高校時代、テスト前は「一夜漬け」ばかりだった。それでも成績は良かった。これは勉強方法が良かったのかもしれないと思うので、やり方を書いておく。
2008-10-31
「情報不安症」への対策
2008-10-30
人付き合いについて、もう一言
もう一つ言いたいことがあります。いや、本当はいくらでもあるんですけど、よく「馬鹿と同じ土俵に上がるな」的なアドヴァイスってありますよね? 「低レヴェルなやつと向き合うと、同じレヴェルになる」とかなんとか。
あれ嘘です。ていうか間違いです。テレビの見過ぎです。
感情を言語化することで心が穏やかになる
自分の行動や感情などを意識的に言語化すると、恐怖や攻撃性に関係する扁桃体の興奮が収まるらしい(» The Science of Mindfulness Meditation - Psych Central News)。
このことに関連して、瞑想や鬱病などについて、最近思うところを雑駁に書いてみる。
2008-10-29
朝に走ると早寝早起きになった
2008-10-28
時間を家計簿のように管理する
スケジュール帳や日記などで自分の時間を管理している人は多いと思う。しかしその時間管理は、本当に自分の時間消費の管理に役立っているのだろうか。
今回は「時間を家計簿のように管理する方法」を思いついたので紹介する。
パニックになるのを防ぐ時間管理
自分の時間を管理することは、効率化につながるだけではない。自分のテンションを維持する上でも、時間が管理され視覚化されていることの安心感は強い。
これは家計簿をつけていることの安心感にも似ている。記録分析されていることで、苦境に陥ったとしても投げ遣りになることを避けられる。ピンチの時に一番恐しいのはパニックになることで、記録とはそうした苦しい時に支えになってくれるものだ。
何のために時間を使ったのかを可視化
ところが通常の時間管理では、自分が何のために時間を使ったのかを管理できていない。日記を読み返しても、当時の雰囲気は伝わるが、何のためにどれくらいの時間を使っていたのかが数字で把握できない。これではせっかくの記録が活かせない。
そこで時間を家計簿のように記録するといいのではないかと考えた。いや、むしろ家計簿と日記を融合させることにした。
つまり日記をつける際、表計算ソフトなどに家計簿をつけるように記録してゆくのだ。「日付」と「行動の分類」「消費したお金」「消費した時間」「詳細」を記録してゆくことにした。
目的に従って分類する
しかし、従来の家計簿のように「交通費」「食費」などという分類では意味がない。自分が何の目的のために使ったのかが重要だからだ。
私は以下のように自分の使った時間を分類し、週末に集計・分析することにした。自分のライフプランなどと連動させていることが望ましいとおもう。
- 仕事: 仕事能力形成に関すること
- 経済: 経済能力形成に関すること。また、その実行。
- 家族: 妻や子供に関する活動
- 友人: 友人に関すること。
- 健康: 自分の健康
- 成長: 自分の精神の成長
- 余暇: 心と体のあそび
- 環境: 物理的な環境の整備
何のために時間とお金を使ったのかが一目瞭然
こうすることで、自分がどの目的のために時間とお金を使ったのかが明かになる。例えば「友人と渋谷で飲んだ」という行動は、お金の観点からは「友人/交通費,140円, 0.5時間,秋葉原-渋谷」「友人/飲食費,4000円, 3時間,Iと」という具合に記録される。
また、家でネットを読んでいる時間は「余暇/ニュース,0円,0.5時間, 「日経平均が一時7000円を割った」「空売り規制」など」という具合に記録しておく。
勿論、そんなに細かく記録する必要はない。30分刻みくらいでラフにやればいいだろう。持ち歩いているメモ帳にチョコチョコと「意味があった」と思った時間とお金の使い道を記録して、それを表計算ソフトに打てばいい。そもそも大概は「仕事」の時間が巨大なので記録は簡単なはずだ。
これで日記と家計簿は融合した。この情報を集計すれば、自分が何の目的のために時間とお金を使ったのかが一目瞭然となる。そうすれば次の計画を立てるときの重要な情報になってくれる。
まだ運用開始したばかりなので問題などが出てくるかもしれない。しばらくやってみるつもりだ。
関連記事
2008-10-27
京都大学 河原達也教授の音声認識がもの凄かった
去る10月26日、NHK教育テレビの「ろうを生きる 難聴を生きる」を偶然みました。そこでは、京都大学の河原達也 教授による「音声認識技術のノートテークへの適用」が紹介されていました。河原先生が話すと即座に音声認識されてスクリーンに文字が表示されるのですが、驚いたのはその認識精度の高さでした。全く普通の話し方で、見たところ完璧に認識されていたのです。
音声認識技術で、聾者が授業に参加できる
「ノートテイク (Note-take)」とは「大学などでの講義で聞こえる人が聞こえない学生の隣に座りノートを取ること」だそうです。聾者にとっては聴覚情報は摂取不能ですから、即座に視覚情報に変換することで、リアルタイム性を損ねることなく講義に参加できるというのでしょう。ただし、この変換を人間が行うのはコストが掛かる筈です。だから、マシンで行いたいというコンテクストでしょう。
講義の音声情報を文字情報に変換するというのは大変なことです。講義では、専門用語が飛び交うために辞書の充実も必要不可欠という悪条件です。話者の発話モデル構築のための準備時間も取れないでしょうし、学生の質問もあるでしょう。人によっては方言がまじったり、言いよどんだりすることが起こるはずです。更には部屋のノイズも多いはずです。これらの条件を全てクリアして初めて、聾者が不自由なく使える「実用的な技術」ということになるのです。
音声認識技術の活躍の幅は広い
音声認識技術は講義に限らず、様々な分野で聴覚障害者の助けとなることと思います。今後、裁判員制度などでも活躍することでしょう。更に聴覚障害者以外にも、音声入力が普及するかと思います。日本語をローマ字で打ってスペースを押して変換するというのは、連続すると結構なストレスだと私は思います。
この技術は「完成目前」とのことでした。河原教授のシステムは、テレビを見るかぎり、悪条件の中、素晴しいと言うしかない精度で音声を認識して文字列を表示していました。かな漢字変換の能力だけを考えても凄いと感じました。ちなみに、サイトは 京都大学 河原研究室 だと思います。
このシステムには非常に興味があるので、もし情報をご存知の方がいらっしゃたら教えて下さると有り難いです。
また、この番組は 31日(金)昼 12:45〜13:00 にも再放送があるようです。「今 ノートテイクを考える 〜 2008ノートテイクシンポジウム」という番組です。チェックしてみて下さい。(詳細は NHK のサイト参照)
関連記事
2008-10-24
Microsoft Natural Ergonomic Keyboard 4000 は本当に手首の負担を軽くする
このところキーボード入力が多くて、ストレスが溜まりまくってました。
そんなある日のこと。手首が痛いんです。ええ両方。でも打鍵はしなければなりません。そこで「新しい PC 買うかあ!」と思って電気屋に行きまして、今回紹介する「Microsoft Natural Ergonomic Keyboard 4000 (B2M-00010)」に出会い、即座に購入してきました。打鍵の多い人にホントにおすすめのキーボードです。
このキーボード、見た目はかなり不思議です。
キーボードの真ん中から左右に分かれていて、それが「ハの字」になっています。キーも人差し指が高くなるように湾曲しています。中でも一番不思議に感じたのは、手首の辺りが一番高くなっていて向こう側が低くなってこと。つまり、普通のキーボードとは逆の傾斜をしているんですね。
その高くなった手首を置く所は合皮のクッションがあります。それが皮のような肌触りで、大袈裟に言えばいつまでも手首を置いておきたくなるんです。そこに手首を置くと安定して、とても気持ちがいいのです。
手首まっすぐ、だから快適!
