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2010-08-23

仕事術(2)

前回も仕事術 という記事を書いたが、最近おもうところがあったので追加してみた。

2009-06-15

仕事術

いくつか仕事術系の本を読んだ。自分にとって必要と思われるポイントをまとめてみた。

2008-10-31

「情報不安症」への対策

「情報不安症」という言葉がある。情報に関する不安症ということで、これは「自分が知っているべきと思う情報」と「実際に自分が知っている情報」との乖離が原因である。

「自分が知っているべきと思う情報」は飛躍的に増大し続ける中、自分の情報量に乖離に不安を覚えやすいと言える。

どう考えても私は情報不安症なので対策を書いておく。

2008-10-28

時間を家計簿のように管理する

スケジュール帳や日記などで自分の時間を管理している人は多いと思う。しかしその時間管理は、本当に自分の時間消費の管理に役立っているのだろうか。

今回は「時間を家計簿のように管理する方法」を思いついたので紹介する。

パニックになるのを防ぐ時間管理

自分の時間を管理することは、効率化につながるだけではない。自分のテンションを維持する上でも、時間が管理され視覚化されていることの安心感は強い。

これは家計簿をつけていることの安心感にも似ている。記録分析されていることで、苦境に陥ったとしても投げ遣りになることを避けられる。ピンチの時に一番恐しいのはパニックになることで、記録とはそうした苦しい時に支えになってくれるものだ。

何のために時間を使ったのかを可視化

ところが通常の時間管理では、自分が何のために時間を使ったのかを管理できていない。日記を読み返しても、当時の雰囲気は伝わるが、何のためにどれくらいの時間を使っていたのかが数字で把握できない。これではせっかくの記録が活かせない。

そこで時間を家計簿のように記録するといいのではないかと考えた。いや、むしろ家計簿と日記を融合させることにした。

つまり日記をつける際、表計算ソフトなどに家計簿をつけるように記録してゆくのだ。「日付」と「行動の分類」「消費したお金」「消費した時間」「詳細」を記録してゆくことにした。

目的に従って分類する

しかし、従来の家計簿のように「交通費」「食費」などという分類では意味がない。自分が何の目的のために使ったのかが重要だからだ。

私は以下のように自分の使った時間を分類し、週末に集計・分析することにした。自分のライフプランなどと連動させていることが望ましいとおもう。

  • 仕事: 仕事能力形成に関すること
  • 経済: 経済能力形成に関すること。また、その実行。
  • 家族: 妻や子供に関する活動
  • 友人: 友人に関すること。
  • 健康: 自分の健康
  • 成長: 自分の精神の成長
  • 余暇: 心と体のあそび
  • 環境: 物理的な環境の整備

何のために時間とお金を使ったのかが一目瞭然

こうすることで、自分がどの目的のために時間とお金を使ったのかが明かになる。例えば「友人と渋谷で飲んだ」という行動は、お金の観点からは「友人/交通費,140円, 0.5時間,秋葉原-渋谷」「友人/飲食費,4000円, 3時間,Iと」という具合に記録される。

また、家でネットを読んでいる時間は「余暇/ニュース,0円,0.5時間, 「日経平均が一時7000円を割った」「空売り規制」など」という具合に記録しておく。

勿論、そんなに細かく記録する必要はない。30分刻みくらいでラフにやればいいだろう。持ち歩いているメモ帳にチョコチョコと「意味があった」と思った時間とお金の使い道を記録して、それを表計算ソフトに打てばいい。そもそも大概は「仕事」の時間が巨大なので記録は簡単なはずだ。

これで日記と家計簿は融合した。この情報を集計すれば、自分が何の目的のために時間とお金を使ったのかが一目瞭然となる。そうすれば次の計画を立てるときの重要な情報になってくれる。

まだ運用開始したばかりなので問題などが出てくるかもしれない。しばらくやってみるつもりだ。

関連記事

2008-10-16

情報カードには「はがき」を使うのがいいと思う

「情報カード」と言えば 5x3 インチや「京大式」と呼ばれる B6 サイズが代表的だが、私は 葉書 (文庫本や A6 の大きさ)を利用している。その利点をリストしてみる。

  1. 値段が安い:近所の100円ショップにて50枚入りが105円で買える。一枚 2.1円というのは、他の情報カードと比較して安い。コレクトの5x3カードは100枚336円、京大式(B6)は100枚483円である。
  2. 入手しやすい:情報カードはある程度の都市の文房具屋でなければ買えないが、葉書ならばどこの文房具屋でも100円ショップでも入手できる。
  3. 段落や図を書くのに十分なサイズ:段落を書き抜いたり、チャートを描いたりするには 5x3 は明らかに小さ過ぎる。葉書には普通に200字は書けるので、通常のまとまりとして十分だと思う。文書の種類 文字数と時間の関係 も参照。ちなみに 5x3 は文献カードには最適だと思う。
  4. 携帯に便利:葉書(文庫本)サイズならポケットに入るし、本屋や電車内でも人目をそれほど気にせずにメモできる。京大式(B6)もギリギリ持ち運べるが、万年筆で書くならばいざしらず、最近のペンの細字で書くならばこんなに大きくなくてもよいと思う。携帯にはA6サイズのプラスチックの板で挟むか、葉書を入れるパースを利用すれば万全。
  5. PCから印刷できる:PCのプリンターははがきに最適化されているので、定型的なフォーマットや持ち歩きたい情報などを綺麗にプリントアウトできる。
  6. 収納具が豊富:カードをシステムとして利用するには、持ち運びのための収納の他、カードボックスも必要になる。この点、葉書や文庫本、A6サイズの収納具は非常に充実している上、どこでも買うことができる。
  7. 縦書きでも違和感がない:他の情報カードだと縦書きすると違和感があるが、葉書だと見慣れているので縦書きでも利用できる。縦書きを愛する人は是非。

僕が葉書を情報カードとして使い初めたのは中三の頃だった。勉強法の本を読んで「情報カード」を利用すると良いことを知ったのだが、近所の文房具屋で情報カードを見つけられなかったので、その変わりに葉書を買ったのが始まりだ。そのカードに記憶すべき事項(英文法と例文、数学の公式など)を記載して持ち歩いた。

高校になっても、大学になっても、テストの前には葉書を使った。覚えにくいポイントを葉書という限られたスペースに押し込み、それを電車の中で暗記した。作るときの感覚としては「カンニング・ペーパー」といったところだ(もちろん本当にカンニングしたことは無いが)。通学電車(高校時代は往復2時間)、あるいは散歩中に、カードをちらちら見るだけで大概の勉強は終わったので、家で机に向かうことはほとんど無かった。

20歳ごろからメモも PC 一辺倒になってしまったが、最近の私は紙の利用を見直している。現在は B7 のメモ帳と B5 ノートを利用しているが、今後、単純なメモも葉書にしようかと思っている。

関連記事

2008-09-29

紙を使うサービス 自宅のPCでポスターやノート、手帳を作ろう

手帳、ポスター、ノート……。今回は紙を使って、そうした身近なものを作るサービスをリストしてみました。自宅の PC とプリンターで、こうした身の回りのものを作ることができます。

他にもおすすめの紙を使うサービスをご存知でしたら、よろしければコメント欄で教えて下さい。

関連記事

2008-09-10

私のファイリング・システム(書類整理法)

書類を整理する仕組みを持っていますか?

