2008-04-07

6つの自殺への誤解

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鬱病などと同様、自殺についても思い違いや誤解が多い。本当は言葉は無意味で、一緒にいるしかないのだけど、言葉を批判するのにも言葉は使えるわけで、いくつか書いてみる。

  1. 「死にたい」は病気です。精神科へ行きましょう。 もう精神病や精神科に偏見がある人も少ないと思いますが、とにかく偏見を捨てて病院に行きましょう。自殺したいと苦しんでいて「あ、わたし、鬱病だったんだ」ということがあります。行くか行かないかを迷うより、どの病院がよさそうかを悩みましょう。7つの鬱病への誤解 参照。
  2. 死ぬのが駄目なのに理屈はない。まず、死にたいときには頭を使わずに休みましょう。下手に「生きる意味」を求めだすとはまります。「命が大切」「人には使命」「苦しみは教訓」……。色々な人や本が生きる意味を教えてくれますが、言葉はあなたの胸を打たないでしょう。より深刻に「自分って生きてる意味が無い」と感じるだけです。こうした言葉は意味のある人にだけ意味があり、理屈で伝わる性質のものではないからです。

    生きる意味とは、恋に落ちるのと同じように、突然に、裏切られるように、実感するものです。静かに生きて運命と出会うのを待ちましょう。周りの人も下手な人生論はやめましょう。理屈での説得は無理で、それを強要しようとするとただのカルトです。苦しむ人には苦痛なだけで、追いつめられた人間が更にコミュニケーション・チャンネルを失います。鬱病の人と接する5つの心得 とか [書評] なぜ私だけが苦しむのか / H.S.クシュナー とか参照 。

  3. 「死ねる」のは勇気ではない。これはよく嵌まる罠。勇気と無謀は違います。「死ねもしない」とか言われた気になって怒りパワー爆発させたりするが、これは間違いです。死ぬのが怖いのは極めて健全で素晴らしいことです。まだ生きろと体が言っているのです。怖いうちはまだ生きられる。「畏怖」という言葉があります。臆病なんて下らないこと言わず、生命に畏怖の念を持てた素晴しい経験なんだと俺は叫びたいです。更に要らんこと言うと、人間ってのは畏怖の念を持って生きてゆくもんだよと言いたい。
  4. 人生ってのはもちつもたれつ。多少、人に迷惑かけるくらいが丁度いい。「人様に迷惑かけるくらないなら or 生き恥さらして暮らしてゆくなら、死んだ方がいい」って理屈はやめましょう。大概の人間は、実は迷惑ウェルカムです。「助けて」と言いましょう。厚顔無恥なのは嫌だけど死ぬ程に恥を嫌がる人の「迷惑」なんて大したことはない。はっきり言えば死なれる方がよっぽど「迷惑」。迷惑や恥を嫌い孤立し合うより、助け合う程に人生の味わいを感じるものです。
  5. 大概の人は苦しんで生きている。別にあなたの苦しみを否定する訳じゃないし、「だからその程度の苦しさで根をあげるな。○○さんは立派に生きている」などと言う気ではありません。人と比べるのは最低です。そうじゃなくて、幸せな人と自分を比べてしまう人に言っておきたいだけ。みんな同じだよと言いたい。人類史上、人から悪口を言われない人は存在しなかったし、これからも存在しません。皆おなじようにして生きています。だから、苦しいといえば大概の大人は助けてくれます。
  6. 自殺以外はゆるされる。死んでも解決にはならない。何をしてもいいとは言わない。よくないことはよくない。ただし、してしまったことは仕方がないし、個人的には俺はそれを赦すだろうし、謝罪と償いによって赦されるべきだと思う。死んで詫びることは時代錯誤だと思う。自殺よりも償うことを考えるとこです。大丈夫、魂だか何だか知らないが、そういうのも救済されます。ばっちり確実です。ただし、まだ起きていない罪を許しはしません。殺したいと言うなら許さないし、死にたいというのも許さない。大切なのは、起きたことを諦め、起きていない悪を憎むことです。

初めて自殺しようとする女の子を止めたのは高一の時だったと思う。その子は飛び降りようとして、泣き叫んで、僕は一晩中、なんと言えば適当なのか分からないが一緒に過ごした。彼女は僕の胸で泣き続け、空が白くなる頃に寝入った。部活の合宿でのことで、次の日、事情を知らない人々に白い目で見られ続けた。まあ「すけべ」な行動してたと思われたらしい。

別に恋人でも何でもない。二つ下の後輩の女の子だった。葬式などの折、その代の後輩に会うと消息をそれとなく訊くのだが連絡がつかないらしい。悪い男につかまってなければいいが、と思うが、まあ、いろいろ仕方ない。どこかで幸せに暮らしていることだろう。かわいい子だった。

世の中、「死にたがり」の女の子で満ちていた。単純に戦場だ。残酷で、悲惨で、無力さに直面し続けるだけだった。実際、かなり前には、ちょっと縁遠いところでは死なせてしまった。まいった。親はまったく何をしているんだ。顔を見てみたい。と思って実際に見てみると、出てくるのは溜息ばかり。

あの頃の大概の女の子は心の傷を持っていて、その傷を目に見える形にして、抵抗のよすがにして、逆に苦しみつつも、しっかりと生きたがっていたように思う。難しいのだが、実は、彼女が大切にしているものが、そのままに自分を殺すものだったりするのかとよく思った。それに気づいた体が無意識に手首を切っているのかと。風邪をひいたら熱が出るみたいに。まあ、よく分からないけど。これは昔の女の子の話。今の女の子は全然知らない。