2008-05-17

"精神力"は鍛えるもの

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集中力や記憶力の衰えを感じていたのだが、スポーツ分野のメンタル・トレーニングの本を読んでいると、こうした問題を小技でしのぐという考え方ではなく、積極的に精神力を鍛えてゆくことの必要性を感じた。

先日、久々に書店に行きふらふらと集中力に関する本を探した。田舎の書店なので本の数はそれほど多くはないが、それでもスポーツのコーナーにてメンタル・トレーニングの本を見つけ「これだ」と思った。

スポーツにおけるメンタル・トレーニングの重要性が高まっているらしい。技能においては同等の選手がひしめく状況では、モチベーションや「あがり」の問題などの精神面での差が結果につながるからだ。

メンタル・トレーニングの本をパラパラしていると、強い既視感に襲われた。要は速読や視力回復のトレーニングと同様なのだ。学生時代、速読や視力回復のトレーニングをよくやっていた。視力は向上しなかったが、速読や短期記憶の向上には役立った。

中には、リラックス法や呼吸法、イメージによる冥想(自分で自分にあるイメージを思い込ませる)、一点集中視(単純な図形や蝋燭などをみつめる)などがあり、当然にヨーガや禅と同様のものに見えてくる。

本に載っていた集中力を鍛えるトレーニングをやってみると、確実に昔よりも出来なくなっていた。気が散ってしまったり、イライラとしてしまうのである。過去にすうっと出来たことを憶えているだけに、そうした自分が可笑しかった。

そうして思い至ったのは、人間は精神を鍛えるなければ衰えてゆくということだ。日々を漫然と生きているだけでは集中力や記憶力、やる気や緊張の制御力は緩やかに失われていくのである。一見無駄に見える特定のトレーニングが、実際にはリターンの大きい投資であることがあるのだ。

単にその場での気散じを免れ、集中する「小技」というものも便利だが、日々、鍛えておくことの重要性を痛感した。考えてみたら「ポジティヴ・シンキング」などと言っただけで、ポジティヴ・シンキングができるならばそれは空虚な戯言に過ぎないだろう。実際のトレーニングの継続が大切なのだ。

走ることを極めるためには、走るだけでなく筋力を鍛えたり、フォームを学習したりするだろう。集中力、モチベーション・コントール、忍耐力、記憶力などもトレーニングを通じて維持・向上してゆくものなのだろう。

最近、そうした努力を怠った自分が、昔にように集中したり記憶したりモチベーションをコントロールできると思うから痛い目にあうのだろう。逆に、自分がそうした「能力」が低下していることが判然として気分がすっきりとしたくらいだ。

ここでルターのことが脳裏をよぎる。彼は初のドイツ語訳の聖書を作成するという大事業を一人で行っていた。それだけでなく彼は政治的にも難しい立場に置かれ、日常は多忙を極めていたらしい。

そんな彼に人々は「忙しくて祈る時間などないのではないか」と訊いた。彼はこう答えたという。「忙しくて大変だからこそ、私は祈らないではいられないのだ」と。

また、特に多忙の日にはこうも語ったという。「今日はすべきことがあまりにも多いから、一時間ほど余分に祈りの時間をとらなければならない」と。

モチベーション、集中力を高める時間は贅沢ではない。それは将来のために必要な投資なのだ。