無意識的に手を伸ばして必要な情報にアクセスできるメリットは、集中して仕事しているときに絶大です。キーワード検索やマウス操作では思考を中断されます。

全文検索できない紙をどのように整理したらいいのでしょうか。最近では以下のような方法で安定しています。

  1. クリアホルダとファイルボックスを使う。まず使うファイル製品を決めましょう。私は100円ショップで10枚100円で買えるクリアホルダを利用しています。はさむだけなので簡単に利用でき、中身が見えるのがポイント高いです。数枚から数十枚程度の書類ならこれでオーケーです。それ以上の分量になるものはファイルボックスを利用しています。立てて並べるならこれで十分です。穴を開けるなんてやってられません。
  2. 薄いファイルを作らない。初心者のはまる罠です。細分化したファイルを作ると見つけるのが大変です。最初は大雑把な分類だけをしておいて、ファイルに入りきらなくなってからファイルを分けるべきです。分類したいという過剰な欲望こそが、書類管理の一番の敵なのです。
  3. 「はがせるラベル」で見出しをつける。大雑把な見出しをつけるようにします。「はがせるラベル」なら気楽に見出しを書き込めます。見出しだけを眺めて探す方が楽です。できれば日付もつけると日記と連携できるのでさらに幸せになります。
  4. ファイルは立てる。ファイルを寝かしたり積んだりしたら死んでしまいます。必ず立てるようにしましょう。そのためには、ファイルのための場所を決めましょう。私は机の横の出窓と、本棚の一番下の段を利用しています。最初は多少スカスカになるほどスペースを準備しておいた方がよいでしょう。
  5. 資料は時系列で並べる。繰り返しますが過剰な分類への欲望は破滅への道です。私は二つのルールを決めています。一つは「押し出しファイリング」方式です。これは「使ったファイルを手前に戻す」というだけのルールです。こうすれば同じ時期に使ったファイルがまとまるので利用しやすいです(詳細)。未来に使う予定のファイル置き場も作っておくと更に便利です(「現在」や「一週間後」を示す厚紙を置いておく。いわゆる43files)。
  6. 事務は名前の五十音で並べる。事務的な情報は相手がいます。そうした会社や人に関係した情報は五十音順にならべています。抽象的な概念よりも実際の人間や会社の方が想起しやすいし、名前も変わらないから五十音順で並べても問題がなくアクセスが楽だからです。事務といってはあれですが友人との私信や家族に関連した情報もこの方法で整理しています。例えば旅行の資料を保管したい場合には「誰と行ったか」で考えて、その人のファイルの側に置いておきます。
  7. 「その他」を作る。「薄いファイルを作らない」というルールを守るためにも、「その他」は絶対に必要です。名前で分類するにしてもすぐに個人名のファイルを作る必要はありません。継続的な関係になる前には、ひとまず「その他」に入れておけば十分です。くどいですが過剰な分類への欲望は破滅への道です。ファイリングシステムなんて、見つけられればいいのですから。

以前は情報をせっせとで電子化していた私ですが、この数年、いくつかの分野では電子化したデータより実物の紙を管理した方が効果的だと感じまして、本棚の一部と机の横をファイル置き場にしました。すっきりと情報が整理されているのは気持ちいいです。それに、利用したファイルが利用順に時系列に並ぶので、情報が自然に組織化されてゆきます。

もちろん全てが紙である必要はありません。考えたり、アイディアを出したりするときに参照するものが無意識的に取り出せる必要があるだけです。検索して見つけられればいいものは、Google DocsでPDFを管理する理由 で書いたように Google Docs で管理しています。

「押し出しファイリング」や「山根式ファイリング」など有名なファイリング方法が提唱されていますが、私にはどれもしっくり来ませんでした。試行錯誤の中で、時間と人で分類するのが効果的と感じるようになりました。そして、二つのファイリングルールがあることで自然に「資料(利用時の時系列順)」と「事務(名前の五十音順)」に分かれています。部屋の整理はフローとストックの区別で での考え方によれば、資料はフローで、人との関係はストックということになるでしょうか。

私はこの方法にとても満足しています。どうぞお試しください。また他にもよい書類整理の方法があったら教えて下さると嬉しいです。

関連記事

  1. [書評]「超」整理法 / 野口悠紀雄: 「押し出しファイリング」についての本についてのコメントです。クリアホルダやファイルボックスについても書いてあるので参照ください。
  2. 部屋の整理はフローとストックの区別で: ファイル整理についても書いてあります。
  3. Google DocsでPDFを管理する理由: 電子ファイルの管理はGoogleに任せることにしました。
  4. 整理のための6つのルール
  5. 情報と向き合うときに気をつけること

参考記事

とても参考になりました。

  1. Organizing Filing System
  2. How to Simplify Your Filing System; or, Why Stacking Just Doesn’t Work

2008-09-09

Google DocsでPDFを管理する理由

PDF の管理や整理は頭痛の種でした。

PDF で提供される情報は良質なことが多いのですが、PDF は閲覧にも検索にも不便で、死蔵しがちになってしまうのです。いい整理方法はないものかと PDF を管理するソフトも試しましたが、どうもいまいちでした(iTunes も試しました)。

しかし、試しに Google Docs で管理すると、今までで一番すっきりとしました。今回は、そのおすすめする理由を書いておきます。

  1. 軽快にPDFを閲覧できる。 Google の PDF ビューワはめちゃくちゃ軽快です。PDF のリンクを押すとさくっとサムネイルネイル(画面の縮小表示)付きにビューワが立ち上がります。スクロールもとってもスムーズです。はっきりいって Adobe Reader でローカルで見るよりも楽です。PDF を開く苦痛がなくなります。
  2. タグで分類できる。 Google Docs では「フォルダ」と呼んでいますが、一つのファイルに複数のフォルダに置けるので、機能的には「タグ」とか「ラベル」と呼ばれるものです。ファイルを柔軟に整理・分類することができます。
  3. オンラインでアクセスできる。 保存した PDF にどこからでもアクセスできます。共有機能もあるので知り合いにファイルを見せるのも簡単です。
  4. そのうち全文検索できる(はず)。 現在ではまだできないのですが、Google のサービスなのでそのうち全文検索機能がつくのは目に見えています。PDF の全文検索を実現するソフトは多数ありますが、検索インデックスの生成のために CPU パワーを使います。しかし、Google Docs であれば Google のサーバがインデックスを作成するので、私たちは何の負担もなく、全文検索を利用できます。

使い方は簡単。Google Docs のメニューにある Upload というボタンを押せば、アップロード用のフォームが開きます。最大ファイルサイズが10MBという制限があったり、メールからのアップロードができないといった制限がまだありますが、それでも通常の利用には何の問題もないでしょう。

