代の白人が、ロックをより自分達のものにしてゆく。そしてバンドを組み、自らの思いを曲にするという現在にも繋がるスタイルが成立する。かくして白人の音楽としてのロックは本格的に産声を挙げ、60年代後半の高みへと向かうのである。
その一方で、黒人達の間では「ロックンロール」ではない「R&B」も引き続き続いてゆき、その一部は「ソウル」へと向った。アメリカの黒人達は、「白人のもの」のロックとは異なる表現を求めたのである。また、ジャニスやジミヘンを考える場合、ブリティッシュ・ロックの影響などというより、そうした黒人のR&Bシーンを考えるべきだろうし、何より、ブルーズの伝統の文脈で理解した方が理解しやすい。ジミヘンもジャニスも強くデルタやクラシック・ブルーズからの影響を認めている。
- The Beatles (UK)
- ポールとジョン。基本その一。
- The Rolling Stones (UK)
- キースとミック。基本その二。いかにも。
- Jimi Hendrix (1942-1970) (US)
- 孤高の天才ギタリスト。彼を越えるギタリストは現在出ていない。イギリスで売り出さないといけなかったのは、ロックの世界では珍しい黒人だからかもしれない。私は中学生の頃から必死に真似している。
- Janis Joplin (1943-70) (US)
- ロック史上最大の女性歌手。私は小学生の時に惚れた。「Summer Time」が死ぬほど好きである。
- Led Zeppelin (UK)
- キンクス、フーなどを原型とした「ハードロック」の様式をディープ・パープルらと共に確立してゆく。私はこういうのに、あまり興味はないが、たまに何気なく「天国の階段」を弾いている自分に気付き驚くこともある。
- Grateful Dead (US)(Internet Archiveに音源あり)
- 「ラブ&ピース」で有名なフランシスコの反戦ムードの中で熱烈な支持を集める。「ヒッピー」って言葉を君達は知っているだろうか? 彼らは「ヒッピー」文化の音楽的中心である。未だにアメリカのロック・シーンで熱狂的な独自の地位を保ち活躍している。
ライブ音源の配布をフリー(パブリック・ドメイン)としており、録音機材を持ち込む客のために録音用のブースを作っているほどである。こうした録音し音源を配布する者は「デッドヘッズ」と呼ばれる。インターネットでの楽曲の配信が普及した昨今、音楽と著作権の問題を考える上でも存在感を示している。
簡単に見れば、ビートルズ、ストーンズというイギリス初のロックがアメリカのロック市場に殴り込むという形が前半に起き(もちろん、ビーチボーイズも忘れてはならないのだろうが、私はあまり好きではない)、一方、後半は、アメリカの反戦、反権力の空気がフォークやロックと手を結んでゆき、「自由」や「愛」「平和」を歌うロックは激しい高まりを見せたと言えるだろう。
その一方でその激しさゆえの行き詰まりも早くも見え(青少年の非行や麻薬常習、ライブでの死者などの問題)、一方で商業主義との勢力との戦いも熾烈となる(ロック・テイストなポップスが次々と作られていった)。そんな中で70年からジミヘン、ジャニスとドアーズのジム・モリソンが次々と死んでしまう(死因はドラッグの過剰摂取とされる)。かくしてロックは方向の見直しが行われ、既に確立した演奏のスタイルや技術を元にし、より多彩な表現へと70年代のロックは向かってゆくだろう。
ここまで読んでくれて御苦労様。どうもありがとう。
ロックの歴史を一から書き起こすなんて無茶もいいとこで、前回では一回で現代まで書くようなことを書いたが、無理な話だった。ここで一度切ることにする。
実はここはいい切れ目なのである。それと言うのも、60年代でロックは死んだという意見が根強いからである。一方、60年代のロックを「60年代ロック」と呼ぶことで相対化する意見もある。
ロックの本質に思いを馳せ、それが終わったとか変わったとか考えるのは君の自由である。そうしたことを考えるのも時には役に立つ。しかし、時代は常に変化し続け、変わらないものなどあるはずがない。もし、君達が昔のことばかりを気にしているのを見たら、私は悲しい。「ロック」が何であれ、つまり、それが終わったにしても、続いているにしても、君達は自分の音楽を見つけ、それを歌って欲しい。もし無ければ自分で生み出して欲しい。