このキーボードを使うと手首は自然に真っ直になります。これで手首の負担がかなり軽減されます。通常のキーボードだと手首が不自然に曲がった状態で指を動かすのだから手首の負担が大きいのです。
更にキーボードが「ハの字」になっているので肘を広げられます。どっかりと肘を広げて打鍵できるので、手首だけでなく肩も楽になりました。通常のキーボードだとキーが一列に並んでいるので、肩身を狭くして打鍵しなくてはなりません。そのため猫背や肩凝りの原因だったと思います。
「へえ、これが人間工学ってやつかあ」と納得しました。
キータッチはちゃちだが、デザインでカバー
残念なことは、打鍵の感覚はそれほど良いものではありません。せいぜい3000円程度のキーボードという感じでしょうか。私は打鍵感にうるさい方でして、HHKとかを欲しがったりするタイプなのでした。
しかし、今回購入してがっつり使いこんでみて分かったのは「長時間の打鍵の快適さには、打鍵感よりも全体のデザインの方が大きく貢献する」ということです。つまり、指のストレスよりも、手首や肩の方が問題が大きいのです。この程度の打鍵アクションであっても手首と指のストレスが低ければ、とっても快適な入力ができるのです。
不快な姿勢はストレス。生産性が低下
解放されてみて初めて、通常のキーボードに手を置くのが不自然な体勢で、それが精神にもかなりのストレスになっていたことを実感しました。不快な姿勢では無意識にイライラして生産性も落ちるのでしょう。
もちろん、このキーボードを使ったからといって、完全に疲れなくなるということではないでしょう。目と身体の健康のためにも一定時間ごとに休憩を入れるように気をつけねばならないのは明らかです。しかし、MS Natural Ergnomic Keyboard はキー入力の負担を減らし、精神的なストレスもかなり軽減してくれます。
人間工学に基づいたキーボード「Microsoft Natural Ergonomic Keyboard 4000 (B2M-00010)」。キー入力の多い人には本当におすすめです。どうぞ試してみて下さい。
ちなみにワイヤレスでマウスもついた 「Microsoft Natural Ergonomic Desktop 7000 (WTA-00014)」もあります。
こちらもおすすめです。
関連記事
2008-10-18
EU首脳、世界経済監視機関を提唱
Bloomberg で 世界経済監視機関設立へ EU首脳、金融システム改革で一致 という記事を見つけた。EUが主導で金融システムの全面的な見直しを行い、米国に提案するようだ。
具体的には11月にもサミットを開き、ブレトンウッズ協定を改正し、世界経済を監視する機関を設立することを提唱するというから興奮する。他にも以下の事項も検討するらしい。
- 多国籍金融資本への監督強化
- IMFの改革
- ヘッジファンドへの規制強化
- 格付け機関への新たな規則
- 経営者の高額報酬に対する資源
- 過度なリスクを追う取引に対する罰則
- 証券化商品について「時価会計」制度の一時凍結
ついに国際金融への規制機関が誕生するということか。トービン税(トービン税 - Wikipedia)導入などが現実化するのだろうか。それとも、新たな金融横暴の序章になるだけなのだろうか。一体、どういうことになるのだろう。
そもそもブレトンウッズ協定の改正というのが熱い。暫定的な処置ではなく、大枠の書き換えである意思を感じる。
ブレトンウッズ協定は1944年に開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され1945年に発効した国際金融機構についての協定であり、通貨の安定、貿易振興、開発途上国の開発を目的としていた。この理念の下、IMFと世銀の設立を決め、貿易振興と開発援助の資し、更に通貨の安定策としてドルを基軸通貨とし、金1オンスを35USドルとさだめ、そのドルに対し各国通貨の交換比率をさだめた(金本位制)。尚、この固定相場制のもとで、日本円は1ドル=360円に固定された。
この体制下で西側諸国は、史上類を見ない高度成長を実現。特に、日本は1950年代から1970年代初めにかけて高度経済成長を実現し「東洋の奇跡」とよばれた。 安定した自由貿易の利益が先進工業国全体の経済を改善した。
しかし、そのブレトンウッズ体制は、71年にニクソン・ショックによりアメリカが金とドルとの兌換をやめ、更に、73年には変動相場制へと移行したことで崩壊した。
この体制を改正するということは、国際的な通貨制度、貿易、開発援助の根底が議論され覆る可能性だってある。個人的には、少なくともIMFの改革の中にワシントン・コンセンサスの排除が入っていて欲しいものだと思う。
また、基軸通貨の問題が出てくるかもしれない。IMFのSDRとかがクローズアップされるかもしれないし(特別引出権 - Wikipedia)、「金本位制」や「固定相場制」「バンコール」などという概念が戻るということすらあるかもしれない。あるいは全く逆に基軸のない多極的・多重的な世界が現れるのかもしれない。
ブレトン・ウッズ体制が崩壊してはや三十数年。今まさに世界は大きく変化しようとしている。今後の動向を注意深く見守りたい。
関連記事
2008-10-16
情報カードには「はがき」を使うのがいいと思う
「情報カード」と言えば 5x3 インチや「京大式」と呼ばれる B6 サイズが代表的だが、私は 葉書 (文庫本や A6 の大きさ)を利用している。その利点をリストしてみる。