ぜひ試してみてください。

関連記事

2008-08-27

ベンヤミンの執筆作法

Marginal Revolutionでヴァルター・ベンヤミンの執筆のコツが紹介されていたので、試しに訳してみた。ハンナ・アーレントは、彼を homme de lettres (文の人)と呼んだ。そんな彼の言葉は、文章を書く人の良いヒントになると思う。
I. Anyone intending to embark on a major work should be lenient with himself and, having completed a stint, deny himself nothing that will not prejudice the next.
I. 大きな仕事にとりかかるつもりの人は、自分自身に寛大であるべきで、ある期間を完了したら、その次に対して偏見を抱かせないものは否定しないこと[偏見を作ってダメにしてしまうもの以外は受け入れること]。
II. Talk about what you have written, by all means, but do not read from it while the work is in progress. Every gratification procured in this way will slacken your tempo. If this regime is followed, the growing desire to communicate will become in the end a motor for completion.
II. なんとしてでも書いたものについて喋ること、でも仕事が進行中の間はそれを読まないこと。この方法でもたらされた全ての満足はあなたのテンポをゆるめる。この体制が続けば、コミュニケーションへの成長した欲望は最後には完了への原動力となることだろう。
III. In your working conditions avoid everyday mediocrity. Semi-relaxation, to a background of insipid sounds, is degrading. On the other hand, accompaniment by an etude or a cacophony of voices can become as significant for work as the perceptible silence of the night. If the latter sharpens the inner ear, the former acts as a touchstone for a diction ample enough to bury even the most wayward sounds.
III. 仕事の状況から全ての月並みなものを排除すること。退屈な音のバックグラウンドへの、中途半端なリラクゼーションは下劣だ。一方で、エチュードや耳障りな声の伴奏は仕事にとって、夜の知覚できるほどの静けさと同じくらいに深い意味を持つ。後者が内部の耳を鋭敏にするのだとしたら、前者は最も道から外れた音を埋めるのに十分なほどに豊富な口調の試金石として役立つ。
IV. Avoid haphazard writing materials. A pedantic adherence to certain papers, pens, inks is beneficial. No luxury, but an abundance of these utensils is indispensable.
IV. 間に合わせの筆記用具を排除すること。紙やペン、インクへの衒学的な固執は有益だ。贅沢は要らないが、こうした器具の豊富さはなくてはならない。
V. Let no thought pass incognito, and keep your notebook as strictly as the authorities keep their register of aliens.
V. どんな思考も匿名で通過させてはならない。当局が外国人登録を保持するほど厳密にノートに書留めること。
VI. Keep your pen aloof from inspiration, which it will then attract with magnetic power. The more circumspectly you delay writing down an idea, the more maturely developed it will be on surrendering itself. Speech conquers thought, but writing commands it.
VI. ペンをインスピレーションから遠ざけておくこと。すると、磁力とともに魅了するようになる。アイデアを書き留めるのを遅らせるのに容易周到であればあるほど、降伏に際してより成熟して発展されていることだろう。スピーチは思考を打ち倒すが、書くことはそれを支配する。
VII. Never stop writing because you have run out of ideas. Literary honour requires that one break off only at an appointed moment (a mealtime, a meeting) or at the end of the work.
VII. アイデアが尽きたという理由で書くのを止めてはならない。文学の光栄のために必要なのは、約束のとき(食事やミーティング)か仕事の終了のときにしか中断しないということだ。
VIII. Fill the lacunae of inspiration by tidily copying out what is already written. Intuition will awaken in the process.
VIII. インスピレーションの欠落は、既に書いたものを整然と模写することで埋めること。直感はプロセスの中で目覚める。
IX. Nulla dies sine linea -- but there may well be weeks.
IX. 「線を引かぬ日はなし」――でも数週間は、あるかもしれない。
X. Consider no work perfect over which you have not once sat from evening to broad daylight.
X. 一度も晩から白昼まで座ったことのない仕事は完璧にはならないと考えること
XI. Do not write the conclusion of a work in your familiar study. You would not find the necessary courage there.
XI. なれた書斎で仕事のまとめを書かないこと。必要な勇気をそこでは見つけられないだろう。
XII. Stages of composition: idea -- style -- writing. The value of the fair copy is that in producing it you confine attention to calligraphy. The idea kills inspiration, style fetters the idea, writing pays off style.
XII. 作文の段階: アイデア - 文体 - 執筆。清書の価値は、それを作る中でカリグラフィーに注意を制限することにある。アイディアはインスピレーションを殺し、文体はアイディアを束縛し、執筆は文体を解雇する。
XIII. The work is the death mask of its conception.
XIII. 作品は構想のデスマスクだ。
間違いもあるかと思うので、気がついた方は気軽にコメント欄で教えてくださると助かります。正直、自分でも自信がありません。
また「これは読んどけ」的な執筆作法や執筆のコツがありましたら、コメント欄から教えていただけるとありがたいです。

関連記事

  1. コンピュータでの執筆時に気が散るのを防ぎ集中する方法
  2. 3時間でレポートを作成する方法
  3. 読む速度と書く速度にみる文字数と時間の関係

2008-08-24

メディアを携帯する理由 外部記憶・環境・方向づける道具として

私たちはメディアを持ち歩いている。

それは手帳やノートのような冊子体かもしれないし、インデックス・カードなどの紙片の束かもしれない。紙に限らず IC レコーダであったり、コンピュータであるかもしれない。

私たちはなぜそうしたメディアを携帯するのだろうか。ここでは3つの理由を指摘してみたい。

1. 外部記憶

まず考え付くのは、記憶を補助するためだ。つまり、そのメディアを見ることなしには想起できない情報を得るためだ。例えば、住所録、情報のメモ、スケジュール帳などがこの目的に資すだろう。

私たちは将来必要になるであろう情報を携帯メディアに記録してしまう。「記録」が常に引き出せるのであれば「記憶」する必要がなくなる。記憶の負担と不確実性は軽減される。また、辞書やネットの検索を通じて、外部記憶には自分の入力すら必要出ない場合もあるだろう。この意味で携帯メディアとは 「外部記憶」 であると言える。

2. 持ち運べる環境

ところで、メディアの携帯による記憶の補助はこうした実際的なものだけだろうか?

例えば、私たちはそうしたメディアに家族の画像を載せることがある。つまり、しばしば私たちは携帯の壁紙や手帳の見開きに子供尾の写真を貼る。あるいは、自分の夢や信念などを手帳に書いている人もいる。目標を掲げて、そこからスケジュールをブレークダウンしている人も多い。

これはある意味では「記憶の補助」に他ならないが、それは住所録やスケジュール、情報のメモとは性格が異なる。

家族の写真を貼ったり、夢を書いたりするのは何故だろうか。たぶん、それを見ると「いい状態になる」からだろう。つまり、穏やかな気持ちになったり、頑張る気持ちになるのだ。

こうした特徴は文字や写真に限らず、音楽や音声であっても同じことだし、自分のお気に入りの本を持ち歩くことでもおなじことだ。

気分次第でパフォーマンスは大きく変わる。だからこそ、よく目にする場所に自分を穏やかにしたり奮い立たせるものを置くことで、精神的な面を助けてもらっているのかもしれない。

これは壁に紙を貼ったり、机に写真たてを置くことに似る。音楽についてはまさに自分の部屋を持ち運んでいるようなものだ。この意味で、携帯メディアとは 「持ち運べる環境」 である。

ところで、自分の夢や家族のような大切なことは頭に焼き付いていて、わざわざメディアで運ぶ必要はないように思うかもしれない。もちろん、そういう人もいると思う。ただ、私は人間というのは驚くほどに何でも忘れてしまうものだと思っている。かっとなったり、しょげたりすると自分の夢なんてころりと忘れてしまうものだ †。そういう時に、愛や勇気を与えてくれるものは想像以上に役立つ。

3. 自分を方向づける道具

私たちは自分が何を思いつくのか次の瞬間ですら自分でコントロールできない。だから、自分を無意識のレベルから方向づけようと思うのならば、日々目にするもので刺激しておくことぐらいしかできない。つまり、夢や目標を常に目にしておくことで、無意識的な発想に影響を与えられると考えることができるというわけだ。

これは、多くの成功本が言っていることでもある。いわく「目標を紙に書け、目にするところに貼れ、朝と夕に読み上げろ。」もちろん考え方やイメージだけでうまくいくわけはないが、すくなくとも、よい考え方やイメージがなければうまくいくはずがない。

持ち運べる環境である携帯メディアは、こうした無意識の方向づけにも役に立つ。そこに書かれた「自分がどういう人間になりたいのか」「どういう未来が待っているのか」ということが、自分の習慣をつくりだすだろうし、そうした習慣が未来の現実をつくってゆく。

そこに記された情報は引き出せるだけでは意味がない。その考え方が習慣となり、その夢が現実になることが大切である。だから、繰り返し目にして記憶の底に焼き付け、よりよい考え方やイメージを身体化してゆく。

