2008-02-29

ノートの取り方(4) ページ番号をふり、日付を入れる

ノートの取り方(2) 8つのルールについて、一つずつ書いている。今回は「ページ番号をふり、日付を入れる」ことについて。「タイトルを入れること」にも言及。

***

ページ番号をふる理由の一つは、相互参照するためだ。あるアイディアについて「これはp.3参照」などと書いておくことができる。完全に複数のページにまたがっているが一つの方向性を持ったアイディアなら、切り取ってクリアホルダに放り込むが、それ以前のゆるい結合の時にはページ番号で参照させるというのはやりやすい。

加えて言えば、個別のページ同士のリンクだけではなく、私はノートの先頭にTODOリストを作り、最後には目次を作っているので、それらを個別のページにリンクさせてもいる。

***

次に日付を入れないと、いつ書いたのか分からなくなってしまう。数年前のノートを見て、それがいつ書いたのか分からないととても残念な気分になる。思いついたアイディアは何よりの日記となる。コメントを書いた日までできる限り日付を入れたほうがいい。

そのときに自分が何をしていたのかも、アイディアに影響を与える。だから、日付での参照をするためにも日付を入れる必要がある。

なんにしても人間というのは並んでいないと整理された気分にならずにすっきりしないが、逆にいえば並んでさえいれば整理された気分になりすっきりとする。日付の分からないノートを並べておくのは気分が悪いが、それが日付の順番になっていると分かれば幾分すっきりとする。

日付を書くのが面倒ならスタンプを準備しておくという手もある。もちろん毎日日付を変えるのが面倒だけど。しかし、コンパクトに日付を記せるし、色が違って目立つのでお勧めではある。

***

最後に「タイトルを入れること」も重要だ。できれば、上の目立つところにそのページが述べていることをすっきりと一行でまとめておくと、後から参照するときに役に立つ。目次を作るときにも役に立つ。

これも人間不思議なもので、名前を付けるとそのものを把握した気分になる。雑多に書かれたメモであれ、それにタイトルをつけると「ああ、あのメモだ」という気分になり、記憶に残って有益な情報源になりやすい。逆に名前を付けないとただの雑多な思いつきで終わってしまうことが多い。

更にタイトルをつける習慣は、情報を要約するいい練習にもなる。あるアイディアに対し、短く、的確で、記憶に残る名前を付けることは難しい。そうした名づけに無意識であると一向にその能力は発達しない。だから、普通はコンセプトを考えたりすることは苦手だし、メールの件名をつけることも苦手だ。自分のノートなら気兼ねなく名づけができる。こうした小さな練習が、企画を出すときにも役に立つと思う。

***
以上、ノートにはページ番号をふって、日付を入れ、タイトルを付けることの重要性を書いてみた。明日は「常に追記する」ことについて書いてみたい。

2008-02-28

ノートの取り方(3) 余白を取る

ノートの取り方(2) 8つのルールについて、一つずつ書いてみる。今回は「余白」について。

***

ノート術やノート作成法などを読むと必ず余白を十分に取るように書かれている。これは後からの書き込みをするために必要不可欠だからだ。

一般にノートは「書いたら終わり」という人が多い気がする。そうじゃない。ノートは書いた後が勝負だ。一度書いただけで記憶に残るのなら、ノートなんて書く必要がない。僕たちは何かをしたいから、そしてその何かが成し遂げられていないから、ノートに何かを書くのだろう。

ノートが作られる瞬間は不完全な場合が多い。ノートには勢いで書く。だから、後から読んだら意味が通じなかったり表現が適切でなかったりする。それでいい。最初から完璧に書こうとすると上手くいかない。自由に書くから、アイディアや知識が湧きやすい。

余白なしで文書を書いてしまうと、そうした不完全な文書を直すスペースが無い。場合によっては書き直したり、まとめたりしたくなるだろう。そのスペースが必要だ。別の紙に書いてしまったら、最初の勢いのある文字は葬られてしまう。最初の勢いと、しっかりと意味の通じる図や文を共存させることができない。

***

余白が必要なのは、修正やまとめのためだけではない。余白がないと追記やコメントができない。一つの項目について重層的にアイディアを重ねることができない。

人間は情報が豊富なときに記憶ができると僕は考えている。情報の網の目が広いほうが想起しやすい。自分の経験に基づいたアイディアや知識の方が様々な連想を広げてくれるので、身体化しやすい。

実は重要なのは結論ではない。「あの時に思ったことだ」「あの人の言葉だったから」「あの場所で感じたことだ」……。そういうことが、僕たちの思念をコントロールする。芸術的な文藝を除けば、一般に文字の情報は些細なもので、現実の体験の情報量には到底かなわない。だから、少しでも情報量は多く残しておいて、連想の網の目を広くしておいたほうが想起しやすい。

手書きのノートはこの点において強みがある。最初に書かれた状況や勢いが記録されやすい。その筆跡が、その汚れが、僕たちの思い出の回路に繋がってゆく。次回にも書くことだが、だから日付や場所などを併記する必要もここにある。連想の網の目を広げられること、自分の体験との密接な関連を残せることに手書きの強みがある。

余白を残すことで、一つの空間に重層的に情報を蓄積できる。書き込まれたそのときの状況も、そこに重なってゆく。その折々の自分の思念が一つのアイディアに織り込まれてゆく。知識やアイディアが身体化してゆく。

思いを重ねるために余白はなくてはならない。

***

僕はノートの片面しか使っていない。見開きの右側しか使っていない。「もったいない」と言われるかもしれない。でも、一つの見開きには一つの項目しかないほうが、僕にはストレスが少ない。あることを考えているのに、他のものが目に入ってしまうと気が散ってしまう。

右側しか使わない理由はもう一つある。破り取るためだ。あるテーマについて複数ページに渡っていると書きにくくて仕方がない。そういう時は破って並べてしまう。もし、裏面に何か書いてあったら破ることができなくなる。もちろんコピーすればいいのかもしれないが、破る方が早い。

文を一行おきに書く人もいるが、僕は一つの段落は行をあけずに書いて、段落ごとに二行ほど余白を取るようにしている。一般的なウェブサイトの表示に似ている。段落を把握しやすいことを僕は好む。

僕は一行を短く抑えて、右に余白を取るようにしている。ここがコメントや追記を書くスペースだ。左右に小さな段落が並ぶことになる。いくつかの段落は囲まれて、矢印が引かれたりもする。見た目は、文とチャートの中間になる。四色ゲルインクのボールペンを使っているので色もつけている。

***

余白とは関係ないけど、使っているノートのタイプもメモしておく。僕が使っているのは、厚めのA5かB5のリングノート。A4は僕には大きすぎた。まあ、慣れの問題だろうけど。更にポケットに入るメモ帳として100円ショップで買ったB7の方眼罫も利用している。これは本当に一時的なメモ用。

僕は右側にしか書かないので、折り返して使えるリングノートを好んでいる。電車内やカフェで開くには見開きはストレスがある。折り返せるノートなら気にならずに集中できる。通常のノートだと、折り返すと真中が膨らんで書きにくい。それに机の上に開いたままにしておく際にも省スペースだ。

そうそう。以前、モレスキンを折り返して使っていたら壊れてしまった。あれは別に頑丈ではないと思う。

そうしたノートの先頭の見開きはTODOを書くスペースとして空けていて、最後のページは目次にしている。表紙には、通し番号と使った日付を書いている。タイトルがないのもあれなので「雑記帳」と書いている。あまりいいネーミングじゃないけど。

***

以上、余白について思うところを書いた。まとめると、余白は以下の理由で必要だということ。

  • 余白は自由に書いた文書を後から読めるように修正するため
  • 重層的にアイディアを重ねるべく追記のため

そして僕の使用法には以下の特徴があることを述べた。

  • 見開きの右側にしか書かない
  • 一行を短くして余白を右側に取っている

次回はページ番号をふり、日付入れることについて書いてみる。

2008-02-27

[書評] ラヴクラフト全集 別巻上

私は所謂ジャンル物をあまり読まない。だから恥ずかしいことにラヴクラフトという名前すらしらなかった。クトゥルー神話という言葉を聞いたことすらなかった。

こんな人間が本書についてコメントをするのは間違っていると思う。しかし、読んだ以上、思うことがあり書きたくなることがあるものだ。一つの怪奇幻想短編集を読んだものとして、思ったことを少々。

***

まず、重要なことは、本書がラヴクラフトの作品を収めたものではないということ。彼の添削や共作よりなる短編が収められている。

怪奇幻想というものはあまり読まないが、それでも面白く読ませてもらった。特に面白いと感じたのはC・M・エディ・ジュニアの「幽霊を喰らうもの」と「最愛の死者」、それにZ・ビショップの「メデュサの髪」だった。怪奇幻想を可能にする逸話や因縁、あるいはその土地に住む人の思いや歴史が効果的に語られ、怪奇幻想の世界に迷い込む主人公の恐怖が描写されている。

こうしたものを読んで、そもそもホラーとか怪談とか謂われるジャンルについても思うところがあった。

ホラーを支えるものはリアリティである。ありそうも無いことをいかにもありそうに語ることが勝負である。そのリアリティーを支える重要な要素は、場の空気だと感じた。どの短編も「場所」に敏感であり、場に無頓着な描写は面白くない。

ホラーは常にありえるものではない。だからこそ、「その場だからこそ」が求められる。その土地だったからこそ、その歴史があったからこそ、その人々の思いがあったからこそ、その因縁があったからこそ、その場所で「ありえないもの」がさもありなんと感じさせる。

***

なぜ、人は怖いものを見たいのだろうか。ありえないものに出会いたいのだろうか。

ストレスがないはずのものを要請するという考えがある。ジレンマに陥ったとき、絶望の淵に沈んだとき、聞こえないはずの声が聞こえる経験をする人がいる。ストレスがある一定の閾値を越えると、それでも生きねばならないことが、幻聴を要請するということもあるのかもしれない。ある人は神に触れ、ある人は悪魔と戦う。

そうした幻聴や幻視はある種の防衛だとも言われる。人は選びたくない状況でも生きるためには選ばねばならないときがある。そうしたとき、神の声や悪魔の囁きは必要なのだろう。現実そのものが受け入れがたいとき、ある種のファンタジーに生きることが、生を救うということもあるのかもしれない。

