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前節で見たように問題は経済学だけではなく現代社会の経済観自体の問題にないります。そのためには根本的な経済観を変えなければならないと書きました。しかし実際に自然・資源やエントロピー論を元に一から学問を起こすのは困難であるでしょう。またその繁雑さから影響力も限定されるとも考えられます。
ひとまず私はこの問題に対し提言があります。すなわち経済は価格では買えないものを消費してはならないというものです。つまり有限で環境破壊をする資源の利用に対価は払えるはずはなく、経済学はその取引をやめるように提言すべきであるということです。経済学はその提言をするに足る十分な情報と手法を持っているからです。
通常、私たちの社会では文化芸術作品や歴史的遺跡には高値がつきます。中には政治機関の認定により取引を禁じられるものさえあります。これは個人や一時代の人々により消費・破壊されてしまうことを防ぐためです。この保護の考えにより作品や遺産は杜撰な取扱いを免れ人類全体の遺産として残るというわけです。
ここで考えて欲しいことがあります。化石資源は地球が長い年月を掛けて生成してきたものであり人間による生産・再生は不可能です。使いきってしまったら後はないのです。有限であり再生できない化石資源は人類文化遺産のように値段が付かないはずのものではないでしょうか。
一方、地球温暖化も値段が付けられないほどの人類に対する被害です。環境エネルギー庁の『総合エネルギー統計(平成三年度版)』[8]によれば、 1990 年には地球上では75 億トンの石油に匹敵する化石燃料が消費されました。この化石燃料の消費から発生する炭酸ガスは年間220 億トンであり地球上の炭酸ガス2 兆トンの1% 以上です。石油が枯渇すると予測されている45 年後には炭酸ガス濃度は現在の50% 近く増加することになるということです。このような被害を金銭的に償うことは明かに不可能です。
消費して消滅してしまう化石燃料は以上のことから本来は価格には表せないものです。つまり経済的に取引されるべきものではないのです。
では私たちは自らの労働の他にはエネルギーを持たないのでしょうか。いえ、エネルギーを持たないというわけではありません。我々には太陽が与えられています。私たちは太陽のエネルギーのみを使用しなければいけません。日光・風力・地熱などの発電手段は太陽を利用したエネルギー取得手段です。また水力発電も太陽が運んだ水の位置エネルギーを利用した発電手段です。
ところで薪やそれを加工した炭もたしかに太陽から与えられた資源です。太陽の力によって成長する木々から生産されるからです。しかし、それらの燃料の使用も地球温暖化を促進する要素になります。地球の自浄作用を越えない範囲での使用なら問題ないということになります。
さて、以上に述べたように私たちは枯渇や環境破壊する資源を利用すべきではありません。実際、昔の世界のほか今でも多くの社会ではそれらの資源を利用していません。これは古からの知恵であるとして尊重すべきものです。
しかし、急激にそれらの資源利用を停止するのは理想論です。現実には不可能ですし、やるべきでもありません。ひとまずは枯渇と環境破壊の危険性を視野に入れた価格設定が必要で、段階的に価格を上げてゆくべきでしょう。最終的には太陽からのエネルギーを利用した方が効率的であるようにします。
この議論を成立させるために経済学は以下のことをしなければなりません。
* 現行の仮定による経済が与える打撃の計算
* 妥当な化石エネルギー価格の計算
* 妥当価格による社会打撃
* 太陽源泉のエネルギーの開発支援
* 太陽源泉のエネルギー利用支援
それらを調査した上で政治・行政の場に資料を提出します。
現行の社会が与える未来への打撃と、枯渇や環境破壊から自由なエネルギーの使用による現在の社会に対する打撃を計量化し、そのトレードオフにより価格を設定しなければなりません。
これらの問題を取り入れた上で一般に人口問題と呼ばれる問題に対処しなければなりません。食料や水という生存に最低限必要な物資の経済も考えねばなりません。これは上記のようなその場しのぎの経済学では間にあわないでしょう。本格的にエネルギーやエントロピー論と資源の有限性に基づいた経済学が必要になります。
概要と文献 1. 結論——21世紀に必要な経済観 2. 序論 — 資本主義の問題に対する経済学の沈黙 3. 交換価値と無限の自然に立脚した資本主義批判 4. 従来の資本主義批判の限界と新しい経済学
5. 暫定的な最低限の処置(現在の記事)