- 値段が安い:近所の100円ショップにて50枚入りが105円で買える。一枚 2.1円というのは、他の情報カードと比較して安い。コレクトの5x3カードは100枚336円、京大式(B6)は100枚483円である。
- 入手しやすい:情報カードはある程度の都市の文房具屋でなければ買えないが、葉書ならばどこの文房具屋でも100円ショップでも入手できる。
- 段落や図を書くのに十分なサイズ:段落を書き抜いたり、チャートを描いたりするには 5x3 は明らかに小さ過ぎる。葉書には普通に200字は書けるので、通常のまとまりとして十分だと思う。文書の種類 文字数と時間の関係 も参照。ちなみに 5x3 は文献カードには最適だと思う。
- 携帯に便利:葉書(文庫本)サイズならポケットに入るし、本屋や電車内でも人目をそれほど気にせずにメモできる。京大式(B6)もギリギリ持ち運べるが、万年筆で書くならばいざしらず、最近のペンの細字で書くならばこんなに大きくなくてもよいと思う。携帯にはA6サイズのプラスチックの板で挟むか、葉書を入れるパースを利用すれば万全。
- PCから印刷できる:PCのプリンターははがきに最適化されているので、定型的なフォーマットや持ち歩きたい情報などを綺麗にプリントアウトできる。
- 収納具が豊富:カードをシステムとして利用するには、持ち運びのための収納の他、カードボックスも必要になる。この点、葉書や文庫本、A6サイズの収納具は非常に充実している上、どこでも買うことができる。
- 縦書きでも違和感がない:他の情報カードだと縦書きすると違和感があるが、葉書だと見慣れているので縦書きでも利用できる。縦書きを愛する人は是非。
僕が葉書を情報カードとして使い初めたのは中三の頃だった。勉強法の本を読んで「情報カード」を利用すると良いことを知ったのだが、近所の文房具屋で情報カードを見つけられなかったので、その変わりに葉書を買ったのが始まりだ。そのカードに記憶すべき事項(英文法と例文、数学の公式など)を記載して持ち歩いた。
高校になっても、大学になっても、テストの前には葉書を使った。覚えにくいポイントを葉書という限られたスペースに押し込み、それを電車の中で暗記した。作るときの感覚としては「カンニング・ペーパー」といったところだ(もちろん本当にカンニングしたことは無いが)。通学電車(高校時代は往復2時間)、あるいは散歩中に、カードをちらちら見るだけで大概の勉強は終わったので、家で机に向かうことはほとんど無かった。
20歳ごろからメモも PC 一辺倒になってしまったが、最近の私は紙の利用を見直している。現在は B7 のメモ帳と B5 ノートを利用しているが、今後、単純なメモも葉書にしようかと思っている。
関連記事
「味わう」ということ
「食」がテーマになって久しいが、最近、また一つ気付いたことがあった。それは、食とは「食べ物に力を与えられる」という受動的なものではなく、自らが味わい、力を引き出すという能動的なものなのではないかということだ。
宮崎駿が描く食がうまい理由
以前、食とはメッセージ という記事で「毎日の食事では、ストレスなく、静かに、食事を味わいたいと、私は求めているということだろう」と書いた。そして、日々の食事では派手さはなくともメッセージとして成立している食を摂りたいものだと述べた。いかに美味であれメッセージとして成立していない食を私は理解できない。
さて、そんなことを心の底に沈めているある日、宮崎駿が描く食事がうまい理由 - ラノ漫—ライトノベルのマンガを本気で作る編集者の雑記— という記事にて、宮崎駿の食が非常に質素かつ単調なものであることを知った。
その記事では、日々の食が質素であるからこそ、「ハレ」としてのご馳走が美味しく感じられるということで、確かにと頷いた。日々、贅沢な料理を食べていては味覚が麻痺してしまい、美味しいという感覚は消えてしまうことだろう。美味を追求した中国皇帝が、次第に食欲を失ってゆくようなものだ。逆に、戦後の貧しい時期に生まれた私の父が19にして初めてカツ丼を食った時に「世の中にこんなにうまいものがあったとは!」という興奮を味わうということが起こるのである。
また宮崎の描く食が旨そうであるのは、明かにメッセージとして成立しているからでもあるだろう。例えば、私はラピュタにおける肉団子スープや、パンとベーコンの朝食、シータが作った海賊たちの食事に憧れたものだったが、それはモノとしての食ではなくメッセージとしての食に憧れたのである。この点 J& blog http://new.ciao.jp/: 宮崎駿が描く食事がうまい理由 が非常に上手にまとめて下さっている。
うまい物を食べるのではなく、うまさを引き出す
私は「贅沢は創造力の敵」なのではないかと思う。これは上で書いた「ストレスなく、静かに、食事を味わいたい」という私の食への姿勢の延長である。
思うに、刺激が強い場合には、自分の側の感性は麻痺してしまう。簡素な食事であるからこそ、自分のリズムや感性が邪魔されない。逆に自分から何かを生みたい場合に、日々の刺激はノイズにしかならない。それがいかに美味であったとしてもだ。
自分で旨く食べるのではなく、美味しい食べ物を与えてほしいという、そうした受動的、他力本願的な姿勢は、全てのことに影響してしまうのではないだろうか。
押井守が描く「能動的な食」
ここで宮崎とも親しい押井守の映像をいくつか思い出す。彼もまた食の描写が卓越している。立食い師列伝は言うまでもなく、パトレーバーにおける柘植の食う立ち食い蕎麦や榊班長の食うアルミの弁当のシーンは思い浮かぶ。どちらも、モノとしての食べ物は別にしても、非常に旨そうに食べていた。