「ありえないもの」を現出することによって守るという防衛機能を備えた人間として、怖いもの見たさは本質的なのかもしれない。「飲む打つ買う」などの陶酔に身を任せたり、芸術や学術の高揚に酔いしれたり、異国を旅をしたりする欲求が人にはある。これは「ありえないもの」を生み出す能力が使われないままになっている不満を解消しているのかもしれない。持っている機能を使わないと欲求不満に陥る。

想像力はある種の怪奇に到達するのかもしれない。霊が登場する文学は多い。そうした物の怪に出会うことが何かしらの意味を持っている。また信仰の人もそうした何かしらのものに出会っているのだと思う。

ただ、今回の本では、そうした物の怪に出会った主人公が、そうした経験によってどうなったのかが分からない。これは短編だから仕方ないのかもしれないが、残念である。物の怪というある意味での人間の究極にぶつかった人間は、そういうものにぶつかるだけの因縁があるような気がする。だから、そうした因縁までも含めて描いてある作品を読みたいと思う。

***

ラヴクラフト全集
Amazonで購入
書評/ミステリ・サスペンス
[続きを読む]

2008-02-26

[書評] 病をよせつけない心と身体をつくる―直観医療からのメッセージ / クリステル・ナニ

本が好きから頂いた本の書評。

全米屈指の直観医療者によって、どうすれば健康で幸福な人生を手に入れるのかについて、スピリチュアルなエピソードが綴られている。

私は直観医療という言葉を知らなかった。帯によれば、直観医療(Medical Intuitive)とは「エネルギーの場をみることで病の状態とその原因を読み取ること」らしい。

直観医療については訳者あとがきに詳しい。

この言葉をはじめて世界的に有名にしたのはアメリカ人女性、キャロライン・メイスである。(……)精神的な不調におちいったことがきっかけで人々の病の原因を直感的に透視できるようになった。一九八四年頃から、ノーマ・シーリー博士という神経外科医とタッグを組んで直観医療の技術を磨き、直観医療の科学というものを築きあげていった。その結果が 『健康の創造』 と言う本になって結実し、世界的な評価を得ることになる。

一九九二年、二人は直観医療の教育プログラムをつくり、直観医療者の育成をはじめた。その結果、現在では一万人以上の直観医療者が活動していると言われている。一九九六年、キャロラインは長年の研究成果を 『七つのチャクラ』という本にして出版し、直観医療という言葉を世界的に広める役割を果たした。

ただし、本書の著者クリステル・ナニはキャロラインのプログラムとは関係なく子供の頃から直観できたらしいので、あまり関係はないのかもしれない。

原題が『Diary of a Medical Intuitive(直観医療日記)』ということなので、全体としては逸話の集成である。大きく分けて、著者自身が直観医療の能力に気づいた話や、看護婦から直観医療者になる著者自身のエピソードと、個々の患者にたいするアプローチを具体的に綴った話の二種類がある。私のようなタイプには信じがたい話が多いが、その中で語られる生きることに対するメッセージは確かにと頷かせるものがある。

本書は、直観医療に興味を持った人が具体的なアプローチの実態を知ることができると思う。また、個々のセッションでのエピソードは示唆的なので、そこから「病をよせつけない」ためのヒントを得られると思う。

中でも有益と直観医療者が優秀でないことを示す六つの証拠が興味深いのでメモしておく。

  1. 質問しすぎる。
  2. セッションの最中に追加料金を求める。
  3. 暗闇から登場する。
  4. 医学的なバックグラウンドがない。
  5. 思いやりに欠けている。
  6. 職業意識の欠如。

関係サイト

Christel Nani [Home Page]


病をよせつけない心と身体をつくる―直観医療からのメッセージ

  • クリステル ナニ、菅 靖彦
  • 草思社
  • 1470円
Amazonで購入
書評/健康・医学
[続き]

2008-02-25

文書の種類 文字数と時間の関係

文書の分量と、読む速度、書く速度の関係についてのメモ。こういう視点で考えたことが無かったので新鮮だった。文書を書くなら、こうした関係を頭に入れておくと、いろいろと楽になると思う。

分量からみた文書の種類(野口悠紀雄『超文章法』より)

  • 段落 - 150字
  • 短文 - 1500字
  • 長文 - 1万5000字
  • 本 - 15万字

手元の本を開くと、確かに一章なり一節なりは大体「短文」か「長文」の長さになっていて、それが組み合わされて作品が仕上がっているのがわかる。

読む速度

読書速度測定で測ってみた。

  • 音読 - 400字/分
  • 黙読 - 2000字/分
  • 速読 - 7000字/分

薄めの本を読むのに、音読したら8時間掛かって、黙読したら1時間ちょい、速読なら20分というところだろうか。実感として、普通にこれくらいと思う。

ちなみに、この音読速度で考えると、

  • 短文 - 3分前後
  • 長文 - 40分前後
と考えられる。

これは音楽の演奏時間で考えると腑に落ちる。一曲は短くても3分程度であり、LPが40分がマックスで、演奏会も40分前後で休憩が入ることを想起させる。交響曲も典型的には40分程度と思う(ベートーベン交響曲演奏時間一覧モーツァルト交響曲演奏時間一覧参照)。

人間の集中力はこの程度の枠でおさまるのだろう。つまり、一つのまとまりは3分はないと短すぎ、長くても40分程度で十分ということではないだろうか。

書く速度

結構速く書いて1分40字らしい。つまり音読の十分の一の速度。

速く書く速度については1行40字が目標値とされている。
Passion For The Future: 「速く・わかりやすく」書く技術―原稿用紙3枚をラクラク30分!より)

こう考えると短文を書くには40分弱、長文を書くには6時間15分という計算になる。

作家の一日に書く分量

  • 保坂和志さんは、1日に3枚、よくて5枚とおっしゃっている(「書きあぐねている人のための小説入門」)
  • 佐藤洋二郎さんも、1日に3枚と書いておられる。(「実践 小説の作法」)
  • 丸山健二さんは、一日1時間が限度だが、興に乗ったらもっと書いてもよいとおっしゃっている。(「まだ見ぬ書き手へ」)
一日に書ける枚数、一ヶ月に書ける枚数 - Backstageより)
[本文を読む]

2008-02-24

友人の演奏会

友人の演奏会があった。一応こちらにも雑感を書いておく。テンション高めなので注意。

***

彼とは大学一年に出会った。既に8年の付き合いになる。

音楽を愛好する人間として互いにひかれた二人だった。しかし、彼の演奏を聴いたのはこれが初めてだった。そして、恐らく、これが最後か。

彼との出会いを思い出す。それは大学の入学式の前にあるオリエンテーション合宿の朝だった。私は大学に期待していなかった。だから、ややふて腐れたような気分で、それでも高揚を感じながら、「クラスメート」を眺めていた自分を思い出す。

彼は少し離れたところ、そう、確か校門のところに立っていた。

朝だった。やや冷える春の日の朝だった。その朝日の下、校門の脇に立つ彼が、優しい光を発していた。

彼とはすぐに意気投合した。合宿地へ向かうバスの中、音楽について様々に語り合った。すぐに二人は気心が通じた。得がたい友人を得たという実感だった。音楽の面で彼ほどに自分と似た境遇、近い感性の人間はいない。これは今でも思うことだ。

そう。大学の寮でバッハのリュート組曲から数曲を弾いたのを思い出す。高校時代に打ち込んだ曲だった。僕は組曲の二番、BWVの997、その冒頭の Prelude(Fantasia)を好んでいた。僕の表現を、彼は理解した。

彼との付き合いは、しかしながら早くも夏前には途切れてしまう。彼は大学に来なくなった。酒と女、そして何より音楽の魔力に取り付かれたか。私は詳細を知らない。このことを思うと、私は胸の奥で憂鬱な疼きを感じる。

あの頃の東京の空は暗かった。晴れた日の光すら、白々しく闇を照らしたものだった。

***

先日の演奏会、彼は直接に私を誘わなかった。仲介してくれた人によれば「照れくさかった」らしい。彼は僕に演奏を聴かれたくなかった。大学にいる間にも演奏に僕を誘わなかった。「まだ」なのだろう、と僕は解釈していた。

そうして気が付くと、18で出会った二人は27になっていた。

しかし、それでも彼は私を「誘った」。きっと最後なのだろう。唐突に僕は思いついた。僕はそうなることを何年も前から知っていたように思う。言葉にするまでは思いもよらないことだったが。

***

彼と僕はよく似ていた。気持ち悪いほどに似ていた。体格、肌の色、姿勢、仕草……。飲んでいて全く同じ姿勢で同じ台詞を同時に言うことが何度もあって、笑ったものだった。ただ、彼は優しく柔らかく、僕はきつく尖っていた。

彼の演奏を見て、僕は自分の中学生の頃のビデオを見ている錯覚に襲われた。何度か見た中学生の自分の演奏と、彼が極めてよく似ているのである。その姿勢、息遣い……。僕はギターで、彼は管楽器だというのに。

彼は数年間の努力の後、大学を卒業し、現在は会社員となった。業種は知らない。ただ、今回の演奏会の準備の労苦は並々ならぬものだったと思う。僕はこのことに対し何を書けばいいのか分からない。

演奏会には、彼が二十歳の頃から付き合っていた彼女が来ていた。彼女は昨年の司法試験に合格したらしい。彼女はそのまま名古屋に戻るらしい。本当に久々に会う彼女は、やや老けていた。私は彼女が彼と一緒に住まずに親元に帰ったことに驚いたが「おめでとう」としか言えなかった。他には何も訊けなかった。「じゃあ、遠距離?」という空気でもない。

***

彼の演奏は素晴らしかった。ピアソラのブエノスアイレスの四季は、熱い嵐そのものだった。彼の集中力は熱い渦を現出させた。

ひたすらに歩みつづけるタンゴのリズムは、人の運命の歩みの音だ。それはただひたすらに人を運んでゆく。その避けがたい歩みの上で、人は躍動し、求め、愛し、気が付けば衝突し、苦悩は破滅的に渦巻いてゆく。それでも、僕たちは足掻き、求めながら、歩んでゆく。

なぜだ? なぜだ? 更に苦悩は渦巻いてゆく。ひたすらに時は流れてゆく。リズムは止まらない。人生は運命は連なってゆく。その苦悩は、その緊張は、破滅的に高まってゆく。答はない。そう、解決はない。どこにも、救いは無い。

彼の朝日のように透き通った音が、そこで何かを教えてくれた。そう。求めたからこそ出会いがあり、苦しんだからこそ愛があった。熱く煮えたぎり、渦巻いた後だからこそ、優しい哀しさが、暖かい喪失感があるのだ。それは春風のように心を駆け抜ける。

「それで、いいじゃないか。そうだろ? 本当に色々あったよな」

彼は確かにそう言うと穏やかに微笑んだ。哀しい独白は、なぜか人の心を暖める。

***

演奏は終わり、僕は彼とほんの少しだけ話した。

何かがとっくに終わっていた。演奏会が始まる前に終わっていた。まあ、それでいいんだろう。俺も今ならそう思う。

それでいい。おめでとう! お前の音は、お前の表現は俺に伝わった。俺は一生忘れない。よかったな! もう終わったんだろ? 大丈夫。お前は天才だ。俺は、そう保証する。

直接、胸を張って言ってくれないのは残念だけど、まあ、分かったよ。

音楽、辞めるんだろ?