ここに至って携帯メディアは、客観的な情報を記録した外部記憶としてではなく、自分にとって内面化すべき考え方を保持したものとなる。それは自分を方向づける道具である。

これは写真や手帳に限らない。一冊の書物や一つのお守りなどが「トリガー」となり、自分を方向づけるメディアとなるだろう。

外部記憶と方向づける道具の違い

さて、ここで上記の視点をまとめてみよう。

外部記憶としての携帯メディアでは、情報を引き出すには常に意識的な操作が必要になる。携帯メディアがある種の「環境」になることで、無意識的に情報を自分に与えることができる。だから自分の方向性を決めたい場合には、そこに自分にとって好ましい考え方やイメージを盛り込むことで、自分を無意識的に方向づける道具となった。

ここで重要なのは、外部記憶としての携帯メディアと自分を方向づける道具としての携帯メディアは性格が大きくことなるということだ。ちょうど「持ち運べる環境」としての携帯メディアという性格を軸にして対照的である。

その一つの違いは、情報を引き出すときに意識的であるか無意識的であるかということだ。客観的な情報を引き出すのには意識的な操作があってもいい。しかし、自分の夢や習慣にしたいことを意識的な操作を通じてしか取り出せないのでは意味がない。何気ないときにふと自分に教えてくれる仕組みでなければならない。

また、外部記憶としての携帯メディアは「情報を忘れるための道具」である。そこに「記録」することで「記憶」をしないですむ。これはワーキングメモリ(短期記憶)の負担を軽減する。雑多な情報が頭をかすめてワーキングメモリを圧迫している場合には、それを「記録」してワーキングメモリの外に追い出してしまった方がよい。

一方で自分を方向づける道具としてのメディアは「情報を身体化するための道具」である。自分の夢や考え方を記録することで忘れてしまってよいのなら、そもそもそんなことは記録しないでしい。そうした自分を方向づける情報は徹底的に記憶され、長期記憶に保存され、習慣となり、身体化されねばならない。

携帯メディアというとデジタルとアナログという軸で語られることが多いが、こうした目的を軸としたことから考えてみると、よりよい利用法やあるべき姿が浮かび上がってくると思う。

notes

† いい言葉を耳にしてテンションが上がったとしても、その言葉をころりと忘れて、同じ間違いを犯したりすることを私は何度もしている。この点を ノートの取り方(5) 常に追記する では以下のように書いた。

人間は何でも忘れてしまう。本当に大切なことをいとも簡単に忘れてしまう。ふと気が付くと、自分が何をするつもりでそこにいるのか、その何年という時間を注ぎこんでいたのかすら、あっさりと忘れてしまう。何かの痕跡なしには、何も保つことが出来ない。だから、私たちは痕跡を残し続ける。

ここで痕跡を残すというのはメディアに新しいデータを載せることに他ならない。

2008-08-17

文章の文字数と時間の関係(2) なぜA4一枚にまとめるのか

本屋に行くと文書はA4一枚でまとめろという本が多いことに気がついた。これは文章の文字数と時間の関係でも書いた「短文」ということになる。

そうなると通常のビジネス文書は、書くのに40分、読むのに音読で3分 or 黙読で45秒 or 速読で3秒ということになる。

これは実感としても分かる気がする。書くときには調査や構想などは別として純粋に執筆だけに40分以上はとっている。また、人の文書を読むのも「じっくり」なら3分、普通で1分弱、ぱっと見なら数秒というところだろう。これは誰でもやっていることだと思う。

そういえば社会人として初めてレポートを書いたとき、10枚くらい書いてしまい、えらく怒られた記憶がある。「1頁しか読まないよ。あとはポイだ」とマーケティング畑出身のチームリーダーは教えてくれた。そのTLは丁寧に机にレポートを叩きつけ、ゴミ箱に放り込んでくれた。これはとてもいい刺激になった。その演技力にもしびれた(皮肉じゃない。時に人は演技を通じてメッセージを強く伝えることができる)。

「短文」が必要な場所に、私は「長文」を書いたということだ。これはルール違反であり、論外だ。量より質とはいうが、量の条件を違反すると質の審査すら受けてはもらえないのだ。

さて、一方でプレゼンは時間にして20分以上やっているので「長文」ということになるのだろうか。長くても40分以上はやらない。でも、僕の感覚から言うとこれも短文な気がする。

と、ここまで書くと、いままで字数で考えてきたけれど、どちらかというと文書の構造が二重になった文が長文と考えるべきかもしれない。同じ階層の見出しだけが並ぶのが短文、見出しの階層が二段構えになったのが長文。そして、その字数が1500字とか1万5000字とかいうことなのかもしれない。まあ、今回はこんなところで。

2008-08-06

佐藤優の情報整理法 資料は段ボール箱、メモより"トリガー"

佐藤優と朝鮮の専門家・鈴木琢磨の対談『情報力』を立ち読みしました。情報の収集と分析について参考になりました。

資料は時系列に段ボール箱にいれる

佐藤の情報整理は簡単なもので、資料を時系列に段ボールに入れて、それに日付を書くというだけのものでした。

段ボールはミカン箱で、特に分類もなく資料を放り込むのだということです。箱がいっぱいになったら日付を書いてしまうのだそうです。一年間に5、6箱になるそうで、その程度であれば頭で整理できるというわけです。検索には日記も役立つらしいです。

大事なのは、整理の時間を減らすことでした。時間と人間を軸にして記憶を補助するのが一番効率的なのでしょう。

細かいメモは取らないということです。取ったとしてもキーワードや固有名詞くらいなそうです。メモを取らないことで自分の記憶だけが頼りになります。メモがあったとしても、記憶に残らないような情報は役に立たないということなのでしょう。

メモよりトリガー

面白いと思ったのは、記憶を引き出すための「トリガー」(引き金)を大切にしていたことです。北朝鮮やロシアで買った特徴的なお土産を見れば、それが引き金になり、その時の記憶をすべて引き出せるのだそうです。

実際の記憶のないメモ帳のメモなどは意味がないのです。自分の記憶を引き出すためのトリガーが一つあればいいのです。

トリガーといえば、苫米地の変性意識とアンカーとトリガーを意識した洗脳が連想されます。無意識の膨大な情報を引き出すには、こうした方法が有効なのでしょう。

2008-08-02

知的生産のプロセス 何が自分にしかできないか

まあ、こんなことばかり書いていても仕方ないのですが……。思い付いたので書いてしまいました。誰かの役に立てばありがたいです。情報と向きあうときに気をつけること は本当に自分に向けての注意です。

3時間でレポートを作成する方法 では以下の手順を推奨した。

  1. 参考文献を読み漁り、ネタをカード化 (一時間以上)
  2. カードを机の上に並べ、アウトライン作成 (三十分前後)
  3. カードをもとにして本論を書く (一時間前後)

ただし、文献が決まっていない場合は更に時間がかかるとも注記した。これらもあわせて、プロセスを書くと以下のようになると思う。

  1. 収集: 情報を収集する。ゴミがあってもかまわない。
  2. 選別: 集めた情報からゴミを排除する。
  3. 理解: 選別された情報を分析してゆく。
  4. 記憶: 理解内容を記憶する。カードなどで記憶を外部化し、その外部化した記憶の操作によってもよいかもしれない。
  5. 閃く: 記憶や外部化した記憶の操作を通じ、アイディアが湧く。
  6. 原型作り: アウトラインやプロトタイプなどアイディアの表現の骨となるものを作成する。信頼できる協力者がいる場合には、簡単なメモでも伝達できるのかもしれない。
  7. 作成: 実際に作成してゆく。

プロセスの混同は効率的ではない。だからプロセスに意識的であることが重要だ (この点については 「整理」のための6つのルール の 6 節を参照。整理や学習も似たようなプロセスになっているのだと思う)。

また、執筆については コンピュータ上での執筆時に、気が散って書けなくなるのを防ぐために を参照。問題設定がまだの場合には、性格が違うが 問題解決の技術 が役に立つかもしれない。