映像がないかと Youtube をうろついたところ以下の映像が見つかった。これも押井の積極的な食の姿勢がよく表れていると思う。
上の動画はいかにも大袈裟ではあるが、食い合せの塩梅や戦略は私も無意識にしろ行っていることだ。大切なのは「美味しいものを食べる」ことではなく、「美味しく食べる」ということなのだ。
この「与えられたものをただ食べる」のではなく、少しでもうまさを引き出すべく「迎え撃つ」という姿勢は押井や宮崎に共通した姿勢なのではないだろうか。
「飯が不味くなる」
「最近うまいもん食べた?」などと久々に会う友人に聞かれることがある。こうした問いを聞くたびに私は情けなくなる。人が少しでも旨いものを食いたいと思うのは本能であるだろう。しかし、ただ受動的に美味しいものを求める様は浅ましい。
大概そういう男と食事を摂ると、こちらまで飯が不味くなる。食卓に付くにモゾモゾと動き、姿勢は正さず、箸の作法も弁えず、挨拶もけじめもなくだらだらと飯を臓腑に入れている。食い終えたのか判然とせぬ皿には常に食べ残しがあり、下手をするとそのままに灰皿にしてしまう。こういう男に、美味しい食事を摂ることはかなわないだろう。
こうしたことは、殊に蕎麦を食うときに感じる。蕎麦ほど食う側の上手い下手が味を左右するものはないと思う。蕎麦が出て来たら即座に箸を割り、上から少しつまんで、三割ばかりつゆにひたし、即座に吸うものだと思う。蕎麦をつゆにつけこんでしまっては何のために蕎麦とつゆが別に出ているのか分からない。つゆの入った碗を机に置いたまま、肘をついて、ダラダラと食べるような男はどんなに美味しい蕎麦が出て来ても、その味を解することはないだろうと思う。天麩羅や蕎麦、ラーメンは屋台ものであり、ダラダラと食べるものではない。まあ好みもあるだろうが、見ているこちらまで不味くなるのは勘弁してほしい。
最近、都内の人々は「美味しく食べる」という能力を失いがちだと思う。
私は美味しいものをスリのような目付きで探し求めるのではなく、美味しいものを自分で作ったり、美味しく食べる技を研究した方が楽しいと思う。
そうした鋭敏な状態で食をとる方が精神も落ち着くと思う。結局、私たちは客観化されるような「美味」を求めているわけではなく、食からの満足を求めているのだ。だから、受動的に美味しいものを探していても、メッセージを欠いた飽食は飽食を呼ぶだけであり満足はやって来ない。
関連記事
2008-10-15
リンクの種類: リンクをいかに分類し拡張するか
先日の記事(タグの種類への考察 タグをいかに分類し拡張するか)にて、タグについて考えたが、これはリンク(ハイパーリンク)についても同じことが言えると思う。このことについて妄想してみる。
なぜリンクを分類するのか
現在のハイパーリンクは一方向で意味も示せない。だからリンクされた二つの要素の関係が分からない。それに、複数の関係をシンプルに示すことができない。
リンクの種類を増やし、複数のリンクを可能にすると、複数の要素の関係を明示でき、機械的に視覚化できるようになる。
私たちがタグを付けているのは、何も分類して楽しんでいるわけではない。関連情報を一覧表示したいからだ。ならばタグに拘らずに、関連の基礎であるリンクを利用することもできるはずだ。そして、分類されたリンクを元にして視覚化すれば、より有意義な一覧表示が可能になるはずだ。
分類ではなくリンク(関連付け)する
思考というと分類を思い浮かべがちである。しかし、古人の伝記を読んでみても、あるいは、自分自身の思考を反省してみても、人間の思い付きは関連付けや連想によるものが多い。「全然関係ないと思ってたアレがヒントになった」というわけだ。思考ってのは関連や連想なのだと思う。
だから、ある情報を「どのカテゴリーに入れるか」と考えるよりも、「どの情報と関連させておけばよいか」と考える方が自然であると思う。カテゴリーという分類は往々にして変化してしまうが、一度発生した「関連」は変化しない。
固定アドレスとそれを利用したハイパーリンクシステムというのは、ディレクトリシステムよりも柔軟で使い易い。インターネットの移動が、ハイパーリンクのクリックではなく、階層構造の移動だけだったとしたら、かなり不便だったと思う。
タグもリンクの一種
ここで思い付くのはタグもリンクの一つだということだ。しかし、これをどう考えるべきだろうか。
タグの場合には、そのタグの概念が「親」で、個別の要素が「子」と考えられると思う。そして、個別の要素同士は「兄弟」ということになるだろう。この親子の関係で連想される要素間の関係をリンクの関係、あるいはリンクの方向と考える。
ここで先日の記事の「タグの分類」を復習する。タグにメタタグとして、以下のものがあると便利だと主張した。
- [type] それは何? [ブログ記事][サイト][eBook][メール][写真][ビデオ]
- [topic] それは何に関するもの? [日本語][仕事術][世界経済]
- [impression] それをどう感じた? [ひどい][すごい]
- [action] それをどうする?「あとで」「読んだ」「ブログに書く」「考える」「買う」
- [author] それを作った or 書いたのは? [Mac][Amazon][任天堂][茂木健一郎]
- [context] どの状況で [action] する?
- [source] その情報源は?