それで、いいじゃないか。そうだろ? 本当に、色々あったよな。

2008-02-22

[書評] 未来を予測する技術 / 佐藤哲也

amazon

日本が世界に誇るスーパーコンピュータ「地球シミュレータ」のセンター長を務める筆者による、シミュレーション技術、更には科学そのものについての概説。

昔、世界を記述する方程式が発見されるとかされないとか話したものだった。それが最近では、アルゴリズムになっているのだと感じた。

筆者は、科学がかつて何であり、これからはこうなってゆくという未来を語る。古代の祈りや占いからの「知性」の起こりから、科学の発達を説く。そして、現在の科学の要素還元パラダイムの限界と、ホリスティック・パラダイムへの必要性を説いてゆく。

次に、そうしたホリスティック・パラダイムを実現するために必要なコンピュータ・シミュレーションの歴史を概観する。地球コンピュータが誕生するまでの経緯も綴られる。

ポイントとしては、従来の要素還元型の科学では「落し物」があり、コンピュータ・シミュレーションなら全てを扱えると言うわけである。人類は、未来を予測する技術を手に入れるというわけである。そうなると当然に人間の認識も変わると筆者は訴える。

コンピュートニク [地球シミュレータのあだ名] が二十一世紀の科学技術のあり方、ひいては、人間の生き方・考え方や価値判断(パラダイム)までも、大きく変える可能性をもっているということである。(p.17)

こうして現れる次のパラダイムを「シミュレーション文化」と呼ぶ。シミュレーションによって未来が確実に予測できる時代の文化である。

初期値の入手や有効なアルゴリズムの発見、情報の解像度と計算能力などによる問題はさておき(既にかなり高い精度で地球規模の現象を予測できているらしい)、こうした「シミュレーション文化」とは文系的にはなんなのだろうか。そうした時代の人間はどうなるのだろうか。筆者はシミュレーションが個人の生活にも関係すると述べている。

筆者が今後期待するのは、個人というレベルでもシミュレーションが活用されるようになる未来である。あたかもアドベンチャーゲームやシミュレーションゲームを楽しむかのように、自分自身の未来に夢をたくして行える、真剣なる人生の上でのシミュレーション。(……)「生き方」といったものをシミュレートするようになる世界。そんな「シミュレーション文化」に支えられた時代がくる物と、信じているのである。

シミュレーションは既に環境問題など政策決定に影響を与えているのがテレビを見ていると感じる。今後そうした機会は増えていきそうだ。こうした時代を生きることを考える上でも、本書は手にとって見るとよいと思う。



未来を予測する技術
Amazonで購入
書評/サイエンス

Gentoo portageの操作

Gentoo Linuxでのパッケージ情報取得方法をまとめておきます。

依存関係

  • equery depends PACKAGE
  • qdpends -a PACKAGE
  • dep -L PACKAGE: PACに依存しているパッケージを表示

ファイルを所有するパッケージ

  • qfile FILE
  • equery belongs FILE

パッケージのファイルリスト

  • qlist PACKAGE
  • equery files PACKAGE

USEを持つパッケージのリスト

  • equery hasuse USE
  • quse USE

USEの詳細

  • quse -D USE
  • euses USE
  • euses -a USE
  • equery uses package: show USEs of the package.
  • flagedit [PACKAGE] [-/+/%]USE: edit USE conf file.
  • flagedit [PACKAGE] %: normalize USE of the PACKAGE
  • ufed: USE file editor

glsa

  • glsa-check -t new: 影響のあるGLSAを表示
  • glsa-check -p affected: 修正に必要なパッケージを表示
  • glsa-check -d ID: 指定されたGLSAの詳細情報を表示
  • glsa-check -f: 必須の修正を適用

雑多

  • qlop -l インストール履歴。パッケージ名を与えればそのパッケージの
  • qlop -c condition of install
  • equery which PACKAGE: ebuildのパスを表示

subversion + trac on gentoo

Gentoo Linux上に subversion と trac の開発管理環境を構築してみました。

今回は基本的なインストールと設定に加え、subversion でコミットすると自動で trac の ticket をクローズしてくれるように設定しました。コミット時のログに closes #2 と書くと、自動で trac の 2番目の ticket をクローズします。

commit と ticket を対応させると、あるticket をクローズするのに必要だった変更を、簡単に見ることができます。これは作業の「見える化」を高め、問題解決やモチベーションの向上につながると考えられます。

更に ticket をクローズしないコミットをはじくようにもできます。ticketをクローズしないようなコミットをはじくことで、意味の分からないコミットを防止できるでしょう。

パッケージのインストール

まずパッケージをインストールします。portage では全てパッケージが準備されているので簡単です。

今回は trac を mod_python で利用したので mod_python もインストールします(確か portage の依存関係で自動的にインストールされないと思います)。

# emerge apache mod_python subversion trac

私の環境ではUSEフラグにpythonを指定していなかったので、 tracのインストール時に、 python を USE フラグに指定して clearsilver をインストールするようにエラーが出ました。

この際なので、グローバルに python を USE フラグに指定して emerge し直しました。

# emerge clearsilver trac

これでインストール作業は完了です。

subversion の設定

必要なソフトがインストールされたので、実際に設定をして動くようにしてゆきましょう。今回は test_project というプロジェクトを管理してみることにしましょう。

まず、レポジトリを作成します。既に、他の場所にある方は読みかえて下さい。

# mkdir -p /home/repos/
# svnadmin create /home/repos

次に新しいモジュールとして test_project を import してみましょう。

$ mkdir test_project
$ svn import file:///home/repos/test_project -m "Initial import."

これで subversion で test_project のソースが管理できるようになりました。

trac の設定

次に、 trac で subversion と連携してプロジェクトを管理できるようにしてゆきましょう。

trac をインストールすると、 POST-INSTALL INSTRACTIONS というメッセージが表示されます。基本的には、このメッセージを頼りに設定ができるのでしょうから従っていきます。

まず、trac の環境を初期化します。

# trac-admin /var/lib/trac/testproject initenv

必要な質問に答えてゆきます。

次にBasic認証のためのパスワード・データベースを作成します。username には、あなたのユーザ名を入れて、パスワードを設定します。

# htpasswd2 -c /etc/apache2/trac.htpasswd user-name

次に cgi での設定が書いてありましたが、今回は mod_python を利用して動かしますので別の設定をしました。

まず mod_python を利用する設定を /etc/conf.d/apache2 内の APACHE"_OPTSに-D PYTHONをを追加します。以下のようになるでしょう。

APACHE2_OPTS="-D PYTHON -D DEFAULT_VHOST"
次に、 /etc/apache2/vhosts.d/00_default_vhost.conf に、以下の行を追加します。先程と同様、username には、あなたのユーザ名を入れて下さい。
<Location "/trac/testproject">
SetHandler mod_python
PythonHandler trac.web.modpython_frontend
PythonOption TracEnv /var/lib/trac/ntop
PythonOption TracUriRoot /trac/ntop
</Location>

<Location "/trac/testproject/login">
AuthType Basic
AuthName "user-name"
AuthUserFile /etc/apache2/trac.htpasswd
Require valid-user
</Location>

以上で trac の基本的な設定は完了です。 apache を起動してみましょう。

# /etc/init.d/apache start

ブラウザで http://localhost/tracにアクセスしてみましょう。tracの画面が表示されるはずです。

コミット時にチケットをクローズ

以上で基本的に subversion と trac を利用できますが、更に便利にしてみましょう。

ソースをコミットする時に、自動的に関連する ticket をクローズするようにして、更にはオープンなチケットをクローズしないコミットを受け入れないように設定してみましょう。

まず、trac に付属しているフックファイルを移動します。どこでもいいのですが、今回は subversion のレポジトリ内の hooks ディレクトリに置いてみましょう。

# cd /usr/share/doc/trac-*/contrib/
# cp tac-post-commit-hook.bz2 trac-pre-commit-hook.bz2 /home/repos/hooks
# cd /home/repos/hooks
# bzip -d *bz2

次に hook ファイルを作成します。

/home/repos/hooks 内に以下の二つのファイルを作成し、実行ファイルにします。

pre-commit

#!/bin/sh

REPOS="$1"
TXN="$2"
TRAC_ENV='/var/lib/trac/ntop'
LOG=`/usr/bin/svnlook log -t "$TXN" "$REPOS"`
/usr/bin/python ${REPOS}/hooks/trac-pre-commit-hook "$TRAC_ENV" "$LOG" || exit 1

post-commit

#!/bin/sh

REPOS="$1"
REV="$2"
LOG=`/usr/bin/svnlook log -r $REV $REPOS`
AUTHOR=`/usr/bin/svnlook author -r $REV $REPOS`
TRAC_ENV='/var/lib/trac/ntop'
TRAC_URL='http://localhost/trac/ntop'
/usr/bin/python ${REPOS}/hooks/trac-post-commit-hook \
 -p "$TRAC_ENV"  \
 -r "$REV"       \
 -u "$AUTHOR"    \
 -m "$LOG"       \
 -s "$TRAC_URL" || exit 1
# chmod +x post-hooks pre-hooks

これで、コミット時にオープンなチケットへの言及がないファイルはエラーとなります。

チケットへの言及は、 closes #2 などと書きます。closesはコマンドで、#2 がオープンなチケット番号です。

コマンドはclosesの他に fixes, addresses, references, refes, re などがあります。fixes #2 and #4fixed #2 & #4 という書き方もできるようです。


参照

仕様書いらずの新ネットサービス構築法……仕様書なしで、ソニーの映像共有サービス「eyeVio」の構築に際し、機能要求を ticket を切ることで管理した事例を紹介。