大切なのは「理解」「記憶」「閃き」「原型作り」だけ

上のリストを眺めると、「収集」と「選別」は信頼できる他人に任せられることに気づく。これは、ある意味では事務的な作業だからだ。また、執筆そのものでさえ、他の人に任せるなり共同作業にすることができる。勿論すべてを自分で行うのが本来だが。

つまり、純粋に自分しかできないことは「理解」「記憶」「閃く」「原型作り」の 4 つだけである。故にこの出来が全体の結果を決めるといってもよいと思う。

しかし、このプロセスは蔑ろにされがちであると思う。情報を収集をしたと思えば、それらをざーっと眺めつつ、即座に執筆に入ってしまうことが私は多かった。

その重要な 4 つのプロセスを効果的にするにはどうしたらよいか。

上に書いたようにプロセスに意識的になり、他のプロセスと混同しないことが大切なのだろうか。

実はそうではないと思う。一般に、表現することが記憶を補強し、記憶することが理解を補強すると私は考える (ノート法について書いたときにも、暗記よりも想起に注目すべきと書いた)。他の段階では、区別が重要だと思うが、この 4 つについては常に一つ先のプロセスを行いつつ循環するのがよさそうだ(ただし、閃きはプロセスという気がしないので記憶の段階に含めておく)。つまり、理解するときには記憶するように努めてゆき、記憶や閃きを待つときにはアウトラインやプロトタイプをイメージしながら行うということだ。

これは文書を書く必要がないような学習をする際にも有効だ。つまり、学習の際にも敢えて論文や自分が授業を行うなどの何等かのアウトプットをイメージをして学習すると効果的かもしれない。これは資格のためだけではなく、特定の分野のスキルや知識を付けたい場合にも有効だと思う。繰り返しになるが、理解するために記憶しつつ、記憶するために架空の論文や授業のアウトラインを作成してゆくのだ。こうして理解と記憶、発想力がつくのではないかと思う。

タグの種類への考察 タグをいかに分類し拡張するか

先日のポスト でタグについて少しだけ調べたけど、いまいち釈然としなかったので、もう少し調べてみた。タグ活用のヒントになるかも。

タグについて調べてみると、タグにはどうも7種類ほどあるらしい。

  1. アイテムが何に関するものか (ex. cat, Microsoft, Steve Jobs)
  2. アイテム自身が何であるか (ex. article, book, blog)
  3. アイテムの品質や性質を示したもの (ex. funny, stupid, これはひどい)
  4. タスク管理 (ex. toread, jobsearch, あとで読む)
  5. アイテムを誰が持っているか
  6. カテゴリーの精緻化(単体では使われないタグ)
  7. セルフリファレンス(myで始まるタグ) (ex. mystuff, mycomment)
(Polar Bear Blog より)

これの上から5番目までを順番を入れかえて、便宜的に以下のように書くとする。

  1. [type]: それは何? [ブログ記事][サイト][eBook][メール][写真][ビデオ]
  2. [topic]: それは何に関するもの? [日本語][仕事術][世界経済]
  3. [impression]: それをどう感じた? [ひどい][すごい]
  4. [action]: それをどうする?「あとで」「読んだ」「ブログに書く」「考える」「買う」
  5. [author]: それを作った or 書いたのは? [Mac][Amazon][任天堂][茂木健一郎]

これは文になる。

  • 英語だと: 「[action] [author]'s [impression] [type] on [topic]...」
  • 日本語だと:「[author] の [topic] に関する [impression] な [type] を [action] する」

例えば:

  • 「[内田樹] の [日本語] に関する [興味深い] な [ブログ記事] を [あとで読む] する」
  • [toread] [steve jobs]'s [funny] [video] on [iPod].
  • 「([author] の)[検索]に関する[興味深い]な[ウェブサイト]を[あとで試す]する」
  • 「[Amazon] の [] に関する [良さ気] な [電子書籍リーダ] を [購入] する」
ただし、それぞれのタグも階層化が生じてしまうので本当はこんなに単純じゃないけど。ちなみに、ほとんどの [type] はブログ記事かサイトになってしまうので意味がなさそう。また、[本] と書くよりも [購入ページ][図書館予約ページ] とかの方がいいのかもしれない。

こうして文を書けるのだとすると、この構文で twitter なんかから自動でブクマにポストできたり、あるいは、ブクマを検索するときに、そうしたタグ種類に意識的なものがあると便利だと思う。そうすると「任天堂の」ものなのか、「任天堂に関する」ものなのかが区別されて、いくらかは便利かもしれない。というか、その程度の機能は既にあるのかな?

更に状況のタグも欲しい

更に、時間や状況を指示する構文も準備すると更に便利な気がする。「来週に」とか「旅行の時に」とか「買い物の際に」というような指示を行う。例としては

  • [旅行] の時に [lifehacker] の [収納] に関する [ブログ記事] を [あとで読む]
  • [資料を収集] の時に [統計資料] に関する [サイト] を [あとで試す]
  • [週末] の時に [小鳥] に関する [興味深い] な [記事] を [あとで読む]
とか。というか、時間や状況を指示するタグさえあれば、他のタグは省略してもよさそう。要は、タグを付けて整理したいんじゃなくて、必要な時に必要な情報が引き出せればいいのだから。タスクで管理するのは情報管理の基本なので、これは便利だと思う (「情報管理の方法」も参照)。こうした時間や状況の指示はタスク管理と結び付いて便利だと思う。まあ「旅行の時に読む」という [action] タグでも代用できるけど。むしろ [action] タグなんてやめて(どうせ URL に関しては「訪問して見る」しかアクションはないのだから)、この [context] タグだけでいいのかもしれない。

他にも、その情報源を示す構文もいいかも。こうした情報がしっかりと紐づけできて、シンプルに運用できるととよさそう。

タグを拡張する

タグにタグ付けできない現状では、現状のタグに以下のような拡張をすると良いのではと思う。こうすることで、利用者にとっても便利だし、かつ、タクソノミーとかフォークソノミーとかオントロジーとかよく分からないけど、そういったコンテンツの客観性のある分類を集合知的に行うという活動にも支障がなくてよいと思う (だからトピックのタグには接頭辞はつけない)。

  1. @○○ [context](状況)のタグ。「@旅行]など。
  2. !○○ [action](動作)のタグ。!がいかにもアクションしそうでしょ? 「!読む」など。
  3. *○○ [author](作成者)のタグ。「*矢野哲也」など。
  4. &○○ [impression](印象)のタグ。「&ひどい」など
  5. #○○ [type](種類)のタグ。「#movie」「#ebook」など。
  6. ~○○ [source](情報源)のタグ。「~slashdot」など。
  7. ○○ [topic](トピック)については何も接頭辞を付けなくてもよいと思う。

はりきって記号の接頭辞を考えたけど、まあ、別に「人:矢野哲也」とかでも良いのかもしれない。それに、記号ってのは拒否される可能性あるし……(でも全角で入れればきっと通ると思う)。

ともかく、こうしたタグに分類をしておいて、バシバシ「@旅行」「@鈴木と会った時」「@週末」「@買い物」「@プログラミング」「@いつか」という状況タグやら、[!読む」「!試す」「!ブログに書く」「!購入検討」「!借りる」というアクション・タグを打てばよいと思う。