以上はタグではあるが、関係を明示しているので、リンクであると考えた方が自然かと思う。つまりタグに当たる概念を個別の要素の「親」と考えるとすっきりとするかな、と。
リンクにすると
「おいおい、それじゃあタグでいいじゃん」と思うかもしれない。
しかし、タグでは「親」は、ただの単語だが、リンクであれば要素にできる。というか、リンクなのだから普通は「親」は要素であって、要素を取らない「親」、あるいは「親のない兄弟」(関連はあるが、それを名指す概念を明示していない状態)は、どちらかというと例外で考える。
例えば、アマゾンの本のページを「親」として、その子供に書評のページを「子」としてぶらさげるということをリンクは可能にする。最初はどちらが「親」か「子」かも分からずにリンクさせるば、書評の数が増えると、[topic]の連関で関係を定義するのが妥当だと思う。
あるいは、ある行動指示のメールを親として、その下に、それに必要な情報を子としてぶらさげたりとか。
あと、参照の親子関係(目次と本文、本文と注のような)も必要か。いや、これも [topic] でいけるかな。
[author]や[type]はリンクってよりは、あきらかに属性って感じもするが……。でも[author]をリンクにしておくと便利さもあるかなあ。
いや、こんなこと、自分で考えなくても誰か考えてそうだな。妄想中止。
関連記事
2008-10-11
信用創造って知らないもん?
所謂「金融危機」の報道が喧しいためか、このところ恋人が金融に興味を持っている。本日は「信用創造」について説明した。
まず、信用創造 - Wikipedia を印刷して渡した。そして、以下の文書を図にして説明した。
たとえば100万円の現金が預金されたものとする。準備率が10%であれば、この100万円の現金を日銀当座預金に回した上、借り手の口座に預金 900万円を創設することにより、900万円を融資することができる。この結果、預金額は1000万円となる。
「銀行は100万円の預金で900万円融資できる」と言うと、彼女は非常に驚いた様子だった。
「で、現実には準備率ってのは現実的には 1% 切ってるくらいだから銀行ってのは100倍以上の預金を創設できるんだよ。だから100万円あれば9000万円貸せるんだね。いまは逆に信用収縮だから貸さないけど、本気になれば無限に貸せるようなもんだ」
彼女はぽかーんとして、その後「そんな馬鹿な!」と言う。「無いお金を銀行は貸せるの? そんなの詐欺じゃん! BSはどうなるの?」
尚、バランスシートの上では、負債の側では預金された現金100万円+創設された預金900万円、資産の側では日銀当座預金100万円+融資残高900万円となる。
「貸し出しても返済されると考えるから、全てのお金を準備する必要はないと考えるんだ。逆に言えば返済が滞ると信用が失われて金融危機になるんだけど……。ここを読んでみて」
このようなプロセスで発生した信用貨幣の価値は、期限に借り手が遅滞なく返済や利子支払いをおこなうことを前提としており、恒常的な業績不振などにより借り手側の信用が急速に失われたり、経理上の不具合で十分な担保価値や引当金が計上されていないことなどが判明すれば信用不安が生じる。これが金融機関の健全性や預金の支払能力に対する不安にまで波及したとき、大規模な金融危機が発生する。新たな借入よりも返済が多くなったり、信用創造が収縮すると経済全体の取引が低調となる(いわゆる不況)。
「更に、一度に引き出しが殺到しないものとも考えているんだ。だから、みんなが一気に預金をおろそうとすると銀行は破綻する。まあ、それを防ぐために、他の銀行が現金を融通するから実際に簡単には破綻しないだろうけどね。本当は預けた金を勝手に他のところに使っている(運用している)のは問題なのかもしれないけど、習慣上、問題ないことになっている」
預金者がその銀行の預金の安全性に疑問をもつと、預金の引出しが起こる。このとき銀行が、それを賄うような資金調達ができなくなれば、その銀行は破綻する(取り付け騒ぎ)。これは、そもそもの貸出・信用創造の前提に「統計的に一度に引き出しが殺到しない」ことがあるためで、この前提が崩れた場合、手持ちの資金では預金債務を償還できない。
彼女は「普通の」銀行や貨幣というものが,こうした「信用」の上に成立していることに驚いたらしい。また銀行によって信用が貸し出される瞬間に「創造」されるということにも驚いたらしい。案外、そういう人は多いかもしれないから、一応、記事にしてみた。
最後に、ハイパワードマネー(現金通貨と中央銀行預け金の合計。マネタリーベースとも呼ばれる。ハイパワードマネー - Wikipedia)とマネーサプライ(通貨の合計。マネーサプライ - Wikipedia)という用語を説明して、公定歩合とかオペの話をして、簡単なマクロ経済入門。更にBIS規制とかの話も少々。
彼女は、六本木ヒルズで財務を経験し、渋谷のアセット・マネジメントの会社で不動産リートに携わり、現在は丸の内の保険会社に勤務しているのだから、実務で言えば私より全然くわしいのだが、マクロ経済はほんとうに全然知らないようだ。
2008-10-09
[広告] 口コミ病院検索QLife
ブログタイムズから記事広告のリリースをいただいたので「口コミ病院検索QLife」を紹介します。 否定的なクチコミを拒否するというポリシーを掲げる医療機関に関する情報サイトです。
「医者が信用できない」
医療にはコストがかかる。金銭コストだけではない。時間のコスト、精神的なコストが大きい。一度 治療を開始するとなれば確実に時間を奪うし(移動や待合室に座っている時間もかかる)、それに付随した気苦労も馬鹿にできない。
だから医療機関の選択には慎重になる。少しでも「まとも」な医者であれば精神的な負担は低くなる。混雑の具合、施設や技術の具合、こうしたことを事前に知っておきたい。
ネットの医療機関情報は信用できるか?