チケット駆動開発 … ITpro Challenge のライトニングトーク (4) - まちゅダイアリー ...……タイトル通りチケット駆動の開発を紹介。

「ファイル名を指定して実行」を使う

メニューツリーを辿るのが面倒な人に。

cmd
コマンド・プロンプト
sndvol32
ヴォリューム・コントロール
appwiz.cpl
プログラムの追加と削除
ncpa.cpl
ネットワーク
sysdm.cpl
システム([Win]-[Pause]でも出る)

参照

デスクトップ百景 - http://bb.watch.impress.co.jp/cda/desktop/21502.html

2008-02-21

しっかり座って有意義に瞑想するために

最近、瞑想まがいをすることを覚えたが、なかなかに難しい。その理由の一つには静止することが困難であるからだということに気がついた。

そんなこんなで静止することの難しさとその対策について少々。

瞑想については未だによく分からない。ただ「止観」という言葉があるように、瞑想には「止」と「観」の二つがあるということだけは分かった。「止」とは意識を「何か」と一体化させることであると思う。「観」とは観察することである。そして、そこから洞察を得てゆくことだ。通常は、優れた洞察を得るほどには精神が働いていないので、最初は「止」を行い、没我没入して主客合一した後に、洞察を得てゆくというプロセスになろう。

まず、そうした主客合一の状態になろうと座るわけだが、これがなかなかに難しい(そもそも意図がある時点でアウトだが)。なぜなら「止」の状態を十分に維持できないからである。

瞑想には最低でも数十分は座らねばならないと思う。私の感覚では、通常の動的な意識が静的なものに変わるのに数分は必要だし、身体の知覚が変わり始めるのには二十分は必要な気がするからだ。二十分くらいすると、なんと言うのだろうか、体が「動かすことを忘れた状態」になってゆくのである。特に腕の感覚の変化は顕著で、指を少しばかり動かそうとしたくらいでは、指が動かない感じになる。よく分からないが、こうした状態にならなければ、まともに観察なんてできないし、洞察も湧くはずがない。

そこで座るわけだが、長時間座ることは実に難しい。

一つには精神的な理由がある。禅寺で一時間を連続二回座ることは特に難しくは感じなかった。しかし自宅で一時間座ることは難しい。

なぜか? 「無駄」という言葉が襲いかかって来るからだ。座っているのが無駄な気がして耐えられないのである。これは典型的な「怠け心」なわけで、それに負けてはならないことは知っている。しかし「有意義なことをしたい」という誘惑は大きい。

これには、しっかりと予定を立て、時間を見積り、瞑想を投資と捉える視点が必要だろう。焦っても何にもならないのだ。持てる時間は限られているから有効な投資をしているのだという意識を高めねばならない。そもそも、そういう判断や決心ができないのならば、半端に瞑想の真似事などする必要はない。

もう片方は身体の問題である。結跏趺坐で長時間静止するには足首や膝、股関節に柔軟性が必要である。また正確な姿勢でない場合には、すぐに背中に問題が生じる。きちんと座れていないのだろう。だからすぐに苦しくなる。

これに対しては、瞑想とは別に、柔軟を重点的に行う必要がある。また半跏趺坐でバランス良く座ることも試みるのも良いかもしれない。

更に座るときには座布団を厚く重ね坐蒲を利用する必要がある。床の上に座るのと厚い座布団の上に座るのは短時間であれば大差ないが、長時間すわるとかなりの違いとなる。こうした準備も大切だろう。

結論から言えば、しっかりと準備をして望むことが必要ということだ。何気なくやっていても仕方ない。自分で決めてやるならやるでしっかりと取り組まねばならない。

それにしても、どっしりと身じろぎせずに座ることに苦しむと、普段、自分がいかにもぞもぞと動いているのかと反省させられる。情けない。

最近の firefox 環境

現在つかってる firefox 拡張をメモしておく。

(1) まず、vimperatorで挙動を vim のようにする。これでキーボードでほとんどの操作が可能になる。メニューバーやツールバーが必要でなくなる。

vimperator 操作の基本は vim なので知っている人間には問題ないが、以下の点は注意が必要。まず、現在のタブでURIを開いたり検索するときには o を押す。新しいタブでURIを開いたり検索するときには t を押す。

リンクをたどるときは f を押す。これは難しくないが、リンクを新しいタブで開くときはちょいと難しい。まず、リンク対象に操作をしたい場合は ; を押す。そしてリンクを選んだ上で以下のキーを入力する。

  • t 新しいタブで開く
  • s リンク先を保存する。
  • y URIをコピーする
  • Y リンクのテキストをコピーする

あとはタブの移動操作。これはbを押してtab、あるいは番号入力で移動するか、C-n, C-pや gt, gT でも移動できる。

ただし、こうなると印刷プレビューにアクセスできなくなるので、Print Context Menuを利用している。

(2) ワンキーでページのタイトルとURLをコピー可能にするために、keyconfigを利用している。 詳細は ワンキーで、"ページのタイトルとURLをコピー" - AUSGANG SOFT にある通り。

以下のコードをバインドする。

var w = window._content;
var d = w.document;
var txt = d.title + '\n' + d.location.href;
const CLIPBOARD = Components.classes["@mozilla.org/widget/clipboardhelper;1"].getService(Components.interfaces.nsIClipboardHelper);
CLIPBOARD.copyString(txt);

標準のブックマーク機能には新聞サイトなど巡回する先しか登録していない。最近は「一見」のページはこのコピー機能を利用してテキストに保存している。

(3) 更に外部エディタを利用するためにIt's All Text!を利用する。

2008-02-12

コンピュータでの執筆時に気が散るのを防ぎ集中する方法

僕は趣味で文章を書いているが、その中で何度も文書が書けないという事態に遭遇した。

好きでやっているのに、書けなくなるということは意味が分からない。そして考えてみると、結局は気が散っているだけだということが分かった。それ以外には、あまり理由は見つからなかった。

理由が分かれば話は簡単だ。要は、自分がどういう時に気が散っているのかを知ればよい。原因が分かればそれに対する対策も見つかる。僕の見つけた対策のいくつかを紹介する。

(1) まず道具を決定すること。とりあえずの道具を使いながら書いていると気が散って仕方がない。そして書きつつ、道具を探したり道具を試したりすると時間をかなり無駄にする。これという道具を決定してから書き始めるべきだし、一方でしっかりと道具を選定する時間を取る必要がある。

現在、僕はブログの執筆には DarkRoom Editor というフルスクリーン・エディタを利用している。これに加えて、執筆時に必要なショートカットを補うために、xkeymacs というソフトを利用してる。

(2) 日本語変換は単語ごとに行うくせをつけること。 日本語変換はある意味では十分に賢くなってはいるが、それでも誤変換はつきものである。そして誤変換は気を散らせる。できる限り誤変換を起こりにくくするためにも漢字変換は単語ごとに行うのが良い。

このためにも僕は SKK という日本語変換ソフトを利用している。これならば文節の区切りの間違いも起こりようがなく、格段に誤変換によるストレスが軽減していると感じている。

(3) 執筆時にはそれだけを行うこと。文章を書くときには、言葉を紡ぎだすリニアなプロセスだけに集中した方がよい。他のことに気を取られるとリズムを失う。戻るはとても大変だ。執筆に関連した作業にはきちんと時間をとってあげて、その時間に完了させ、執筆時には執筆だけに没頭できるようにした方がよい。

文章を作成しながら、構成を考えたり、見出しやタイトルを考えたりしてはいけない。アウトラインは事前に決めて紙に書き出しておいた方がよい。また、執筆しながら編集作業を始めると命取りとなる。必ず執筆が完了してからにすること。また、レイアウトやデザインの誘惑も襲ってくるが、これは論外だ。

執筆時の集中状態を大切にするのが結局は時間の節約となる。なにせ執筆とは長時間の独り言だ。テンションが大切なのだ。会話だって中座すると白けてしまう。執筆時のリズムに乗った没頭状態は断固として確保せねばならない。

(4) 紙を利用する。 執筆に必要な情報はディスク上のデータであるよりも、印刷して手に取りやすい所に置いておいた方がよい。同時に、既に完成した分も紙にしておいた方がよい。画面をスクロールしたり、ウィンドウを二つも三つも開いていると、それだけで気が散ってしまうからだ。

(5) トランス系な音楽をかける。 僕としては音楽を集中の道具にするのは気がひけるが、実際にいくつかの音楽は集中状態を作り出すのに効果的と感じる。あるいは音楽がないと雑音で集中力が途切れてしまうことが確かにある。

「トランス系」と言ったが、特徴としては以下のものが挙げられる。

  • メロディーの特徴が弱い
  • 歌がないか、少なくとも有意味な歌詞が存在しない
  • 単調に同じようなパターンが繰り返される
  • 倍音系の音が多い
具体的には、僕はインドの古典音楽やジャワのガムランなどの宮廷音楽系の民族音楽、マッシヴ・アタックやポーティスヘッドなどのトリップ・ホップが最適だと感じている。あるいは、西洋の初期の聖歌(ペロティヌスなど)、日本やインド、チベットなどの読経や声明も特殊な集中状態に入るのに役に立つと思うことがある。

他にも環境音やアルファー波がでる音楽なども効果があるのだと思う。脳に効く音源のリスト をまとめてみた。

***

パソコンを利用しての執筆には気散じが起きやすい。執筆のリズムを失わないような体制・対策がしっかりしておかないと何をしているのだか分からなくなってしまう。

2008-02-10

TVClock で時刻をテレビのように表示して、時間を意識してパソコンを利用する

最初は冗談系のアプリかと思った。しかし、これが極めて実用的であり、すっかり気に入っている。

TVClock とは時間を表示するアプリケーションである。表示の仕方が特徴的で、ちょうどテレビのように時刻を表示する。朝のニュースなどでお馴染の左上に「7:14」という具合に表示するアレである。

そんな場所に表示すると邪魔じゃないかと思うかもしれない。私も最初そう怪しんだ。しかし、使ってみたら、全然気にならない。テレビで見慣れているからか、それとも最初から人間の知覚がそうできているからかは知らないが、ほとんど意識に入ってくることはない。ただ分が変わるときに動きがあるので、ちらりと意識に入るがそれだけのことである。

なにもそんなに大きく時刻を表示する必要はないと思うかもしれない。しかし、ディスプレイを見ていると時間の感覚を失いがちである。テレビは番組の切れ間があり時間の感覚を失うことはまずないが、インターネットなどをしていたり、映像を見たりしていると思いもよらず時間を浪費してしまうことがある。こうした用途には WIndows 標準の時計は小さすぎて役に立たない。時計を大きく表示しておけば、こうした時間の使い方は減ることだろう。また、私はフルスクリーンでウィンドウを開くのが好きなので、こうしたソフトでないと画面上に時刻を表示できないという理由もある。

