2007-01-09

21世紀の経済学がなすべきこと
4. 従来の資本主義批判の限界と新しい経済学

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前節ではマルクスによる資本主義批判を振り返り、技術革新が資本主義減速の退避策の要になることが考えられました。その上で自然を無限と見ることと交換価値で自然を見ることの関連を見てとりました。

資源枯渇・環境破壊という問題に対して経済学は有効な提言はできません。これは経済学が交換価値のみに立脚したことによる限界です。

経済学的思考はこの限界を打ち破らねばなりません。資源の有限性や環境破壊の危険性やエネルギーの経済は現在の死活問題になりえるからです。

ここで注意が必要なのは資源の有限性を考慮していないのは経済学だけの責任であるとも言えないのです。なぜなら現実の社会が資源の有限性を考慮していないからです。つまり、現実の社会が交換価値のみを考えて資源を無限であるかのように考えているからです。

もし有限性を認識しているのなら価格調整が図られるというのが経済学の発想です。もし有限であるということを現実の社会が認めているのなら現実に価格調整は実現するでしょう。あるいは地球温暖化現象に見合った額になるために環境税などが付加されるべきです。しかし現実社会は資源の有限性や環境破壊には留意していないのです。

もし環境破壊も枯渇もしない資源があった場合を考えてみて下さい。有効に利用することに問題はないはずですね。問題は事実は異なるのに今の社会が枯渇も環境破壊もしない資源かのように消費していることなのです。

現実社会が考慮していない変数を学問が取り入れることは不可能ですが、しかしながら、このことは資源枯渇・環境破壊問題を経済学が考えなくてもよいということではありません。経済学はこの問題を有効に提起できる限られた学問なのです。経済学は被害を最小限にすべくこの問題に対処すべきです。現実から作られた経済学が現実に影響を与えなければいけない時なのです。経済学は統計データ・理論や計算道具を十分に持っているはずです。

経済学は交換価値のみによる経済学からの脱却しなければなりません。そのために自然破壊や資源の問題かエントロピーの問題を根底にすえるべきでしょう。その上で政治・行政の場にアプローチをしていかなければなりません。以下の本では資源の有限性に立脚した新しい経済学が構想されているようです。K. William Kapp, The SocialCostsof Private Enterprise[4]、宮本憲一『環境経済学』[9]、NicholasGeorgescu-Roegen のエントロピー論[1,2]、玉野井芳郎の「広義の経済学」[10-12]などがあります。


概要と文献 1. 結論——21世紀に必要な経済観 2. 序論 — 資本主義の問題に対する経済学の沈黙 3. 交換価値と無限の自然に立脚した資本主義批判

4. 従来の資本主義批判の限界と新しい経済学(現在の記事) 5. 暫定的な最低限の処置