しかし、実際に比較するのは手間暇がかかりすぎる。そこで、ネットを利用することになる。先日も恋人が歯医者を探す際にネットを利用していた。
が、そこでも信頼できる情報に巡りあうことは少ない。ただの罵詈雑言であったりする。ただ疑心暗鬼になってしまったり、通院するのが現実的でない病院の賛美を読んでしまっても何も参考にはならないだろう。えてして、疑って人を見れば、その疑いは現実になるものである。
人生のステージとしての病院
口コミ病院検索QLifeのよいところは、ランキングや、ネガティヴなコメントを排除したことだろう。ランキングがあれば少しでも上のランクの病院に行きたいと思うのが人間だ。また否定的なコメントのある病院には行きたくない。それは結果として不安を煽るだけだ。QLifeにあふれているのは、数値化されない、好意的なコメントだけである。
「そうした好意的なコメントに意味があるのか?」とあなたは問うかもしれない。「評価は数値で表すべきではないか?」「ただの馴れ合いではないか?」
ここで私の愚考を読む前に、少しばかりQLifeのコメントを読んでみて欲しい。
どうだろうか。QLifeに溢れているのは、一人の人間のストーリーである。つまり、ある人間がその居住地や経済状況に規定されつつも、与えられた病気や出産という人生のイベントに向かいあった結果としての物語である。ここで私は気がついたのである。病院の評価とは数値化されるようなものではないことに。
結果として、病院とコメンターの語り口は「馴れ合い」となる。ある人が病院の助けを必要とする問題を乗り越えていったという事実が並ぶ。書かれているのは、どれも似たような曖昧な言葉ばかりだ。しかし、そうした語り口の中にこそ「安心」はある。
この語り口は、何よりも「自分が治る」というイメージを作るのに役立つだろう。不慣れな分野で初めて病院を利用する時にはイメージを持ちにくいものだが、ここにある物語を読めば自分がよい方向に向かうイメージをしっかりと持てることだろう。
安心を与える一人一人の物語が集まる場所
思えば不安が溢れたのは私達の選択肢が多過ぎるからである。私達は「選択の失敗」を犯したくない。選択の自由があるいま、逆に不安がつきまとうのである。選べなければ「信用」するしかないのだから。
そうして病院のランキングなども目にすることがあるが、本当に大切なことは客観的なデータではないだろう。医者を疑い、コロコロと医者を変えていては治る病気も治らない。大切なのは、ただ現実的に個別の問題に対応することである。ある意味で信じればこそ救われるという場面もあるのが病気というものだと思う。
治ったり、元気になることの物語をしっかりと持つことが大切だ。その物語がしっかりと持てないのでは、そのステージを乗り越えてゆくことは難しいだろう。口コミ病院検索QLifeが、そうした物語のプラットフォームとなってくれることを私は期待している。
比較しつつも安心を与える。そうした物語が口コミ病院検索QLifeに溢れてゆくと、私は素晴しいことだと思う。私は今後ともこのサイトを利用しつつ、微力ながらも応援したいと思っている。
あなたも登録し、自分の物語をつづってみてはいかがだろうか。きっと、その物語が誰かを勇気づけることだろう。
[PR by ブログタイムズ]
関連記事
[広告]パソコンでデコメができるPAGMail(パグメール)
今回もブログタイムスのリリースから記事を書いてみる。今回紹介するのは、パソコンでデコメができるPAGMail(パグメール)だ。使ったことのない読者も、是非、試してみて欲しい。
メールが送信しないもの
ケータイのメールは便利だが問題もある。基本的に文字しか送受信できないということだ。
心理学や脳科学の研究成果で耳にするところによると、人間のコミュニケーションにおいて、実は文字情報はそれほど大きな意味を為してはいないらしい。ほとんどは表情や仕草、声の調子などが情報となっているらしい。手紙であれば筆跡がそうした役割をしたのであろう。そうした大きな情報を、文字だけをやりとりするメールは失ってしまうのである。
印象なき文字列が送信する「悪意」
メールとは印象なき文字列であり、その印象の不在は逆に過大な印象を捏造することになる。つまり、端的に表現された文字列のやりとりの中で人は無意識的に、そこに「悪意」を読み取ってしまうのである。事務は達成される、が、コミュニケーションは達成されない。
絵文字や顔文字はこうした要請から生まれた。つまり、文字以外の情報をやりとりするため、印象の不在により「悪意」を送信しないためである。
デコメという発想の転換
殊に「文字情報」よりも「印象」が重視される場面では、デコメが一つの普及したコミュニケーションツールとなっている。それは文字情報における印象の不在を補うものではなく、むしろ、最初に印象を選択しつつ、内部にそれ自体としては情報ではない文字をはめこむのである。
そこには発想の転換がある。中に書かれる文字列よりも、むしろ、送るべき便箋を選ぶことが一つのメッセージであるという発想である。これを女子供のおもちゃと嗤うかもしれない。が、そもそも、コミュニケーションの一つの側面とはそういうものである。
男性の文具、女性の文具
このブログの読者であれば、文房具やデジタルツールによる知的生産などに興味があるものと思う。そして文具コーナーを渉猟していることと思う。そこで、自らとは相容れることのない女性とすれ違うことが多いと思う。
私は極めて男性的と思うのだが、頑強にして簡素な、少しでも書き味のよいペン、書き味のよい紙を求めている。これは「読む」人間への印象ではなく「書く」己にとっての問題である。文具とは徹頭徹尾、道具であり、己の手の延長である。
一方、女性的な文具はそうではない。彼女らにとっては、文具とは、所有、あるいは贈与する「モノ」である。そのデザインや色の多様さは、多少の機能性を問題外にする。便箋においても、その贈与される「モノ」としての価値が何よりも重視される。彼女たちは極めて現実的に、文字だけが送信されることがないことを知っているのである。
デコメを簡単に
「悪意」を送信しないためにも、たまにはデコメを利用することは価値がある。特に本ブログの読者であるようなタイプは無意識に人の感情を蔑ろにする傾向があると予測できるので、尚更である。
とはいえ、そんなものをケータイでやるのは面倒この上ないと感じるのも無理はない。はっきり言って、私もそんな努力をする位ならば「悪意だろうが何だろうが送信しまくってやる。孤独万歳!」という気分である。
そんなところでPAGMail(パグメール)だ。
意外にシンプル。男でも使える
私も実際に使ってみた。
登録にYahooやGoogleのものがそのまま使えるのもありがたい。新しいメアドが増えることがない。
I/F としてはあまりにケータイによりすぎというのが実感だが、それでもPCから使えるので我慢のできる範囲である。
むしろ、もっとゴテゴテさせるという手もあったところを、この程度のシンプルさにしてくれたことがありがたい。通常のメーラーを利用している人ならば類推だけで立派にデコメを作れることだろう。
たまにはこうしたメールを送ると、意外さもあいまって効果的だと思う。たまに試してみるのはいかがだろう。
[PR by ブログタイムズ]
関連記事
2008-10-01
[広告]自動掃除機 ルンバ ハローキティモデル
ブログタイムズから記事広告のリリースをいただいたので「自動掃除機 ルンバ ハローキティモデル」を紹介します。
意外に「見えてる」人間の目
部屋がある程度片付いてるのに「なんとなくすっきりとしない」「全体的にべたーとしている」と感じたことありませんか?