この時計は30分刻みで音を慣らせる。この機能を利用すると、自然に30分での時間の活用意識が芽生える。これが、このソフト利用による思わぬ収穫となった。時報があり時計が目線のすぐそこに入ると「ああ、あと5分で書き終わりたい」という欲望が湧いてくるのだから不思議である。


エジソンは時計を見ずに作業に打ち込めと言ったが、なかなか現代では一つの作業にどっぷりと打ちこむことは難しいと思う。また逆に、自由になれる時間にどっぷりと作業に取り組むと、ついつい睡眠や食事を犠牲にしてしまい、結局、トータルな生産性が落ちてしまうということがある。

持続的で定期的な努力ができるなら、それにこしたことはない。そのためには意識的に時間を管理する必要がある。TVClockのように、時刻を嫌でも目に入る場所に表示してくれるソフトは、時間に対する意識を高め、時間管理を大変楽にしてくれることと思う。

寝付きをよくするために

寝つきをよくするために心がけていることをリストアップした。

僕は眠るのが下手だ。それが僕の人生のかなりの負担なんじゃないかと思うことがよくある。

僕はたびたび夜中に目が冴える。特に午前2時だ。この時間に頭がキーンと研ぎ澄まされてしまうと、どんなに頑張っても寝つけない。そして、空が白くなってからやっと眠りに付くのだが、そうなると次の日の行動は冴えないものになってしまう。こうして、いろいろと失敗を犯していると感じている。

眠るのが下手なのは何故だろうか。そう考えると色々と原因が思い浮かび、対策も浮かんでくるものだ。僕は身体に詳しくない。だから迷信のようなものだが、睡眠に問題を抱える人に対し、いくらかは参考になるかもしれない。

(1) 22時以降に興味のあるメディアに触れない。 つまり、22時以降には強制的に本やネット、ビデオ、写真などに触れないようにするということだ。

考えてみたら、人間の頭というのは空腹時に働くわけで、夕御飯という最大の栄養を消化した夜中が頭が冴えるのは当然とも言える。エネルギーはあるのだ。だから、そのエネルギーには、火を絶対に付けてはならない。

(2) たまに夕御飯を抜く。これは、上の逆の発想。エネルギーを脳に与えないという作戦だ。おやつを多めに食べてみて、夕御飯を食べずに早めに布団に入ってみるとよい。次の朝は早くに目が覚め、朝食をおいしく食べられる。早寝習慣のよいブートストラップとなるはずだ。

ただ、あまりにもお腹が減ると眠れないこともあるらしい(ちなみに、僕にはその経験がない)。そういう人は、オーソドックスだが、温めた牛乳を飲んだり、フルーツを食べるとよいんじゃないかと思う。

(3) 蝋燭の日を作る。そもそも、夜に電気がついていることが脳を覚醒させてしまうのだと思う。毎日というわけにはいかないが、電気を使わない日を作るとよいと思う。日が来れたら蝋燭を灯すのだ。そして、お気に入りの音楽を聴いたり、ゆっくりとお酒を飲んだり、ストレッチしたり、瞑想したりする。

そもそも電気が使えないと、本も読めないし、ネットもテレビも駄目だ。当然に早寝するしかなくなるだろう。また、僕は友人が泊まりに来るときにも蝋燭にすることで、ついつい語り合いすぎて夜更ししてしまうのを避けるようにしている。

(4) 夕食後にパソコンを利用しないを日を作る。 これは毎日でもいいのだが、なかなかそういうわけにはいかないから。とかくディスプレイの光は脳を覚醒させると思う。だから、夕食の後にはディスプレイは見ないという日を作るとよいと思う。なにか書きたいことや調べたいことがあれば手書きのメモで残しておくとよいと思う。

(5) 瞑想する。 「またかよ」と思われるだろうが、瞑想は不眠にも効果的と思う。お腹の動きを感じていると、無意味な頭の興奮がおさまる。頭に血が昇っていると眠れないわけで、静かに腹に血が集まる瞑想は有効だ。別に怪しいモードになる必要はなく、呼吸のたびに自分のお腹がどう動くかを感じたり、首筋や肩に意識を集中して緊張を解くだけで十分だ。

***

夕食を抜いたり、蝋燭の日を作ることで、僕の生活は幾分かは改善されている。そして、早起きをして朝日を浴び、朝食をおいしく食べることができる。一日は気持ちよく始まるというわけだ。

ところで、朝食がおいしいというのは、一番しあわせで本当においしいと感じるのは何故なのだろうか。

関連エントリ

朝起きるコツ

2008-02-09

ドストエフスキー『罪と罰』について(2) あらすじと感想

罪と罰のストーリーと構成についてメモしてみた。 

罪と罰は三本の筋からなると思う。

一つは元大学生ラスコーリニコフによる老婆と少女の殺害から自白までの物語であり、警察官のザミョートフや予備判事ポリフォーリーが中心的に関わりつつも、登場人物の殆どが関わる中心的な筋である。 

二つ目はラスコーリニコフの妹ドゥーニャが二人の男に狙われるた末にラスコーリニコフの親友・ラズーミヒンと結ばれる物語である。

彼女を狙う一人目の男はルージンという弁護士であり、ドゥーニャは婚約してペテルブルグにやってくるが、次第にルージンの下劣さが明らかとなり、彼の目論見は悉く失敗し婚約は破棄される。

二人目は彼女が以前に家庭教師をしていた先の主人・スヴィドリガイロフであり、彼は妻を毒殺し彼女を追ってペテルブルグにやってくる。彼は彼女の愛を掴めぬと諦めるとピストルで自殺した。 

最後は破滅する一家を娼婦となり支えるソーニャの物語である。

アル中である父マルメラードフは、十八歳の娘・ソーニャを娼婦にしても呑み続け、馬車の事故で死亡する。その事故の現場に遭遇したラスコーリニコフは、以前に飲み屋で会話した事もあり、残された一家に便宜を図り、その後ソーニャにひかれてゆく。

葬式では騒動が起こりそれが切っ掛けで妻・カチェリーナは発狂し、死んでしまう。マルメラードフの葬式ではルージン(マルメラードフ一家のアパートに住んでいた)の陰謀も描かれ、陰謀の失敗をもってルージンは再起不能となる。

結局、スヴィドリガイロフ(ソーニャのアパートに住んでいた)の便宜で子供は孤児院に入り、ソーニャとラスコーリニコフは結ばれてゆく。 

こうした三つのストーリは分離したままではなく、ラスコーリニコフのソーニャへの自白により、ソーニャの物語はラスコーリニコフの犯罪の物語に組み込まれてゆき、また、その二人の会話を聞いたスヴィドリガイロフの介入によりドゥーニャの物語もラスコーリニコフの物語へと強く繋がってゆく。

このストーリが、以下の六部構成で語られてゆく。 

第一部は導入であり基本的な登場人物とその事情が紹介され、最後に殺害が行われラスコーリニコフの犯罪の物語がスタートする。

  1. まず、ラスコーリニコフが登場し
  2. 飲み屋でマルメラードフと出会い、娼婦となったソーニャや肺病病みの妻カチェリーナなどの悲惨な状況を聞く。
  3. 次に母からの手紙で妹ドゥーニャがスヴィドリガイロフのセクハラで家庭教師を辞め、ルージンと結婚すべくペテルブルグにやってくることが知らされる
  4. ラスコーリニコフは犯行を迷い彷徨い、かどわかされた泥酔した娘を救ったり
  5. 馬が打ち殺される夢を見る。そして、ある切っ掛けで犯行を決意する。
  6. 出発し
  7. 老婆とリザベータを斧で打ち殺す。 

第二部では、ラスコーリニコフの物語が進展してゆき、最後にマルメラードフの死によってソーニャの物語も始動する。

  1. 早速にラスコーリニコフと警察とのやりとりが開始し
  2. 親友であるラズーミヒンや
  3. 医者のゾシーモフが登場し、その会話を通じ強盗殺人の物語を深めてゆく
  4. すかさず、この筋の上にルージンが登場し早々にラスコーリニコフとラズミーヒンと喧嘩となる。
  5. 警察官のザミョートフとの心理戦で警察対ラスコーリニコフの戦いも開始し、
  6. 一方でマルメラードフが馬車の事故(自殺?)にラスコーリニコフは遭遇し、一家に便宜を図ることで、マルメラードフ家破滅の物語も本格的に動き出す。 

第三部ではドゥーニャと母プリヘーリヤの登場によって彼女の物語が急激に始動する。

  1. プリヘーリヤとドゥーニャが登場するがラスコーリニコフは彼女らを拒否し
  2. ラズーミヒンが彼女らに便宜を図るうちにドゥーニャに恋に落ちる。
  3. そして、彼女らがラスコーリニコフやラズーミヒンを交えて話す中で、ドゥーニャの物語が更に深まる。
  4. そこに葬儀の招待のためにソーニャが登場する。強盗殺人の筋も
  5. ポルフィーフィーとの論戦で最高に盛り上がり、
  6. 焦燥したラスコーリニコフは悪夢と「町人風の男」に悩む。 

第四部では

  1. スヴィドリガイロフが突如登場し、
  2. ルージンとの決別も起こり、
  3. ラズーミヒンとドゥーニャの未来が企画されてゆき、ドゥーニャの筋は急展開する。
  4. ラスコーリニコフもソーニャを訪問し、彼女の信仰が描写される。
  5. その後、ポルフィーリーとの熾烈な論戦が描かれるが
  6. ニコライの自白でラスコーリニコフは逃れ、町人風の男の正体も明らかとなる。 

第五部ではマルメラードフの葬式からカチェリーナの死までが描かれる。

  1. ルージンがレベジャーノミコフの前でソーニャに金を渡し
  2. カチェリーナが大家のアマリアと葬式だというのに喧嘩し
  3. ルージンがソーニャを策略に嵌めるがラスコーリニコフとレベジャーノミコフに救われる。
  4. ラスコーリニコフはソーニャに自白する。
  5. カチェリーナが発狂し橋で子供を踊らせ、最後に血を吐いて倒れ死んでしまう。 

第六部は、

  1. ラスコーリニコフがラズーミヒンと話し
  2. ポルフィーリーが訪問し、自白を勧告する。
  3. ラスコーリニコフの罪をしるスヴィドリガイロフとの対話、
  4. スヴィドリガイロフとドゥーニャの対話(ドゥーニャは彼を拒みピストルを向ける)、
  5. スヴィドリガイロフの自殺、
  6. ラスコーリニコフと母とドゥーニャとの対話、
  7. ラスコーリニコフとソーニャとの対話を通じ、最終的に自白に至る。

