2007-01-09

21世紀の経済学がなすべきこと
2. 序論 — 資本主義の問題に対する経済学の沈黙

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現行の資本の活動は労働者を疎外し天然資源や自然環境を破壊・枯渇させています。

世界的に労働者は“race to the bottom” と呼ばれるまでの労働条件の悪化を経験しています。しかし先進国では労働者はそのような苦境にありません。これは先進国では資源浪費による技術により労働者搾取の率は低いからです。そうして世界的な貧困化は先進国の目には入りません。しかしほとんどの国では労働条件の悪化は進んでいるのは事実ですし、先進国でも不況や産業空洞化という形で隠蔽された労働条件悪化は進んでいると言えます。

一方で天然資源消費の歯止めは一向に掛かる気配すらありません。二酸化炭素の発生を規制しようとした京都議定書も有名無実化しているのが現状ですし、石油資源も先進国の思惑のみが先行し有限資源の保護の発想は微塵もありません。それどころか利権を巡り戦争を起こしているありさまです。そのような剥き出しの利権主義が横行する中で一時期発言権を持った環境保護団体は黙殺されがちになりました。

以上のように富の源泉である労働力と資源・環境は徹底的に搾取されるているのです。このような事態はは今世紀の死活問題のはずです。しかしこのような状況に対し学問・政治議論・ジャーナリズムはほとんどの有効な対応をとれていません。

とりわけ経済学は労働条件や資源・環境を計量的に扱えるはずであり、本来はこの状況を政治的に解決すべき知恵を提供できる学問のはずです。ところが現状の経済学はGDP・失業率・インフレ率などのマクロ経済的な考察には熱心ですが、資源や環境の問題に対して政治的にはほとんど沈黙を守っています。いわんやエネルギーや食料・水を巡る人口問題に対しては解決を諦めているかのようです。

本試論では以上の問題意識をもとに従来の経済学による労働者搾取問題と資源・環境問題を洗い出し、その上で経済学は何をすべきなのかを考えてみました。


概要と文献 1. 結論——21世紀に必要な経済観

2. 序論 — 資本主義の問題に対する経済学の沈黙(現在の記事) 3. 交換価値と無限の自然に立脚した資本主義批判 4. 従来の資本主義批判の限界と新しい経済学 5. 暫定的な最低限の処置