人間の目は、意識以上に塵や埃を見てしまうのだそうです。つまり、「あ、埃だ」と明確に認識できなくても無意識に埃や塵を感じて、その結果、なんとなく散らかっているように感じてしまうのです。
部屋は気分のバロメーター
部屋の空気は気分に大きな影響を与えるものです。すっきりとした部屋なら気分も自然にすっきりとしますし、逆に淀んだ空気の部屋ならブルーになりがちです。「環境に影響される」なんて軟弱ですが、人の気分ってのは回りの影響を受けやすいものなので仕方ないです。
気分が落ち込んでいるときには部屋が散らかっている時が多いと思います。逆に「さあ、やるぞ!」という時には、まず部屋を掃除するのが人間です。汚ない部屋ではいい仕事もできないのです。
成功の秘訣は「掃除」?
よく会社が成功した秘訣が「便所掃除」という人もみかけますし、私が知っているほどんど宗教は毎日の日課として掃除をしています。仏教では掃除も大切な修行なんです。禅寺では朝食の後、即座に雑巾掛けをしてお香を焚きます。宗教施設に行くと気分がすっきりするのは、こうした掃除が行き届いているからかもしれません。
そうして身の回りをしっかり整頓できてこそ、仕事にも精神的にも成功できるというものでしょう。小さなことですが、万事、小事から成るものです。是非とも見習いたいものです。
自動掃除機 ルンバでキレイな床を!
とはいいつつ毎朝掃除をするなんて億劫なものです。出したものを仕舞う程度ならまだしも、床を掃除するのはなかなか……。朝の忙しい時、あるいは帰宅しての疲れた時に、禅僧のように床を水拭きするのはおろか、モップや掃除機だって面倒です。
そこで自動掃除機 ルンバ。自動掃除機 ルンバは直径34㎝、高さ約9cmの円盤型ロボットです。ボタンを一つ押すだけで、自動的に床を掃除してくれます。気になる電気代も1時間約1円だそうで経済的です。
どんなに疲れていても自動掃除機ルンバがあれば床をキレイにしてくれます。部屋の空気がよくなれば、気分もよくなるかもしれません。
その自動掃除機 ルンバにハローキティモデルが誕生したようです。是非、http://www.irobot-jp.com/roomba_kitty/ を訪問してみて下さい。
[PR by ブログタイムズ]
関連記事
[広告]クリアアサヒ - 麦が原材料の雑味のない発泡酒
![]() |
今回は折角なので彼女と母親と飲んでみました。
「飲みやすい」「癖がない」
「飲みやすい」とは母。「ビールに飲みなれていると、発泡酒を飲むと癖を感じることがあるが、これは全然いやな感じがしない。匂いもとても自然」
それもそのはず。従来の発泡酒では大豆を使用したものが多かったのですが、このクリアアサヒは麦から作られているのだそうです。つまり、大豆が原材料だからビールに慣れていると味や匂いに違いがありましたが、このクリアアサヒの原材料は麦なのでビールに慣れている人にとっても自然な味と香りなのです。
「へえ、発泡酒って2種類あったんだ」と彼女。「そういえば昔、発泡酒といえば枝豆みたいな匂いがするのが多かったけど、最近のはビールに近いのがあるよね。なかでもこれは味がライトだから女の子向けかも」
発泡酒でも、厳選された麦芽を使用し、「澄み切り二段発酵」を用いることで、麦芽由来のうまみはしっかりと残しつつ、新ジャンル特有の雑味を一切なくし「うまみだけ。雑味なし。」ということです。
「酎ハイみたいだねえ」
もちろん私も飲んでみました。
雑味はゼロといっていいでしょう。昔の発泡酒のような「変なビール」という味ではないです。
しかし、よーく味わうと最後の最後に缶酎ハイを飲んだ時のような焼酎系の酒の味がします。イメージとしたら、ビールをすこーしだけ水で割って、それに焼酎をちょびっと入れたという感じでしょう。これはネガティヴに捉えず、キレのある味わいと理解することもできると思います。若いときやりませんでした? ビールにウィスキー入れて「俺にはこれくらいが丁度いい」とかって。ちょっとそんな感じです。
味の方向性としてはシンプルでクリアです。また、スピリッツ系の味というのもあわせて女性向けだと思います。その癖のなさは日本食にぴったりです。スーパーで買った寿司がつまみだったのですがぴったしでした。
もちろん、ベルギーあたりのビール特有の麦の香りを感じたいという人は向いてはいません。しかし、そんな人はそもそも日本のビールを飲んではいないでしょう。日本のビールはノドで飲むものなのです。だから私の常飲のビールには決してならない味の方向性ではあります。
しかし、日本食とも相性ばっちりの、キレのある味わいということでしたら、このクリアアサヒで十分に満足できると思います。よい発泡酒でした。
関連記事
枯渇するドル、増大する米国の赤字
もう少し「世界恐慌」の現状を追ってみる。今回は公金注入が蹴られたことと、ドルそして財務省証券について。
公的資金の導入は既定路線だと俺は思っていたが外れてしまった。正直驚いた。それを受けてのダウ30種平均が先週末の終値と比べ $777 の過去最大の下げ幅という暴落とあいなった。日本のマスコミでも「世界恐慌」という単語がおどりはじめたようだ。
「で、お前は公的資金注入は賛成だったの?」という質問に最初に答えておくが、答えは「イエス」だ。もちろん「世界経済」というやつを、俺が持続させたいと考えているとしたらの話だが。
確かに俺は 投資銀行モデルの終焉とアメリカの危機 では「公的資金の注入」と「空売り規制」とを「麻薬」と指摘した。しかし、公金注入の私の認識は「政治的な難しさ」と書いた。これは 2 つあり、一つは、ずるずるとやるとモラルハザードとなることと、もう一つは、初期に公金注入の悪印象を作ってしまうとその後の公金注入がしずらくなるということだ(これは日本でも同じだった)。むしろ、この初っ端から政治的にコケてしまうとは思わなかった。