2008-02-08

中学生の部活

 なんだか中学生の頃の話をしたくなった。アホだな、俺。

***

 僕は中学生になるとギターの部活に所属した。複数の大きさのギターを使い、ギターの合奏をする部活である。まあ、そういうテクニカルに細かいところはどうでもいいだろう。通常のオーケストラや吹奏楽部のようなものだと考えてくれて構わない。

 そこに所属した理由は、中一の始めの部活動紹介の集会での演奏が素晴らしかったことがあげられる。ライブで打楽器や低音の弦楽器の音を聞くのは初めてであり、僕はとても感動した。

 また、そこにいた先輩たちに惚れたというのがある。ちなみに先輩の大半は女性であったので、この場合の惚れたはそのまま惚れたととってもらって(つまりスケベな意味で)かまわない。事実、女だらけのこの部活に、僕の代には男がぞろぞろと入部した。まあ、中一のガキにとって中三ってのは大人に見えるわけで、性別を越えて惚れたととるのが妥当だとは思うが。ただ、やはり美人が多かったのは認めざるを得ない。男はアホである。

***

 練習は厳しかった。たぶん入ってきた男はマゾだったんだと思う。年上の女の先輩にしごかれながら僕らはギターを弾けるようになっていった。

 僕は下手くそだった。そうもう一人の重要な友人であるYも下手だった。それだけに僕らは練習をしたが、二人とも不器用だったのだろう、同じ歳の女の子よりも明らかに演奏は劣った。

 部活動は女だらけであり、女だらけ故の様々な問題に満ちていた。複数の仲良しグループによる主導権争いである。なにせ気性の荒い女性だらけだった。特に、先日亡くなったOGの先輩が講師と付き合っていて、それがまた色々と言うものであり、それに反感を覚えたある先輩が匿名で抗議の手紙を出したりして、まあ、事態はとんでもないことになっていた。まあ、ひどいもんだった。うちの部活は顧問が一度も来ない変な部活だったので(この人も二年前に逝った)、争いは当事者同士で解決しなければならなかった。

 とてもユニークな女性が集まる部活であり、皆、当然に中学生なのだが、駄目な男と別れ子供を女で一つで育ててそうな人や、おっさんをちょろくだましてそうな女性がいた。まあ、実際、テレクラに電話しておっさんを駅に呼び、それを遠目に見て馬鹿にするということは普通に行われていたように思う。音楽好きが多かったので、皆で集まってガンズやニルバナのビデオを見たり、ライブのチケットを取るのに奔走したりもしていた。

***

 まあ、それでも部活は秋のコンクールへ向けて日々争いの中、練習を続けていった。

 そう。秋にあるコンクールでは、僕は大太鼓だったことも書いておく。ギターを弾かせてもらえなかったのである。ただ、講師は大太鼓の重要性を語ってくれ(一般の人が思うより、打楽器の影響は大きい)、まあ、僕はそれなりになっとくして大太鼓の重要性を認識し、練習に励んだ。ただ、父親は「なんだ、あんだけ練習して、ただの太鼓か」と馬鹿にして、僕は泣いて悔しがった。

 練習は深夜に及んだ。というのは嘘だが、十時すぎぐらいまではやっていたんじゃないかと思う。大会の前日の練習で「矢野。なんであんたは弾けないの?」と二人の二個上の先輩は泣いた。僕はあるフレーズを弾けなかったのである。そうそう、僕は自由曲では太鼓だったが、課題曲ではギターを弾けたのである。中一の男にとって二歳年上の女が泣いているのはつらい。でも、僕は何度やっても弾けなかった。そりゃ、僕も泣いたよ。

 まあ、そんなこんなで秋になり、僕の部活は関東大会を順調に勝ち進み賞を獲得し(そのときに僕の彼女が僕ではない男に抱きついたことを僕は未だに根に持っている)、皆は大喜びをして調子をこいて、一ヵ月後にあった全国大会では惨敗した。

 皆、泣いた。そして二個上の先輩は引退して秋は終わった。僕はこの大会でしっかりと金賞を取り、先輩たちに恩返しをしたいと決意した。

 僕とYは、冬の間に練習し続け、春にはかなり弾けるようになっていた。新入生が入り、心機一転して秋へと向かうことになる。

***

 僕は厳しく後輩を指導したが空回りだった。彼女らをよく泣かせた。すまないことをしたものだと思う。しかし、そこで僕は心を鬼にすべきと勘違いし、更にわが道を突き進んだ。当然に後輩に嫌われるのはもちろん、先輩とも対立を深めた。

 独りよがりで傲慢に僕は突き進み孤立を深め、その根拠をギターの演奏力に置いていた僕は更に演奏に磨きをかけるべく精進し、更に孤立した。先輩でも俺より弾けないんじゃ偉そうなこと言うな、という感じである。指揮者になり、演奏上の責任者になってしまったのも偉そうになった原因である。

 そんなこんなで私は年上と対立しつつも、秋のコンクールが終わり、彼女らがいなくなると自分が部長となった。講師が指揮のときはコンサートマスターとなり、いないときは自分が指揮を振るという具合で、完全に独裁者として君臨した。Yは副部長となった。

 僕はかつかつ音楽を勉強した。また指揮やギターの練習に余念がなかったことは言うまでもない。ただ人はついてこなかった。いや、いま思えばよくやってくれていたのだが、当時の僕の要求は高すぎた。僕は空回りし続け、一人もがきあがいた。よくYにあたった。

***

 三年生となり、更に新入生を迎え、秋へと向かった。繰り返すが、僕は金賞をどうしても取らなければならないと考えていた。一つの大きな理由に、うちの部活の存在が不安定だったことがある。顧問が様子を見に来ず、外部から週に一回の講師を迎えているうちの部活はどう考えても変則であり、学校の教師からは批判的に見られていた。「賞を取らなければ存続が危うい」などと教頭などに折に触れて言われた。僕は先輩から継いだ部活をどうにか存続させねばならないと考えていた。

 僕の要求は高く傲慢な物言いばかりであり、空回りが続き、僕はあせり続けた。ミーティングという名の言い争いに、僕は何度もへとへとになり、何度か自暴自棄になった。胃を痛め、頭痛を抱えた。酒を飲み、女性の優しさにすがった。

 僕は常に精神論に走るタイプであり、音楽というものも極端に精神的に捉え、それを強要していた。中学生というものは無知であり、それゆえに純粋なのである。剃刀のように真っ直ぐに切れれてゆくが、脆く折れやすい。

 そうこうしてコンクールとなった。そして、望みどおりの金賞を掴んだ。快挙であった。僕は責務を成し遂げた。ほどなくして県知事賞だか教育委員会賞だかももらい部活の存在は安定した。

 しかし、僕はちっとも嬉しくなかった。自分にその賞を受け取る資格はないと感じた。たぶん、その前に、僕は何かが折れてしまっていたんだと思う。受賞後に皆が喜ぶ中、僕は陰鬱だった。いらつきながら、僕は一人でホールの窓から月を眺めた。あほだな、俺。

***

 結論から言えば、僕は寂しかったのだと思う。彼女たちは練習し、彼女たちは演奏し、彼女たちは受賞して、彼女たちは喜んだ。僕はそこにはいない。僕はその外にいた。そして、その空虚さにすっかりやられてしまいながら、一方で傲慢さが、強がりが僕の心の叫びを押し殺したのだろう。僕は寂しくて泣いていたのではないだろうか。たぶん、そんな気がする。

 いま考えると、僕は皆と仲良くやりたかったのだと思う。結局、僕の「精神的」というやつは妄想もいいとこだった。これは自虐でもなんでもなく明らかな事実である。ありえない何かを追い求めていたのである。

 僕はとても不器用だった。僕は生意気で傲慢で強がるのだが、結局は寂しいのだと思う。全くお粗末な話である。ただの頑固じーさんである。人とうまくやれない自分が情けない。

 抽象的なものに走らず、しっかりと目の前の人間に優しくすることを大切にしていかないといけないな、と思う。

小中学生のときの読書

 なんだか小学校の頃に読書にはまった経緯を書きたくなった。

 小学生のときに両親が、確か「ずっこけ○○」とかいう本が詰まった段ボール箱を知人から貰って、なぜか私はそれを読んだことが読書のきっかけだったと思う。父親は少年マガジンやらサンデーやらを読んでいて、たまに私がそうした漫画を部屋に持っていくのがうるさくて「ほら、これでも読め」という感じだった。少年誌だけなら良かったのかもしれないが、父は他にも女性の乳首まで映るグラビアが載っているような漫画雑誌も買っていたので、そういう方面での意識もあったのだと思う。彼は漫画を読むなら自分の金で読めと言った。しかし、漫画本を買うほどの小遣いは貰っていなかった。彼の時代には貸し本屋があったから、その連想だったのかもしれない。

 私はその段ボール箱を部屋に運び、喜んで読み始めた。実際、その頃、漫画も面白くないと感じていたからだ。ドラゴンボールやらミスター味っこやら、ドクターKやら、その当時連載が始まったばかりのはじめの一歩あたりにも、物足りなさを感じていた。漫画を捨てるのは何でもなかった。

 しかし、その「ずっこけ○○」の本は、ちっとも面白くなかった。一応読んだが、私は父に抗議した。「俺はこんな子供じゃない。もっとちゃんとしたものをよこせ」と。

 それで父は私を近所の書店に連れて行った。そして、父はヘッセの『車輪の下』とスタインベック『怒りの葡萄』、カミュの『異邦人』を買ってくれた。父がこうした本をどうして選んだのかは定かではない。少なくとも私なら息子を無難で健やかに成長させたいのなら、こうした組み合わせにはしない。

 まず『怒りの葡萄』や『異邦人』はよく分からなかった。ただ『車輪の下』には大いに感激した。幼い私は「学校や社会というものは結局、天才を押し殺そうとしてはじき出しておいて、次の時代になって天才を崇める」という内容は「へえ、こんなめちゃくちゃなこと、ちゃんと本にして、偉そうに書いていいんだ」と妙に感激した。僕は早速、夏休みかなにかの読書感想文の題材にして、これからの社会には絶望しかない、というのは、ヘッセも言うように社会は天才を潰しに掛かるのが常であり、それは変わることはない、ただ、以前の社会では社会の管理は(車輪の下の世界のように)割とゆったりとしている、しかるに、現在はどうか? 車輪の下の世界は私にしたら牧歌的と思える、このような社会では何人も「車輪の下」につぶされざるを得ず、ゆえに社会は天才を失い、世の中はうまくいかない絶望があるだけだ、というような文章をでっちあげた。