***

いくらでも複雑化はできるので、こういう夢想をするのはバカらしいのでこの辺にしておきます。

でも、これを読んでタグについての考察が深まれば有り難いです。また、こうしたタグの分類や活用に関してアイディアがあれば紹介して頂けると嬉しいです。

2008-07-29

情報管理に関してウェブで目にしたことをまとめてみた

情報管理に関して最近 diigo でマークした考えを4つのポイントに整理してみました。

1. 情報を得る目的を決める

まず時間の管理が大切。何に時間を使うのか? 情報を収集するのか、情報を摂取するのか? という問いが必要。

「収集する時間」と「閲覧する時間」を分けます。これが一緒になっていると、相乗効果が悪循環を生み、きりがなくなるからです。

フォーカスすべきは「差別化」と「時間の使い方への徹底的なこだわり」の2点

無限の情報に対して、誰に対しても24時間と等しく有限な時間をどのように配分するか、この能力が情報大洪水時代における差別化の源泉になる

2. コアとなる情報のみを管理・記録する

単純な整理はグーグル先生がやってくれます。精選されたコアとなる情報や「インデックス情報」だけを管理・記憶するのがよいでしょう。

カギを握る考え方は、グーグルが扱う情報の単位、つまり記事、ウェブサイト、論文といった単位よりも、粒度の高いレベルでの情報整理を、情報処理の時点で行っておくことです。

「インデックス情報」とは外岡秀俊『情報のさばき方』という本に出てくる言葉です。彼は本書で5つの「基本原則」を掲げ、「インデックス情報」に着目した情報管理手法を披瀝しています。

  1. 情報力の基本はインデックス情報である。
  2. 次に重要な情報力の基本は自分の位置情報である。
  3. 膨大な情報を管理するコツは、情報管理の方法をできるだけ簡単にすることである。
  4. 情報は現場や現物にあたり、判断にあたっては常に現場におろして考える。
  5. 情報発信者の意図やメディアのからくりを知り、偏り(バイアス)を取り除く。
「インデックス情報」という手法は、不要な情報は捨て去り、自分にとって必要な情報がどこにあり、誰に聞けばいいのかという情報だけを管理し、記憶する方法です。」

3. 情報管理の方法はシンプルに

全てを記録して管理しても仕方がありません。記憶に残ったもので勝負してゆきましょう。

佐藤優はあまりメモはとらず、ただ一冊のB5ノートと段ボール箱だけで情報管理しているらしいです。

  • 時系列による資料整理法——ゆうパックの梱包箱(大)を使った整理法
  • キャンパスノート(普通横罫) 6号 ノ-10A(B5版100枚の大学ノート)に記録する

茂木健一郎は「情報の真水」にふれることを重視しているようです。

  • 「知りたいと思うものに、ダイレクトにアクセスする」
  • 「情報とのプロセスをなるべく減らす。メモも一切取らない。すべて自分の脳の中で整理する。」

「タグ」の利用もシンプルに。過度に期待しない方がよさそうです。

タグを2種類しか用意しないと言うことです。メールでは、2種類のタグを用意するとうまくいきます。
  • 名前
  • ごく少数の属性

4. 集中するための仕組みをもつ

シンプルな整理は何もしないことではありません。それなりに必要な情報が出てくる必要があります。ストレスフリーのためのGTDの教えからいくつかの言葉をひいてみます。

君の脳が気になって仕方がないものというのは,君の周囲にあるものが念を押してくれないもの

集中しようと思っていたのに,横からやってきて僕の集中を奪ってしまうもの。これがオープン・ループというもので,こうした考えがゼロになるまで,すべてをキャプチャーすることができればそれで十分なんだ

『いま』『ここで』『この状況で』やりたい・やるべきと考えていることだけに集中できる仕組みをつくろう
最初の一つは,さっき言った『頭が空』という状態を維持するということ,2番目が『物事が頭に入ってくると同時にそれが自分にとってどんな意味をもっている かを考える習慣』,3番目が『レビューを定期的にやって,頭脳がシステムを信頼してリラックスできるようにする習慣』。

diigo のおかげで、こうしたウェブ上での言葉の収集と再利用が簡単になりました。 "脳に効く"音源のリスト の時も簡単にポストできましたし。

2008-07-18

外国語の学習方法

言葉の学習方法についてのメモ。まあ、本当はネイティヴと必死にコミュニケーションしまくったり、ドラマを一日の大半の時間見続けるとかがいいんでしょうけど。

  1. 基本語彙(2000程度)と文法を暗記する: たぶん、これは仕方ない気がする。まあ、基礎の文法も語彙もなしにぶつかってゆく姿勢自体はステキだとは思うが。
  2. 音読とリスニングを行う: とにかく繰り返し、読み、聞く。単語の意味は全体の意味から「なんとなく」理解したような気分にする。注意点は、翻訳しない、つまり、母国語を排除すること。
  3. 雑記を行う: とにかく思いついたことを書いてゆく。母国語を使わずに考える訓練なので、母国語で意味を考えてから書くのではなく、その言葉で書く。最初は、ただの単語の羅列だったり、めちゃくちゃな文であったとしてもいい。続けているとそれらしくなる。本当はネイティヴに見せて「お前、バカじゃね?」とか言われるのがいいが、案外、書き散らかすだけでも、次第にそれっぽくはなってゆく。
  4. 学習者向けの原語で引く辞典を利用する: 基本的に母国語いれるとスピードが実用的でなくなるので常に母国語は意識に入れないように気をつける。

提唱したいことは単語の意味は曖昧な記憶でいいということ。

アメリカ人とかに「おい、この単語どんな意味だ?」って訊いても、「ん? どういう時に使ってんの? 文見せて」とか言われる。んで辞書ひいて「お前、コトバ、知らんな。俺は日本語でなら、この単語は知ってるぞ」とか言うと「いや、知ってたよ。聞いたことあったもん。でも、単発でどういう意味とか訊かれるとキツい」とか、のたまう。

俺達だって日本語の単語の意味は曖昧に憶えてて、何となく使えてしまう。この「なんとなく使える」ことを大切にするのがいいんだと思う。

2008-07-14

情報と向きあうときに気をつけること

情報と付き合うときに、私は二つのことに気をつけている。一つは断片的な情報を避け、体系的な情報に取り組むということ。もう片方は、客観的にではなく、自分の問題意識に従って情報と向きあうということだ。

情報は麻薬になりえる

なぜ、こうしたことを習慣にしているのか。その答のうちの一つは、情報とは麻薬にもなりうるということだ。情報とは無限にあり、そうした無限としての情報は常に不毛をもたらす。あたかも不死がまさしく生の意味の否定につながっているように。

古人はこのことを明晰に語った。いわく、一粒の麦、もし落ちて死なずんば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。 もしくはより簡潔に、有終の美、と。この言葉の意味するところ、それは美や意味 ―― つまり ”実り” ―― とは有限においてはじめてありえるということ。すなわち無限には美も意味もなく、ただひたすらに不毛が広がるということだ。無限のイメージを映し続けるであろうディスプレイは、まさに無限という名の不毛の大地へとつながっているのである。

と、こうした与太話はこの辺にしておこう。つまり、情報摂取は中毒になるということだ。何も生み出さぬ不毛なインプットは簡単に日常化し、常態化し、習慣化し、貴重な時間を奪い続けることだろう。無限への欲望は ―― いや、そもそも欲望とは無限だが ――人を蝕み続ける。己の不毛さを隠蔽したまま。

「いつか役に立つ」? 本当に?