これは大統領選の前ということが大きく影響したのだろう。間接民主主義は多数決じゃない。俺たちは民意というやつを形成できる知性を選ぶのであり、直接に個別の政策なんて選ぶことじゃない。そんな時間も能力も一般の人は持っちゃいない(俺もそうだが)。だから、選挙で選ばれた政治家が政策を考え議論する。一方で、メディアはそうした政治家がしっかりやっとるかをチェックして有権者に伝える(もしメディアが「日本は単一民族」とか言ってる知識不足&偏見発言な方を報道しなければ、大臣から外されたりすることもない)。
しかし、選挙の前にはそうした間接民主主義が崩れ、なぜか多数決の世界になってしまう。だから選挙の前だけ政治家は多数決受けするような言動に出る。つまり飴をぶらさげられるだけぶらさげる。ここで衆愚化が起こるのは避けがたいというべきか。米国民は公的資金注入による負担を免れたかもしれないが、それによる景気後退による長期に渡る損益を受けることになると思う。これも日本で政情が不安定な状況で公金投入を避け続けたことで、日本の不況が長期化したこととと同じことだと思う(ちなみに俺は「燃えるときゃ、燃えてみんな死んじまえ」な公金反対派だし、間接民主制にも「それって欺瞞じゃね?」と思い反対であり投票はしないことにしている)。
ところで、俺の興味はカネにある。つまりドルってどうなるの? という問題と、そのドルを裏付ける財務省証券、つまりアメリカの国債だ。アメリカはこれ以上借金をしてどうするのか? というか、できるの? という次元である。
まずドルの流動性を確保しようとFRBと各国中銀が連携通貨スワップ協定を締結、日銀も歴史上始めてドルを市場に供給している。日経によれば日銀、短期市場に3兆円供給 10日連続、累計21兆円超とのことで「日銀による即日の資金供給は米大手証券リーマン・ブラザーズが経営破綻してから10営業日連続で、総額は21兆1000億円に達した」とのことだ。また、当初6兆円だったドル供給は日銀、ドル供給を12兆円に倍増 米欧の中銀と協調 (AFP)ということになった。通貨スワップ協定の各中銀別の最大供給額は以下の通り。
ECBが2400億ドル、カナダ中銀が300億ドル、英中銀が800億ドル、日銀が1200億ドル、デンマーク中銀が150億ドル、ノルウェー中銀が150億ドル、オーストラリア中銀が300億ドル、スウェーデン中銀が300億ドル、スイス中銀が600億ドル。
しかし、そうした連携によってもドル資金市場は崩壊寸前、最後の貸し手FRBが膨大な資金供給へによれば、ドルの流動性は枯渇しきっており「金融機関同士がドルの短期資金を融通するインターバンク市場で、翌日物資金の貸し借り以外は取引が成立しないという異常事態が発生している」とのこと。
各国中銀からじゃぶじゃぶ放出される膨大なドルに対しても、金融機関はドルを放出せずに囲い込み中央銀行の口座に所要準備額を大幅に上回るドルを積み上げているらしく「超過準備は今年の4―8月には20億ドル前後で推移してきたが、ライトソンICAPの推計では18日の超過準備は1900億ドル前後に拡大したもようだ。」そして「超過準備に回らなかったドルは、とりあえず安全な米国債に投資されている」模様である。
つまり、徹底的にドルが流れていない。だから日銀も市場初のドルを流出させているわけだが、銀行はそのドルを中銀に積むか国債に突っこんでいるということだ。
一方でこの金融が不安定な状況で何かの切っ掛けでドル暴落というシナリオは常につきまとう。ドルの基軸通貨性云々という話やドル危機後の貨幣システムという話が次々と出てきている。既定路線として、多極化・多層化が進むのだろうと俺は考えている。
一方、同じく Reuters の 急膨張する米財政赤字、米国債のトリプルAは維持可能か | Reuters によると「米議会予算局は9日、2009会計年度(08年10月―09年9月)の財政赤字が4380億ドルに上り、過去最大になるとの改定見通しを発表し」とのことで、更にこの額には一連の金融期間への支援が入っておらず更に拡大するものだとしている。
折角90年代後半に黒字に戻した赤字だったが、このところはすっかり赤字がかさんでいる。その赤字拡大は更に進むと予測できる。こうした状況下、米国債の信用が低下するのは必然とのことで、私もそれは当然だと思う。先の記事でも、今後、米国債の増発は目に見えており、その需給バランスの悪化が懸念されると同記事も指摘している。
そんな国の国債に対して、まあ日本は出すだろう。日本だもん。いくらでも財務省証券を買うに決まっているよねえ(そんなATMみたいな国の国民なのは嫌だけど)。
問題は中国だと思う。中国はもう控え目になっているんじゃないかな。というか中国は海外投資が引き上げて普通に困ってるみたいだしBloomberg.co.jp: 海外投資資金は中国から流出へ、元の上昇抑制で-M・カーリー。新興国に米国を支えるような体力はないだろうと思う。
まず、新興国から資金が引き上げられ、その後で米国の資本逃避が起こるということか。
結構、本格的にアメリカ帝国の失墜という現象を目の当たりにすることになるのかもしれない。いくらなんでも IMF が登場するとは思わないが(だって、最大の株主だし、世銀のトップは常にアメリカで IMF はヨーロッパと決まってる)、それにしてもそうした大本が破産状態になったとしたら一体どういうことになるんだろうか。