 この読後感は国語系の教師には評価され、市か何の読書感想文の賞を貰って、更にどこかに応募するという話になった。それにあたって加筆・修正の機会が与えられた。ただ、熱心に評価してくれたのはその国語系の先生一人であり、担任には「あまり、こういうこと考えない方がいいわよ」と言われた。担任は母親にも相談した。母親も僕を心配した。それに加えて、僕はその国語系の教師が好きではなかったし(胡散臭く感じていた)、担任や母親に気に入られる方がうれしかった。それで、最終的には私はそれを「ですが、がんばります」というような、ありきたりに大人が喜ぶ結びに切り替えた。

 そんなことがあって『車輪の下』『異邦人』『怒りの葡萄』を最初で最後に、両親は小説を一冊も買ってくれなくなった。逆に「漫画でも読むか?」と少年マガジンやジャンプを部屋に投げ込んでくれるようにもなった。しかし、そうなると漫画は全然面白くなく、拳やメスや包丁を揮う世界には、全く興味がない自分を見出した。そう、さっぱり面白くなくなったのだ。

 僕は小学校の図書室に行くことになる。そこで、何か面白い小説を探すことにした。しかし、ヘッセもカミュもその図書館にはなかった。仕方がないので、少しでも子供っぽくない本を探すことにした。そうなると基準は「難しそう」と「分厚い」ということになる。小学校の図書室というものは、絵本に毛の生えたような本がほとんどだった。

 最初は怪盗二十一面相やホームズ、アガサ・クリスティーあたりを何冊か読んだ。しかし、推理小説はちっとも僕の興味をひかなかった。海中二万マイルやら宝島なども読んだ。三国志や歴史物、戦記物も読んだ(戦争オタクの端緒)。それなりに面白かったが、車輪の下の感覚は味わえない。何やら「少年少女 青空文庫」というような名前の古典を短くした文庫はあったが、生来生意気で傲慢なのでそうしたダイジェスト本を読む気はしなかった。加えて言えば、恐らく日本人作家の名著は小学校の図書室でもあった筈だが、私は生意気だったので「俺は日本なんてどうでもいい、世界のレヴェルを読みたい」と考えて見向きもしなかった。

 結局、僕は市立図書館に行くしかなかった。ちょうど小学生五年のときに近所に図書館ができたばかりだった。そこには「大人向け」のちゃんとした文学全集があり、僕はそれを親から隠し、夜な夜な分厚い文学全集を読み耽った。

 まあ、はっきり言えばガキが煙草を吸うようなもので、何も分からなかったんだと思う。それでも、シェイクスピアやセルバンテスは面白みを感じた。

 しかし、罪と罰とカラマーゾフの兄弟は違った。僕の生意気さはラスコーリニコフも真っ青だったので、選ばれた人間には既存の制度は関係ない、なぜなら歴史を紐解けば、全ての制度は予め血塗られているではないか、という思想にはしびれた。と、言うよりも、そうしたことが活字になっている方に興奮したのかもしれない。その本を持っているだけで、僕は自分が思想犯であるような気がした。小学生の僕は自分が警察に追われているという感覚を感じていた。

 何せ人殺しの本である。革命と異常恋愛と貧富の差の本である。こりゃあ、親にも先生にも言えるわけがない。ギルガメッシュ・ナイトの方が数倍健全だったと思う(それにしても当時はあの時間まで起きてるのはつらかったのを思い出す)。

 僕はストレートに世の中が間違っていると思った。もっと皆で助け合って仲良くしようよ、と。僕はストレートにカラマの最後のシーンのアリョーシャの台詞に感動した。

 他にも当時の事情が僕を読書に向かわせたのだと思う。当時の僕はサッカーが好きで(幼稚園の頃にも日曜日のサッカーチームに所属していた)、高学年になると小学校の部活に入部したのだが、練習は驚くほどつまらなくて、元来コツコツした努力が嫌いな僕はすぐにサボるようになった。そうすると年上の先輩が僕を「さぼり魔」と呼び、事あるたびに絡んでくるようになる。そうなるとますます行きずらくなる。僕は早急に退部したかったのだが両親は一度始めたものをやめさせてはくれなかった。顧問の先生も親の了解なしにやめさせてはくれない。僕は日々、後ろめたく陰鬱にこそこそと隠れて暮らすようになり、毎晩、寝る前に「明日の朝起きたら、僕が部活に入部した事実がなくなってますように」とかなんとか祈っていた。

 罪と罰との関係を築いたもう一つの要素がある。驚いたことに自分の家の本棚にも『罪と罰』があったのである! 『決定版ロシア文学全集1 ドストエフスキー罪と罰』という本である。69年初版で72年の9判である。なにやら母親が高校生の時に新聞を眺めていると、全集の購読申込者に無料で一巻だけは配布してくれるキャンペーンを見つけたそうである。母は一巻を受け取ると購読を中止し、罪と罰だけが何故かうちの本棚に眠ることになったらしい。これが『罪と罰』との付き合いを決定的にした。というのは、小説を小学生の頃、小説は買えなかったからである。

 ただ、僕は小説を読むことを恥ずかしいことだと考えていた。何しろ駄目な人間ばかりが出てくる。傲岸で破滅的な人間で甘えた人間だと僕は認識していた。小学生の僕はそれほどに人間が弱いものだとは考えていなかった。中学生になる前に僕は文学と別れを告げた。「本なんて読むのは、小学生までだよ」とか友人に告げていた記憶がある。

 事実、中学生になると僕は本を読まなかった。忙しかったせいもある。僕はギターを弾く部活動に所属し、日夜、ギターの練習に精を出した。また、部活のほかに委員会や生徒会に所属したので本当に忙しかった。

 中三頃から、僕は再び本を読むようになった。いまはそんなこと思わないが、本を読んでから眠ると、次の日の目覚めがよいということを発見した。思春期には体力があり悩みがもんもんとして整理がつかないので、読書をすると思考が整理され、かつ、頭が疲れるのでぐっすりと眠れるのではないのだろうか。ベッドで読書するのは習慣となった。

 中三の僕は恋愛に進路に藝術に友情に悩みまくっていた。当時の読書で特に印象深いのはハビエル・ガラルタの『自己愛とエゴイズム』『自己愛と献身』やジョン・トッドの『自分を鍛える』などである。これらはベースになっている気がする。知的生き方文庫にある他の気を楽にするとか自信のつけるとかいう本も読んだ記憶がある。こういう本を読むと不思議とぐっすりと眠れたからである。僕は傲岸で罪深く常に人を傷つけ、愛情と友情の中でその罪意識に苦しんでいた。

 また一方で哲学に興味を持ち始め、よく分からないままカントを読み始めた。結構必死で読んだが、当時の僕にはよく分からなかった。当時の日記を読むと、理性がどこまでできるのかを知りたくてたまらないという様子や、美や崇高とは何かという問いかけに苦しんでいる様を知ることができる。僕は悩んで苦しんでいた。中三のときに付き合ってくれた女性には本当に感謝しきれない。なんというかため息しか出ない。いま思えば、彼女はソーニャのようだった。

 27にして中三を思い出してこのざまである。あほだな。

2008-02-07

ドストエフスキー『罪と罰』について(1)

 最近、また『罪と罰』を読んでいる。もう何度目だか分からないがこの本は読むたびに新しい発見がある。本当に腰骨の芯から痺れさせる本だ。

ドストエフスキーの凄いところは小学生でも面白いところだと思う。特に『罪と罰』はその冗長な語りが読書速度の遅い小学生にはつらいにしても、それぞれの込み入った事情を抱える感情的・知性的に極端な登場人物が演じる緊迫した各場面が、入念に編み上げられているのだから、細かいところは何も分からぬとも、筋の面白さ一本で面白く読めてしまう。

なにせ主人公はばりばりニートな引きこもりで、やばい思想を頭に一杯詰め込んで婆さんと娘を斧で打ち殺し、その後は生意気に警察とデスノート状態の問答をするし、飲み屋で会うおっさんは酒で身を滅ぼし、娘を売春婦にしてもなお呑み続けて(しかもその娘の金で)、肺病病みで精神もきちゃってる奥さんと子供三人残して馬に蹴られて死んでしまって、奥さんは葬式の日に気が違って橋で子供を踊らせてそのまま血を吐いて死んでしまうし、主人公の妹は勤め先の主人にセクハラされて変な噂立てられて、貧さ故にナルナル自己チューな男に嫁ごうとしてるし、んでもってそのセクハラ親父は奥さんバラして、彼女に言い寄ってダメんなるとピストルで自殺しちゃうし……ってこんなめちゃくちゃな状況がいっせえのせ!でぶわって破裂して雪崩を打つように物語は進んでゆくわけで、まあ、もう、ひどいったらありゃしない。それでいてエログロなしなのでお子様も安心というわけである。

小学生の僕は「こりゃねえだろ」と思って読んだという記録がある。当時の読後感によれば、面白かったが実感がないというようなことが汚い字で書いてある。

その面白かったというのも、どちらかというとコメディーとして読んだというような印象である。つまり「普通なら、事態がこんなに酷くなるわけないけど、もしも、こんな異常な人が集まって、事態が酷くなっていけば、見ている分には面白い」というような醒めた視点である。

いま思えば残酷な物言いだが、子供というものは現実がまさに残酷であることを知らないから、極端に残酷なことも言えるのだとぞっとする。ちなみに私は幼い頃から残酷な物言いをする人間だった。私のような子供は『罪と罰』を笑って読んでしまうのである。

そんな私でも歳を重ねるにつれ、ドスト氏の小説は実感を持って読めるようになる。後に「熱病のような目つき」を見ることになるだろうし、意地の張り合いで崩壊してゆく人間関係も実体験することになる。だから、読むたびに凄いなと感じる。

元来生意気でナルシストな私はラスコーリニコフの思想を理解するのに苦労はなかったし、酒飲みのマルメラードフの気持ちも理解できるようになった。何個かの彼の台詞はお気に入りである。マルメラードフの奥さんであるカチェリーナの演じる各場面も大きな教訓として私の心に刻まれているし、ラスコーリニコフの妹ドゥーニャを追うスヴィドリガイロフの気持ちも、また、ドゥーニャの婚約者であるルージンの気持ちも理解できる。