情報はいかにして人を魅了するのか。それは不安を煽ることに始まる。全ての詐術と同じように。健康、富、仕事、人間関係、学習……こうした事柄に完璧な自信のある人は多くはない。こうした問題を少しでもうまくこなしてゆきたい。それも、ごく簡単な労力で。こう考えるのも当然のことである。しかし、まさにそこから詐術は始まる。

「待ってくれ」 ここでこう主張する声もあるかもしれない。「情報は役に立つはずだ。もちろん、いくつは実際の役に立つ状況が訪れないかもしれない。それでも、いくつかは知っておいてよかったと思うことがあるかもしれないじゃないか?」

「いつか役に立つかもしれない」。この言葉ほど成功した欺瞞も少ない。なにしろ、この欺瞞なしには、これほどの高度な消費社会は訪れなかったのだから。

しかし、このトリックを打ち破ることはたやすい。ある目的を達成するのに、いまこの場で何をすることが本当に投資になるのか? この問いを考えてみれば、情報を得ることが有益であるという欺瞞ははっきりとする。確かに情報が役に立つときもある。しかし、本当に大切なのは、成果を出すことなり、よい習慣を身に付けるということであるはずだ。それは「みせかけの投資」、投資に偽装した時間の浪費に他ならない。

いつか役に立つかもしれないという詐術は、人生を非個性的かつ時間的に無限するような誤謬に基づく。交換不可能で、ただ一回限りの、それも有限な時間しか持たぬ人間が、いつか役に立つかもしれないことために無限の情報を前にして時間を浪費することほど愚かなことはない。

更に言えば、情報を受け取ることが習慣化したときに、「いつか」は絶対にやってこない。なぜならば次々と魅力的な情報はやって来て、成果やよい習慣を生み出すだけの時間を与えてはくれないのだから。本当の投資は、例えば健康への投資が人生での活発な時間を増やしてくれたり、勉強が知力を高めるというように、必ず確固としたリターンがあるものである。

主体的・戦略的に情報を摂取する

発想を逆にすることだ。不安を煽られる前に、自分で主体的に率先して問題解決の努力をすることである。まず健康なら健康という目標を明確に立てて、 そのために一定のコスト(時間と費用)を充て、情報を選別し、吸収することである。そして、一度、情報を得た後には、そこから導かれた「仮説」に従って実際の努力を一定期間する他はない。その間には他の情報は「ノイズ」となるだけなので遮断してしまった方がよいくらいだ。そして 成果をみて、その努力や習慣を継続するか、立脚した仮説が誤っていたかどうかを再考することになる。

情報とはつねに過去の事実であるか仮説に過ぎない。それが有益であるのは、実際にそれを実行に移したときだけだ。効率を、生産性を高めることを謳う情報は次々とやって来る。大切なのは、どれか一つを自分のために実行することだ。

僕が最も尊敬する友人の一人に「どうやれば陸上競技で強くなれるか」と訊くいたことがある。彼はこう答えた。「どれが一番優れた練習法かは分からない。たぶん、答はない。ただ、一つを決めて、それにのめり込み、長い時間続けられた人は必ず強くなる。……普通は故障とかしちゃうんだけどね」

問題は目的もなく情報を摂取・蓄積することにある。情報を必要とするときは、自分の問題意識にそって主体的に摂取した方がよい。受動的に情報を受け取る習慣の中で曖昧に決断をしてゆくよりは、先手を打って自分に必要な情報を見定め、主体的に情報と付き合う方がよい。通常は「遮断」の方がよい。

「いま」を生きられない"情報中毒者"

「それでも、私には情報が必要なんだ」ニコチン中毒患者がその人にとっての煙草の必要性を語るように、 "情報中毒者" もまたその必要性を語ることだろう。「少しでも効率を上げようと努力しているんだ。そして、これが一番手軽な息抜きなんだ」

こうした "情報中毒" の語り口は、ニコチン中毒者のそれと相似をなす。「私にはニコチンが必要だ。少しでも仕事に集中するための努力の一つなんだ。そして、これが一番手軽な息抜きなんだ」

そう、彼にとって情報は「必要」だ。あたかも、ニコチン中毒者の煙草のように。それが不必要でもあり、時に害ですらありえることは隠蔽されることだろう。

それでも私たちはこう問わずにはいられない。「なぜ、"それ" が必要なの? 本当に今 "それ"が必要なの?」こう問い続けることが、不必要なアディクションを終息させ "健全" が取り戻されるだろう。 そう、なぜ "それ" が、まさにいま必要なのか? ストレス? まさか。本当に "それ"がストレスを解決する? そもそも解決したことがあった? つまり、"それ" によって気分が晴れたなどということが? それが役に立つ? いつ? どうして、それが役に立つと思う? なぜ、そんなに追い込まれているの? そうした状況に追い込むようなストレスとは一体なんだ? そもそも、それは一体 "生活" なのか?

こう問う中で更に問題が見えてくるかもしれない、つまり、問題を解決する努力を放棄しているということ、受け身に生きているということ等々が。大切なのは、しかしながら、答を出すことではなく ―― 結論なんてものはいつも陳腐なものだ ――、むしろ、こうした問題を問い続け、今という時間を自分の力で生きてゆくということである。

*

大切なことは、主体的に生きるということ、選ばされているのではなく選ぶこと。それが私にとって ―― 他の誰でもなく、ただ今ここにいる私にとって ―― 何の役に立つのか? と問うこと。受動的に情報を受け取っている時間があるのなら、自分の問題意識や強みを掘り下げたり、反省を行った方がいい。

2008-04-30

暗記のコツ

記憶には、ちょっとコツがあると思う。あまり周りの人が気付いていないと思われるコツを5点にまとめてみた。

  1. 想起に時間をかける。暗記しようと思って教材を眺めるのは効果的ではない。教材をある程度眺めたら、教材を伏せ、思い出せる範囲を白紙に書き出してゆく。間違いでも「創作」でもいいから書いてしまう。その後で教材と照し合わせて、どこが想起できず、どこが間違えていたのかを検討する。間違えたという刺激は記憶を促す。教材を伏せてる時間の流さが勉強の証。
  2. 順と逆の両方の流れを反復する。憶えることは時系列か因果関係、類種関係などで順番が出来ている(そうでなかったら、まずそうした《物語》を作ること)。その順序に沿って前から順番に想起するのは勿論、後から逆に想起をしてみる。歴史であれば時代順に想起する後には必ず時代を遡るようにして想起をする。前者は「○の後に◆が起こる」という時間の流れになり、後者は「◆が起きたのは○があったから」という因果関係になる。同様に、大概の知識は樹形図になったりするので、トップダウンとボトムアップの両方で流れを確認する。本もたまには後から読む。
  3. 印象深いイメージを想像する。ストレートに下ネタ的な印象で刻まれた記憶は忘れにくい。そのイメージを憶えるべき情報と《こじつける》ことも必要。物語化の能力なのかもしれない。
  4. 語呂合わせを恥じずに利用する。歴史の暗記で有名な語呂合わせだが、これを安易と軽蔑する必要はない。私はこれを軽蔑して損をしたと思う。わざわざ自分で作るまでもないかもしれないが、出来るだけ積極的に利用した方がよい。
  5. 場に関連させる。一定の憶えたいことがあったら、自分がよく馴染んでいる場所に関連させる。自分の家や散歩コース、通勤通学の駅名といったものに、記憶する要素を《置いてゆく》ことを想像する。箱に物を詰めるように憶えるのもよい。昔から有名な記憶術。

通常は1番と2番をするだけで飛躍的に記憶力が向上すると思う。そうして出来た《物語》や《流れ》を5番のように《場》に配置してゆくと更によい。

2008-04-11

情報の価値を決める4つの基準

情報とは何か、情報の価値基準は何かについての偏った考察。

***

世界の情報は、私を圧倒している。全てをしっかりと読むには新聞は大きく厚く、TVは膨大な時間のコンテンツを放映する。ウェブページは無限にあり、RSSは無数のエントリを運ぶ。電話やメールがパンクすることは私にはないが、世界は人に溢れていて、その気になればメールと電話のやりとりで時間を潰せることも目にみえている。DVDもCDも書籍も、追い掛けられる上限を遥かに越えている。

私は少しでも情報摂取を効率化しようとした。新聞は見出しを眺め速読し、TVは「ながら視聴」しかせず(個別情報のためというよりは、NHKがどのように報じているかを知るために)、ウェブのリンクを辿ることは禁止し、RSSリーダを利用し、登録フィードも50を越えないようにした。調べ事は事前にメモしておいてダラダラとブラウジングすることを避ける。集中したいときには携帯の電源を切り、人と会う前には話すことをメモし、電話をするならばメールをし、メールは即座に返事をする習慣をつける。DVDやCDは事前に視聴すべきものを調べてメモしておき、書籍もリストを作り、速読する……。