「ロック」なんて、ただの言葉に過ぎない。君達は自分の人生を生きているのであり、音楽とはその君達の人生の中で、君達が育ててゆくものなのである。君の人生に関係のない音楽なんて、君には関係がないじゃないか。君が本当に満足する音があるかもしれない。君が本当に満足する歌があるかもしれない。そして、それは君達の世代が皆求めている音かもしれない。「ロック」だとか「パンク」だとかのコトバなんて関係ない。ただ、君の人生が、君の心が、音楽を感じれば、それでいいんだ(だから、こんな奴の書いた文章を信頼してはいけない)。
ただし、こうした考えは伝統をないがしろにすることではない。伝統と言っても上から押しつけられたものの話ではない。そんなものは捨てていい。私が言いたいのは、人々があることを長く営んでいった中で、自然に残って来た伝統だ。人類は長い歴史の間、歌を歌い続けてきた。様々な地域の様々な時代で、君が想像もできないほどの幅広い音楽があるだろう。様々な表現や情感、技法や作法がある。そうした伝統を知ることはとても力になる。だからこそ、もし君にロックが必要ならば、ロックの伝統を感じることで、より表現が本質的になると思う。
しかし、それもあくまで君の音楽に役に立つかどうかの問題であって、無理して学ぶ必要はない。ただ面白ければ聴けばいいんだ。つまらなければ、聴かなくていい。単純なことだ。まあ、私は君がブルーズやロックの伝統を面白がって学んで、その音楽を楽しんでくれることと思っているが。
そうした伝統を学ぶ中で、私は君に学んで欲しいことがある。生きる上でとても大切なことだ。それは「謙虚さ」だ。私は謙虚さを学ぶのが遅くとても苦労した。だからこそ君達には早く学んで欲しい。
歴史や伝統に残るものは常にそれなりのものがある。しかし、つまらないと感じる時もあるだろう。そういう時には、ただ、その場を立ち去るだけでいいんだ。「つまらない」と主張する必要なんてない。君のような若造がそんなことを言ったからって何になる? その人達は、何年間も歴史や伝統を積上げて来たんだ。君のようなガキの話なんて聞く耳を持つ訳がない。
歳をとると色々なことが分かってくる。これは真実だ。そして、君もいつか君の歳では理解できなかったような物事に触れ「ああ、あの時は理解できなかったな」と反省することがあるだろう。そういう経験を何度も積むとね、私のような生意気で傲慢な人間ですら「私はいつも未熟で、いつになったら……」という気分になるものだ。巨大なものに触れ続ければ、自分の小ささは明らかなものになる。しかし、これは自信を失うことじゃないんだ。誤解しちゃいけない。ただ「謙虚さ」を知ったということだと、私は考えている。
できれば君は無言で立ち去る前に、こう言うといい。「私はまだ未熟で分かりません」と。君はまだ自分の未熟さを知らない。だから、こう言うのは嘘をついた気分になるだろうし、とてもつらい。しかし、いや、だからこそ、君にはこのセリフを言って欲しい。大人の中には優しい者もいる。いや、自ら未熟と言う若者に、誰が厳しくするものか。大人は君に優しく教えてくれる筈だ。その魅力、その歴史、その重みを。勿論、教えてくれるから君が理解できるとは限らない。しかし、君はその大人の話から多くのことを学べる筈だ。どれだけ深く多くの情熱をそれが集めてきたのかを。そして何より、それがその人にとって、その人の人生にとって何であるのかを。
この時、賢い君は感じ、理解するかもしれない。自分の未熟さを。そして「謙虚さ」の本当の意味を知ってくれるかもしれない。いや、是非そうであって欲しい。謙虚さを知るのは早ければ早いほどよい。それは君の自信や人からの評価を傷つけはしない。自らの未熟さを受け入れることは力なんだということを、賢い君はすぐに理解するだろう。
それでは次回は70年代から現代までのロックを概観したい。それでは。
更新履歴
2007-03-31 作成
2007-04-02 Internet Archiveへのリンク追加(グレートフル・デッド、レッドベリー)