つまり「ああ、いるよな」とか「ああ、こういう気持ちになること人間ってあるんだよなあ」という感覚になってゆく。そして、その度に、そうした描写や台詞、あるいはドストエフスキーの分析やコメントの鋭さを感じる。

ただ私は今もまだ若いのであり、全ては読めていないと感じている。まだ「これはないだろ」と言いたい言動がいくつかある。それが、そのうちに「なるほど」と読めるようになってしまうのだろうか。なんだか、あまり嬉しくないが。

関連エントリ

ドストエフスキー『罪と罰』について(2) あらすじと内容構成

2008-02-06

通夜(2)

通夜から帰ってきて思うことを少々。

私の周りでは、よく人が死ぬ。というよりかは、私が中学時代に所属した部活の人間は早死にが多い。五十で死んだ顧問を入れれば、これで四人目である。加えて言えば、もう一人、やや外れてはいるが、関連している人間が死んでいるはずである。やはり音楽は体に悪いのか、体の悪い人間が音楽を好むのか。

それとも、早く死ぬと思えばこそ、自分のすべきことが逆に明らかになり、藝術にのめり込むということもあるのかもしれない。人間の肉体は(精神も)極めて脆く、危うい。寿命は一瞬で過ぎ去る。そのことを知る彼らは、自らを本当に熱くさせる藝術に飛び込まずにはいられないのではなかろうか。

人の命は耐え忍ぶには長く、成し遂げるには短い。一瞬と思って炎を燃やせば日々の繰り返しの長さが襲い掛かるし、逆に日々を過ごそうと思うと驚くほどに一瞬で月日は流れ、寿命が消えてゆくことに驚く。よく分からないが、恐ろしい。

よく分からないから、考えるのはよそう。下らない。

今日は中学校の部活の先輩の通夜に行ってきた。

彼女と付き合っていたこともあるギターの講師は悲しそうだった。彼は私の同級生が死んだときには「電池が切れた」と言っていたのだが、今回は事情が違う。仔細は知らないが、彼は彼女と五年間以上は付き合っていたと聞く。彼女は高校生で、彼は講師だった。そして彼女は高校を卒業し、彼と同じ職場で働いた。

高校からの5年間を見守り愛した女性が、やがて自分を離れ、家庭を持って子供を育んだ。そして、その彼女が彼女よりも先に死んでしまった。ただ、彼は「早すぎるよ」と繰り返していた。もう四十になる頃か。葬式で会う度に彼は老けてゆく。私が中学生の頃は「俺は永遠に18歳だ」「ビールは水だ」と言っていたのを思い出す。

彼は目を赤くして、後に残された、まだ母の死を認識できない幼い女の子を彼は不憫がった。彼女はちょこちょことやって来て明るく笑っていた。その笑顔を見て、皆は口々に母親に似ていると言っていた。あの歳では母親の記憶は残らないだろう。

そういえば、同級生が十八で死んだときも、彼と付き合っていたことがある女(これも私と同級生)は苦しそうだった。私も悲しかったが、彼女は本当に苦しそうだった。無力になったときに、初めて気づくことがあり、逆に、手遅れにならなければ気づけないことが、人にはありすぎる。

私も彼女が自殺しかけたときには本当に苦しかった。人の生き死にが関わると他の問題は本当にどうでもよくなる。私は自分の愛した女性を失わずにここまで来れたことが本当に有難い。本当に自分勝手な物言いだが。

式が終わると式場には音楽が流れ、様々な写真が貼られていた。彼女の笑顔の中に、私が写っている写真も数点あった。割合から言って、その枚数が多過ぎたと思う。

最後に棺桶に眠る彼女の顔をみた。本当に美しかった。

通夜(1)

メールボックスを開くと送信者不明のメールがあった。件名は「連絡」とある。開いてみると訃報だった。

通夜に行く前に、少し書いておく。

亡くなったのは私の中学校時代の部活の先輩、四つか五つ上の女性である。まだ若い。確か数年前に結婚してお子さんができたばかりと記憶している。

彼女のことを思い出す。芸術家肌の人だった。気性は激しく、体を壊しそうなほどギターの練習をしていたのを思い出す。実際、彼女は腱鞘炎になり、ギター演奏の道は諦めた筈である。確かその後は絵を描いていたと記憶している。

私も彼女からは様々に影響を受けた。当時の私にとって、それも中学一年生の私にとっては、いかにも大人の女性として印象付けられている。考えてみれば十二歳の私に対し、彼女は十七歳だった。それも、普通高校を出た後で、ギターの専門学校に通っていたのだから、その印象はきわめて強いものだった。服も髪型も化粧も、幼い私には強い印象を与えた。

 彼女は少なくとも月に一度は母校である私の中学校を訪問し、熱心に指導してくれた。彼女に楽譜や教則本を借りたことも一度や二度ではない。お部屋にも入らせていただいた記憶もある。机の横に絵が掛かっていた。確か、彼女が高校生のときに描いたものだった。当時は良く分からなかったが、いま思えば芸術的に優れた絵だった気がする。

当時、週に一度のペースで来てくれる講師と付き合っていたことがあった。そのことに絡みつつ、部活内の運営に様々な問題があって、私の二個上の先輩の気性が激しいこともあり、問題は大きく膨れ上がったことを思い出す。

 私の人生にとって、芸術と恋愛や友情となどの問題が具体的に初めて浮上したのは、この中学校の部活動であり、その中でも彼女の存在は大きかった。

彼女の演奏は一度だけ聴いたことがある。独奏のコンクールだった。演奏は優れていた。しかし、彼女は緊張のためか、曲の繰り返しを飛ばしてしまった。結局、不自然に短い時間で曲は終わってしまった。立ち上がった後の、彼女の笑顔と、シャープなステージ衣装がライトに照る様は、強く私の印象に残った。それを最後に彼女は演奏をやめたような記憶があるが、定かではない。

考えてみれば、昔に世話になった人のことでも、知らないことばかりだ。もう彼女とは話せないのに。

千葉は雪である。母に通夜のことを告げると「葬式の夜に降るものは、死んだ人の涙なのよ」と顔に似合わず洒落たことを言う。

さて、そろそろ着替えることにしよう。

2008-02-01

最近のPC環境 (Windows)

最近はノートPC(CPU:Pen3 500MHz, mem:196MB)にwin2kを入れて使っている。Gentoo入れてあるマシンはサーバにして別の部屋においてあり、そこにログインしたり、しなかったり。そんな最近のPC環境について少々。

インストールしてあるソフトは、基本で MS Office。まあ、あまり使わないけど。OpenOfficeは今のところ入れていない。そう言えば TeX も入れてない。最近、ドキュメント書きは HTML/CSS でいいんじゃないかと。それをブラウザでPDFにしてしまう。細かいことはできないが十分な気が。あ、PDFドライバには primoPDF を利用。

PDFビューアは悩みどころだが、基本な Adobe Reader は一応入れてある。立たせないけど。通常使うのは SumatraPDF。めっちゃ起動が軽くてお気に入り。あとは foxit reader も入れてある。これもそこそこ軽い。Sumatra で駄目なとき用。

TeXを入れてないと縦書きしたいとき困るっちゃ困る。O'sエディタやQXあたりを入れておけばいいのかもしれないが入れてない。あ、WZは高くて買えないですな(超漢字買っといて何言ってんだか・・・・・・)。青空文庫書式で書いて、それを青空文庫印刷ソフトで印刷するのもありかもしれないと考えたり、ああ、でも傍点はできないよなあ、とか考えたり。やはり、本気で縦書きなものを書こうとしたら TeX かなあ。ワードのお出ましだけは願い下げたいが。

エディタといえば、基本な秀丸がレジストリせずに入れてあるが使ってない(ちなみに最近の秀丸は縦書きできるのに驚き!)。ばりばり使うのはvim。nyacus (cmd.exe の機能を拡張するソフト) の上で vim 動かすとうほっという気分に。でも、ぶっちゃけ日本語をもの静かに書くには全然向いてない。あくまでプログラマ向けだなとしみじみ。昔大好きだった xyzzy や meadow など emacs 系は入れてない。sakura editorも入れていない。人間かわるものだ。

画像動画系は mplayer と Irfanview で十分。だけど、iTunes とかも入れてある。iPodなんて持ってないが。ちなみに mplayer はコンソールから動かしている。これで十分。プレイリストなんてだるいもんつくってられない。

設定系では、窓の手やいじくるツール、Revo Uninstaller を利用中。窓の手でエクスプローラに常にファイルツリーを表示させたり、任意のファイルをvimで開けるようにしたり、任意のフォルダで cmd.exe を開けるようにする。いじくるツールではターゲットフォルダを変更したり、「~のショートカット」という間抜けな文字を出さないようにする。PCにバンドルされてたキー配列変更ソフトでCapsLockはControlになっている。xkeymacs は入れてあるが動かしてない。synergyでマウスとキーボードの共有(dgi-log: synergy - PCが2台以上ある人は是非知っておきたいキーボード、マウス共有ツール参照)。アーカイバは昔の名残で noah & caldix。アンチ・ヴィールスにavast! 。スパイウェアを検出にspybot

サーバとの接続は putty。当然 pagent で keychain して、ショートカットで起動して3秒でログインできる状態。たまに UltraVNC も利用する、かな。NX も入れてあるけど動かしたことない。WinSCP はたまに使う。けど通常は samba 経由。ネットワークドライブ割り当ててある。たまに cmd.exe 上の vim で gentoo の上のファイルを編集していると、とても変な気分になる。

ネットは基本で firefox。使い方は特殊で vimperator という firefox を vim みたいにしてしまう怪しげなものを利用。全操作がキーボードから可能でマウス要らず。メニューバーもツールバーもステータスバーもタブバーも何も出していない。詳細は 最近の firefox 環境 を参照。

デスクトップの上にはマイコンピュータとマイネットワーク、ごみ箱の他には

  1. arch_doc(ダウンロードしたドキュメント)
  2. media(ダウンロードしたメディアファイル)
  3. arch_soft(ダウンロードしたソフト)
  4. done(作業終了したファイル)
というショートカットだけ。それぞれ実体は gentoo 上にある。ファイル移動をしまう際には、シフト押しながらの D&D でコピーにならず移動ができる。

gentoo にログインするショートカットは C-M-H, firefox は C-M-F, nyacus 起動は C-M-N、vim の起動は C-M-V。これで大体の作業は終了する。