こうして速読や記憶術に触れ、メモやノートの技術を考え、時間管理術を覚えていった。無限の情報を圧縮し、少しでも自分の管理下に置こうとしたのである。情報管理の基本は一つである。自分にとって摂取すべき情報を規制するということ、つまり「情報の選別」と「情報の摂取」との二段階を明確に分離することである。そうすることで価値のない情報にかける時間を出来るかぎり減らすことができる。

***

しかし、それでも情報は溢れていた。ここで私は立ち止まった。そして問うた。私は何をしているのか。情報を摂取しているのだろうか。そうだとしたら情報とは何か。なぜ情報に触れるのか。情報に触れることで何をしたがっているのだろうか。

情報とは何か。情報とは「それを摂取することによって、その後の行動が変わるもの」といえることに思い至った。そうだとしたら、その後の行動に影響を与えないものは情報ではないと言える。ここで、行動とは「私の行動」に他ならない。私が情報摂取することで他の人の行動が変化するということはありえないだろうから。

こう考えると、私が情報に触れる理由が分かる。情報に触れることで、私は、今の私が知らない自分を生み出したいのである。その情報に触れなかったら取らない行動によって導かれる未知の未来へと向かうために情報を摂取しているのだ。そうした未知へと向かわせる以外の情報の価値は低い。

それでは情報の価値基準を定義できないだろうか。4年前の手帳(2004-2-19)に以下のような走り書きを見付けた。少し考えてみるとそんなに悪くなさそうなので写してみる。

  1. 関わりがあったり、自分の関心があること。その事柄に興味があり、関わっているとき、大きく影響を与える。自分がその情報を使えるときに、その情報の価値は高い。逆に言えば、自分の関心のない事柄に関する情報は、いくら客観的な価値があると言われているにしろ情報ではない。
  2. 真実であること。リアルであること。別に情報が客観的事実である必要はない。主体にとってのリアルであり、真実であればよい。独特の説得力があればよい。ある種の世界を眺める視座や、分析する語り口が主体の行動に影響を与えるのは、その語りがリアルであり、切実であり、何よりも主体にとって真実であるからである。もちろん事実であるというのは強い説得力を持つが、詐術的メディアに囲まれた世界で「事実」ほど疑わしいものがあろうか。自分のリアルという感覚以外に何を頼れるのだろうか。事実であろうが真実を感じさせないもの、身を切るようなリアルな質感を感じさせない情報は情報ではない。
  3. 意外であること。未知であること。驚きを与える情報が主体の行動に変化を与える。既知であったり、当然である情報は行動に変化を与えない。それは情報ではない。
  4. 入手・摂取コストが高いこと。記号に対し、深く影響を受けるためにはコストをかける必要がある。ある意味で、意外さの驚きとはこの「コスト」かもしれない。時間をかけ取り組む必要があるということそれ自体が、主体に変化を与える要因となる。ある種の理解し難さが情報の価値を向上させるのである。コストが掛けられない場合には簡単に通り過ぎてしまい、主体に変化を与えない。長年つきあうには「手強さ」が必要である。

逆に言えば、価値が低い情報とは「自分との関わりや関心が低く、リアルさがなく、意外性がなく、入手も摂取もしやすい情報」ということになる。こうした情報は主体に何らの変化も起こさず、故に主体は未来に向かうのではない。こうした情報は人を「情報処理機」に堕とす。私たちを囲む、実に多くの「情報」が、こうした「情報」なのではなかろうか。真に意味のある情報と付き合いたいのなら、選別の過程でこうした「情報」を排除する必要がある。

***

そうした自分を変えるような情報を見つける方法はあるのだろうか。価値のある情報は客観的には決めにくい。関心や好奇心、裏切られたりリアルに感じたりする感性は人それぞれである。一つだけ言えることは、自分の直感と予感を信じるということである。

藝術を愛好する人ならば、ある種の芸術作品が、理解のし難さで己にぶつかりつつも、何故かそこに価値の予感を感じることがあると思う。そして、それが、長い時間を経てからやっと分かる日が来ることがある。自分のその分野に関する強い関心、リアルさ、未知さ、理解コストの高さがあいまって、その作品の価値の高さとも言えると思う。その「理解」が出来たときには、自分は化学変化が起こっているのだから。

また、ある種の古典とは、価値のある情報である可能性が高いと思う。生き長らえる古典とは、長年に変わらない人間の関心を主題とし、意外な真実をリアルにあぶりだす。そして摂取コストが高いことが多い。そうした作品を鑑賞することで、異なった未来が開けるということが多いのだろうと思う。

片や人気のある作品とは、情報が低いことも多い。摂取や理解のしやすさが主体の変化の契機を奪うし、娯楽とは既に成立している感性の反復であるので、微妙に好奇心を煽りつつ、そこに意外性や未知は含まれていない。更にリアルさや関心の度合いは高いにしろ、時間の経過とともに風化してしまう。

所謂、成功本や金持ち本を読むと、平凡でない人は平凡でない情報に触れている場合が多い。古典にじっくりと取り組んでいる割合も多く感じる(本なのだから本を勧めるのはある意味当然だが)。あるいは、そうした外部のメディアに頼らず、「現実」や「自分」という未知に真っ向から挑んでいるのかと思う。

2008-02-25

文書の種類 文字数と時間の関係

文書の分量と、読む速度、書く速度の関係についてのメモ。こういう視点で考えたことが無かったので新鮮だった。文書を書くなら、こうした関係を頭に入れておくと、いろいろと楽になると思う。

分量からみた文書の種類(野口悠紀雄『超文章法』より)

  • 段落 - 150字
  • 短文 - 1500字
  • 長文 - 1万5000字
  • 本 - 15万字

手元の本を開くと、確かに一章なり一節なりは大体「短文」か「長文」の長さになっていて、それが組み合わされて作品が仕上がっているのがわかる。

読む速度

読書速度測定で測ってみた。

  • 音読 - 400字/分
  • 黙読 - 2000字/分
  • 速読 - 7000字/分

薄めの本を読むのに、音読したら8時間掛かって、黙読したら1時間ちょい、速読なら20分というところだろうか。実感として、普通にこれくらいと思う。

ちなみに、この音読速度で考えると、

  • 短文 - 3分前後
  • 長文 - 40分前後
と考えられる。

これは音楽の演奏時間で考えると腑に落ちる。一曲は短くても3分程度であり、LPが40分がマックスで、演奏会も40分前後で休憩が入ることを想起させる。交響曲も典型的には40分程度と思う(ベートーベン交響曲演奏時間一覧やモーツァルト交響曲演奏時間一覧参照)。

人間の集中力はこの程度の枠でおさまるのだろう。つまり、一つのまとまりは3分はないと短すぎ、長くても40分程度で十分ということではないだろうか。

書く速度

結構速く書いて1分40字らしい。つまり音読の十分の一の速度。

速く書く速度については1行40字が目標値とされている。
(Passion For The Future: 「速く・わかりやすく」書く技術―原稿用紙3枚をラクラク30分!より)

こう考えると短文を書くには40分弱、長文を書くには6時間15分という計算になる。

作家の一日に書く分量

  • 保坂和志さんは、1日に3枚、よくて5枚とおっしゃっている(「書きあぐねている人のための小説入門」)
  • 佐藤洋二郎さんも、1日に3枚と書いておられる。(「実践 小説の作法」)
  • 丸山健二さんは、一日1時間が限度だが、興に乗ったらもっと書いてもよいとおっしゃっている。(「まだ見ぬ書き手へ」)
(一日に書ける枚数、一ヶ月に書ける枚数 - Backstageより)
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